第二章 闇中の矜持 エピローグ -彼女の覚悟-

 一連の戦いの後、シトリーたちは館を通り抜け、外へ出た。途中、館の中で何度かあのアクマの使用人たちに出会った。三人とも、それなりの言葉は覚悟していただろう。しかし、予想に反して彼らは、なにも言わず、シトリーたちを通した。ただ彼らは脇によって道を開け、主の仇であるはずの三人へ深々と頭を下げた。それは、先ほどの戦いを、神話に語られる神聖なもののように感じさせた。シトリーには、それがどこか誇らしくさえ感じた。きっと、それはシュリやクリネも同じだろう。二人とも、決して目を落とすことなく、前を見据えて歩いていた。

「そうだ、お二人とも、少しいいですか。」

「どうしました。」

「あのマルバスとフラロウス、彼らを、弔いたいんです。いや、手向けの言葉をかけてくるだけでいい。敵として戦いましたが、僕にとっては同じ、アクマですから。少し、行ってきてもいいでしょうか。」

 シトリーが言うと、二人は少しだけ顔を見合わせた。姉妹だけにしかできない、いかばかりの会話をしたのだろう。ただ一言、行ってきてください、とだけ答えた。

「ありがとうございます。お二人は、外へ出ていてください。すぐに追いつきますから。」


 屋敷を歩きながら、クリネは隣を歩く姉に尋ねてみた。

「ここのアクマ達は、私たちをどう見ていたのでしょうか。」

「それは、彼女たちにしかわからないことでしょうね。ただ、一つだけ言えること、私たちはここでアクマを倒してしまった。完全に、アクマ達と敵対することを選んでしまったわ。」

 姉の声音は尻すぼみになったが、その眼は裏腹に、強かな決意を湛えていた。クリネは、少し肩をすくめて答えた。

「今までは、極まれに出てくる、犯罪者のようなアクマと戦うだけ。大多数とは、一緒に平和に暮らしてきたのに。」

「だからこそ、シトリーさんにもやるせないものがあるのでしょうね。」


 ちょうど館の正門をくぐる前で、シトリーは二人に追いついた。見ると、門の向こうに街のヒトたちが人だかりを作っていた。集まっていたヒトたちは、アクマのシトリーを認めると一瞬驚いたように顔を見合わせたが、シュリたちと親しげに話し始めたのを見ると、そのうちのひとりがおずおずと話しかけてきた。みると、シトリーたちが厄介になったあの宿屋の主人だった。

「お客様方、これは…あなた方のおかげなのでしょうか。」

 その主人の話によると、先程、ちょうどシトリーたちがマルバスを倒した後、この街に蔓延っていたアクマ達がみな急に街を出ていったようだ。

「そうだったのですか。あなた方が、この街の救世主になってくださったのですね。屋敷にいたアクマ達はどうなったのでしょうか。」

「彼女たちは、まだ屋敷の中に残っています。」

「それは・・大丈夫なのですか?」

 そう問いかける顔には、隠そうともしない不安が映っていた。シトリーは言いようもなくむっとした感情を覚えたが、努めて冷静に、諭すように答えた。

「大多数のアクマ達は、力で従えられ、主であるマルバスが倒れればその支配から逃れたようですが、屋敷にいる彼女たちはマルバスへの純粋な忠誠心で集っていたようです。ですから、まだ屋敷に残っています。しかし、その主が討たれた今、弔いが終わればこの街を出ると約束してくれています。」

 シトリーが話すと、街のヒトはひとまずは安堵したようだった。クリネが、そっと身体を寄せてくる。

「いつの間にそんな約束を取り付けたのですか?」

 尋ねてくる眼は怪訝な色をしている。

 シトリーたちがマルバスを倒した後、倒れた主の周りにわっと配下のアクマたちが集まってきたのだ。シトリーたちは、一戦を覚悟し疲労困憊の体に鞭を入れて武器を抱えたのだが、その不安とは裏腹に、配下のアクマたちはシトリーたちを睨みつけたまま動こうとしなかった。シュリが声をかけても一向に応えようともせず、あるものは涙をこらえ、あるものは悟ったような目で、ただただシトリーたちを見据えていた。三人は、その姿にアクマたちの血のにじむ自制と主への深い敬愛を感じ、ただ一礼してその場を去ったのだった。


「さっき、少し戻った時にですよ。あの給仕をしてくれた娘がいたので、少し話をしたんです。心配いりませんよ。彼女たちは、もうヒトに敵対したりしません。」

「彼女たちはなんと?」

「あのマルバスが、一度零したことがあるそうです。もし自分が志半ばで倒れるようなことがあれば、この街を出ろと。決して仇討など考えず、ただ、生きて町を出るのだ、と。もしものための予防策だったのかもしれませんね。彼女たちが、その主の言葉を違えるはずがありません。」

