第二章 闇中の矜持-9

 それから、シトリーたちは客間へと通され、半日の暇を与えられたのだった。案内は、使用人のアクマがしてくれた。彼女は、キツネの耳を持つアクマだったが、案内の途中何度かちらとこちらを向いたきり、会話の一つもなかった。ヒトに似た小顔で、薄い唇のかわいらしい顔立ちなのだが、そんな彼女が不安そうな、おびえたような顔でこちらをうかがってくるのはどこか申し訳ないような気がした。彼女たちは、今のヒトとアクマの関係をどう思っているのだろうか。マルバスの企てに、すべてのアクマが賛成という訳ではないのだろう。しかし、ここのアクマ達にはマルバスを、敬っている風はあっても恐れているものなどいないように見える。

 ―僕の感覚がおかしいのだろうか。シュリさんたちと旅をするうちに、知らずヒトらしいことを考えるようになったものだ。

 と、隣を歩いていたクリネに脇をつつかれた。どうやらシトリーが考え事をしている間に部屋へとついてしまったようだ。先ほどのアクマが何事か説明していた。

 シトリーたちが通された客間は、先ほどの部屋と打って変わって非常に豪勢なものだった。一目で値が張るとわかる調度品が、そこここに並べてある。部屋の中央には、6,7人はゆうに座れそうなテーブルがあり、美しい装飾のなされた、それでいて座り心地は決して失わない、作りの良い椅子が並べられている。壁際には、見るからに心地よさそうなベッドが並べてある。

「今日は、この部屋を好きに使っていいそうですよ。外出もかまわないそうですが、三階へは上がらないでもらいたいそうです。夕方には食事を運んでもらえるそうですが、必要なければ事前に申しつけてくださいと。あ、そこのベルを鳴らせば使用人が周りに来てくれるようですよ。」

 シュリが、ぼうっとしていたシトリーの為にさっきの説明を繰り返した。が、横でクリネは腕を組み、怪訝そうに見つめている。

「それにしても、どうしました、ぼうっとして。まさか、マルバスの方へつくなんて言ったりしないでしょうね。」

「いや、すみません。さすがに、久々に同族にあってあのようなことを言われては、いろいろと考えてしまいますよ。心配されなくても、僕は彼らを許したりしません。」

「あら、まるでヒトのようなことを言いますね。心強いですよ。」

 クリネにとっては、ほんの少しの皮肉だったのだろうが、シトリーにはまるで心を読まれたようだった。動揺が表に出なかっただろうかと、全身に汗がにじんだ。

 それから夕方までは、三人とも思い思いに過ごした。とはいっても、誰も部屋から出ようとするものはいなかった。シュリとクリネは、それぞれの剣を取り出し、目釘を改め、手入れをし、そうかと思えば手を後ろ手に組んで部屋の中を歩き回ったりと、落ち着きなく緊張しているのが手に取るように分かった。一度、シトリーが落ち着いたらどうかと呼びかけたが、こんな状況で落ち着いていられる方がどうかしていると、クリネにひどい剣幕でまくしたてられ、それ以降は遠巻きに眺めるだけにとどめた。シュリは、さすが年長といったところか徐々に落ち着き、先ほどは給仕を呼んで紅茶などを持ってきてもらっていた。シトリーも、部屋に入ってしばらくは杖を取り出して手入れなどをしたり、魔力を込める練習―剣術でいう素振りのようなことをしていたが、今はシュリの向かいに座り紅茶を飲んでいる。

 そうしているうちに、窓から部屋へ橙色がにじり寄り、外を通る給仕らしき足音があわただしいものになった。どうやら、夕食の時間になったようだ。

「二人とも、どうしますか。そろそろ夕食の時間の様ですよ。」

 シトリーが問いかけると、二人はしばし思案するように顔を見合わせた。

「そうですね、正直に言ってしまえば、私は外でいただいた方が気が落ち着きます。クリネもそうでしょう?」

「えぇ、私もです。ただ、もう食事の時間の様ですから、今から辞退してはかえって迷惑にはなりませんか。」

 二人とも、敵地がどうのと騒いでいた割には、ずいぶん当然のように、尋常の客のように振る舞っていた。それだけ、この屋敷に来てから何もなかったのだ。事情を知っているアクマの給仕にすら、あからさまに敵意を向けられることもなく、客分としてのもてなしを受けていた。

「二人とも、仮にも敵の屋敷で、ずいぶん気を遣うのですね。」

 先ほどのささやかな意趣返しも込めて、シトリーが皮肉交じりに笑うと、二人は驚いたように顔を赤らめそむけてしまった。

「ですがまぁ、外で食べようというのには僕も賛成です。少し外の風も浴びたい。屋敷のアクマに話してみましょうか。」

 給仕を呼んで尋ねてみると、簡単に外出が認められた。すでに用意されていた食事も、給仕の賄の一部になるようだ。ただ、日が沈み三刻ほどすると、館の門が閉まるので、それまでには戻ってもらいたいとのことだった。