 シトリーは、ひとかけらの迷いもなく言い切った。マルバスとその忠義の部下たちへの不思議な信頼があった。

 話が終わると、街のヒトたちは三々五々帰っていった。日は、夕暮れに傾きかけている。街のヒトたちは、白昼の死闘を知らない。だが、この街にはまだ戦いが残っているのだ。この国は、主をなくした。また、アクマの残した傷跡も大きい。その戦いは、熾烈を極めるだろう。にもかかわらず、シトリーたちには、街が赤色に包まれ、活気を取り戻していくように見えた。それは、長い一日の終わりであり、一つの暗い季節が終わったようでもあった。

 クリネが、僕たちを振り向いた。

「さぁ、それでは宿に帰って休みましょう。今夜は枕を高くして眠れそうです。」


 コンコン

「あら、どうぞ。」

「姉さん、ちょっといいかしら。」

「あら、こんな夜中にどうしたの?」

 深夜の来客に、怪訝に思って振り向くと、そこには思いつめた面持ちの妹が立っていた。ベッドに座る私の前まで、不自然なほどしっかりとした足取りで歩いてくると、いつもの気丈な姿が嘘のような震え声で言い放った。

「私は、人間を殺したわ。」

 私は、驚かなかった。きっと、こう言ってくると、どこかで予想していたのだろう。私は、ベッドに座ったまま、彼女を見上げる。

「人間を…殺した。フラロウスさんのことね。」

 私が答えると、妹は、クリネは顔をあげた。無理をしているのが、簡単に見て取れる。その両眼は、いつもの彼女になく灯が消えたようだった。

「私は…殺したの…私が…。」

 妹は震えをこらえて立っている。胸が打たれる。

「おいで、クリネ。」

 声をかけると、崩れ落ちるように私の胸へと顔を埋めた。それからしばらく、部屋には彼女の鳴き声だけが響いていた。

「落ち着いた?」

「えぇ、ありがとう、姉さん。」

 目の周りを赤くはらして、彼女は頷き、一度大きく息をつくと、雨だれのようにぽつぽつ話し始めた。

「私が今まで戦ってきたアクマ達は、シトリーさんの言う獣のような相手ばかりだった。」

「…そうね。」

「でも、フラロウスさんたちは違いました。あのアクマ達には、あの人たちは、私たちと同じ心がありました。」

「えぇ、そうね。」

 一度口を開いたら、堰を切ったように話し始める。

「…でも、あなたが彼を斬らなければ、どうなっていたかしら。」

 彼女は答えに詰まり、床を見つめている。

「あなたもわかっているでしょう?私たちは、斬らなければいけなかったの。

「姉さんは、平気なの?」

 クリネの眼が、私を見つめる。痛いほどに澄んで見えた。

「平気…ではないわ。でもね、私たちは武器を持って、戦えるの。私たちが斬らなければ、ほかの多くのヒトが斬られるわ。そんなとき、力を持っている私たちが逃げて良いのかしら。」

「…」

「力を持っている。守ることができる。でも振るわない。私はそれを恥だと思うわ。」

 クリネの眼が揺らぐ。私の服の裾が、ギュッとつかまれる。

「それにね、フラロウスさん達以前にも、私たちはたくさんの獣の様なアクマを斬ってきたわ。私たちは、そこに線を引くことができるのかしら。」

「それは…。」

 一瞬泣きそうな目をしたクリネは、また顔をそらした。そのままゆっくり立ち上がり、私から離れて窓際へと立った。彼女の顔は、見えなくなった。

「ここで戦いをやめてしまえば、フラロウスさんやマルバスさんだけじゃない、今まで斬ってきたすべての命に顔向けできないわ。私は、命を斬るのは嫌よ。でも、やめないわ。これからも、命を守るためにほかの命を斬る。それが、殺めた命への何よりの敬意だと思うわ。」

 クリネは、何も答えない。構わず続けた。

「つらければ、今夜みたいにまた泣けばいいわ。姉妹ですもの。だから、明日からまた、一緒に進みましょう。」

 クリネが私の方を向いた。この部屋へ来た時には、夜空の星より儚い顔をしていたが、いまは、三日月のように明るく鋭い意志の強さを取り戻している。

「ありがとう、姉さん。もう大丈夫。でも、時々また泣かせてね。」

 そういうと、クリネは美しく笑ったのだった

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