「ずいぶん信頼されているのですね。」

「主は、あなた方が不義を成されるとは一寸も思っておりません。どうか、その信頼にそぐうことが無きようお願いいたします。」

 シュリが探るように問いかけると、給仕のアクマに真っ直ぐと答えられた。シトリーたちは、その透き通った視線から逃げるように身支度を整え、館から出た。


「先ほどの給仕には言われましたね。」

 シュリが自嘲するようにつぶやいた。

「えぇ、あぁ言われては何もできません。まぁ、そもそも、屋敷を出たからと言って何が仕込めるわけでもないですが。それに、彼らにとって僕らが何をしようと問題ないのかもしれません。」

「どういうことです?」

「僕たちが一服盛ろうとしたり、寝首をかこうとしても問題にならないという自信があるのでしょう。」

「私たちが逃げ出すとは思わなかったのでしょうか」

「それこそ、彼らにとって無用な争いが一つ減るだけでしょう。万々歳ですよ。」


 それからシトリーたちは、町の食堂で夕食を取り、そのまま湯屋へ寄って館へと戻った。明日の朝食も、ついでに購入しておいた。屋敷に戻るころには、すでに日が落ちてだいぶ経ってしまっていた。町はとっぷりと夜に沈み込み、ヒトの営みさえも感じさせないような静けさだった。しかし、そうかと思うと、時折路地の奥からアクマの声怒とヒトの苦しむ声が響くのが気味の悪さに拍車をかけていた。まさに、この街が今置かれている状況がありありと映し出されていた。騒ぎを起こすわけにもいかず、何もできない無力感に耐えながら歩くと、帰り着いたのは門限ぎりぎりの時間になってしまった。しかし、特に何も言われず元いた部屋へと通された。相変わらずの客分扱いだった。

 屋敷を出ている間は幾分かリラックスできていたようだが、部屋に戻ると、シュリとクリネはまたわずかに緊張が戻ってきたようだった。所在なさげに、用意されていたお湯でお茶を入れている。

「今日は早く寝ましょうか。明日は…長い一日に、この国の歴史を背負う一日に、なるでしょうから。」

「そうですね。起きていても、どうせ緊張が嵩むだけでしょうから。私もクリネも、こんなに張り詰めていては、身が持ちませんね。」

 シトリーがいうと、わずかに笑ってシュリが答えた。

「えぇ、そうですよ。明日の相手は、これまでと比べ物にならないような戦いでしょう。頼りにしていますよ。」

「あら、アクマを倒すのは本来の仕事ですよ。シトリーさんこそ、今迄とは違う、アクマをおもい、アクマの為に戦うアクマと争わなければならないんです。私たちの心配をしてくれるのはありがたいですが、自分のことも考えていてくださいね。」

 シュリは言いながら、寝支度を始めたようだった。

 ―気を使わせてしまった。

「気にしないでください。昼も言いましたが、僕もあのアクマ達の、彼らのやり方は許せないんです。どんな形で出会ったって、僕は彼らとは相容れなかったでしょうしね。」

 そう言うと、シュリはふっと、かすかに色づいたように微笑んだ。

「…明日は、頑張りましょうね。さて、私はもう眠ることにしましょう。おやすみなさい。」

「えぇ、おやすみなさい。」

 シトリーも、一瞬よぎったものを振り払うために寝支度を始めた。シュリは、すでにベッドへ入り背を向けている。

「二人のお話は、終わりましたか?」

 シトリーの動揺を見抜いたかのようにクリネが問いかけた。

「えぇ。」

「明日は、」

 クリネは何か言いたげに一瞬目を合わせ、すぐに視線を泳がせて続けた。

「明日は、頑張りましょう。よろしくお願いします…頼りに、していますから。…たぶん、これでよいのでしょう。」

「えぇ。では、おやすみなさい。」

 ―ヒトと

 ―アクマと

 ―種族の境界が一瞬、少しだけ、混じりあった。

 ―すでに寝に入っているシュリの背が、温かみをもって揺れたように感じた。


「おはようございます。お二人とも、昨日はしっかり休めたようですね。」

「えぇ、おかげさまで。クリネも、よく休めたみたいね。」

「はい。今日もいつも通り動けそうです。さぁ、朝食を済ませてしまいましょうか。」


 翌朝、いつもより少しだけ早く目を覚ましたシトリーたちは、朝食を手早く済ませると入念に身支度を整えた。少々手持無沙汰になり各々道具の具合などを確かめていると、戸が叩かれ、使用人らしきアクマが訪いを入れてきた。クリネが戸を開けると、昨日案内したのと同じ、キツネのアクマが立っていた。

「おはようございます。皆様、昨日はよくお休みになられましたでしょうか。」

「えぇ、おかげさまで。久しぶりにこのような立派なベッドで眠ることができました。」

「それは良うございました。主より、皆様のご準備が整っていらっしゃるようでしたら、中庭へとお連れするように仰せつかっております。私たちに主のお考えのすべては解りかねますが、皆様とは戦いをされるのでしょう。皆様、ご支度はできていらっしゃるでしょうか。」

「えぇ、すっかり整っています。連れて行っていただけますか。」

「かしこまりました。それでは、こちらへ。」

 そう言うと、シトリーたちが部屋を出るのを待って歩き出した。これから自身の主と戦おうかという相手に対してであるのに、真っ直ぐと、害意を挟まぬ澄んだ目を向けてきた。昨日の給仕もそうだった。この館のものはみな、主の真意は解らないと言いながらも、おぼろげにでもその考えを理解しているのだろう。そして主の人柄もだ。そのうえで、「客と使用人」と割り切ってシトリーたちと接しているのだ。そのことが、シトリーにはたとえようもなく好もしく思えた。そして、仮に僕たちがマルバスを殺めた時、彼らはどうなるのだろうという思いが一瞬頭をよぎった。

 中庭への道すがら、多くのアクマとすれ違った。彼らはみな、シトリーたちを認めると脇へ避け、深々と頭を下げた。シトリーたちは、一言の会話もないままに中庭へと着いたのだった。

 中庭には、すでにマルバスとフラロウスが待っていた。二人とも腰に剣を佩き、上品な設えの軽鎧に身を包んでいる。

「マルバス様、皆様をお連れしました。」

「ご苦労。下がってよいですよ。」

 マルバスが答えるが、それでもこのアクマは戸惑った風で下がろうとしなかった。見かねて、少々きつい語気で繰り返す。

「マモ、下がりなさい。」

「…申し訳ありません、かしこまりました。」

 主の命であるにもかかわらず地面へこぼすように答えると、彼女はもと来た扉へと去っていった。この中庭は、四方を囲むロの字型の館の丁度真ん中にあり、周囲の廊下から丸見えの構造になっている。きっと先ほどのマモと呼ばれたアクマも、ほかのアクマと一緒に窓からこちらをうかがっているのだろう。

 中庭には、隅に樹木が数本生えているだけで、その他には何もない。しかし、中央一帯は数多くの足に踏み固められた様子が見て取れた。おそらく、日頃鍛錬などに使われえいるのだろう。戦うにはうってつけである。

「皆さん、おはようございます。昨夜はよくお休みになられたようですね。」

 マルバスは、穏やかに口を開いた。

「えぇ。お気遣いありがとうございます。ここで戦うのですか。」

「はい。すみません、落ち着きませんか?しかし、ここ以外に暴れる場所が思いつきませんでしたので。」


「それでは、最後にもう一度だけ答えていただきたい。」

 マルバスは、シトリーを誠実な目で、見据えたまま、予想と違わぬ質問を口にした。

「シトリーさん。やはり、私たちとともに来るということは、できませんか。」

 一拍。永遠を煮詰めたような一拍の後、答えた。

「すみません。やはり僕は、あなた方のやり方は許せないのです。…戦いましょう。」

「…そうですか。では、参りましょうか。」

 ふと、瞬く間だけ顔をゆがめたマルバスは、腰の細剣へと手をかけた。が、その動きを遮る声があった。

「マルバス様。まずは私が。」

 言うと、フラロウスは一歩前へ出、剣の鯉口を切った。その瞬間、あたりに亀裂が走ったかのような錯覚を覚えた。フラロウスが、戦おうとしている。上級のアクマが本気を出すことがどういうことか、否応なしに理解させられるような殺気をたたきつけられた。

「フラロウス。」

 マルバスさんは、咎めるように声を上げかけ、すぐに押し黙った。

「いいだろう。存分にやれ。」

「ありがとうございます。さて、そこの小娘ら。わが主のお考えを理解せぬヒトどもよ。そして、われらと同じアクマでありながらヒトと共にするものよ。貴様らごとき、主に触れるまでもなく私が切り捨ててくれる。誰からくるか。同時でも構わぬぞ。」

 シトリーたちは思わず、目を配せあった。

「どうした。そこの小娘、昨日の威勢はなんだったのだ。怖気着いたか、震えが止まらぬか。所詮ヒトの小娘ごときが、剣を振ることすらおこがましいわ。」




「私がやります。」


 クリネが一歩、前に出た。

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