第二章 闇中の矜持-8

 フラロウスに従って部屋へはいると、午後の日を受けて金色に輝く獅子がいた。彼が、マルバスだろう。華美にならない程度に装飾された軽装に身を包み、余裕をうかがわせる立ち姿だ。しかし、獣の王たる獅子の姿と扉越しに聴いた声の印象通り、力強さと自信を感じさせる、人の上に立つ者の姿だった。腰に細剣をさしているが、わずかに魔法の力を感じる。おそらく、儀礼用のものか、魔法を使うときの道具だろう。シトリーの杖のようなものだ、しかし、けた違いの業物だ。

「あなたたちが、アクマ祓いとその一行ですね。私はマルバス。見ての通りアクマですが、この国の王を追い、そして今、この街を治めています。」

 マルバスは、余裕を崩さず口を開いた。シュリが、こちらも努めて余裕をもって答えた。

「丁寧な御あいさつ、痛み入ります。私たちはアクマ祓いのシュリ、そして妹のクリネです。我が国から、昨今のアクマ関係の事件を解決するよう命を受けました。」

「なるほど。そしてこの街へ。」

「はい。我が国の商人からこの町の噂を聞き、やってきました。昨日街を見回りましたが、噂は本当だったようで、我々ヒトには…目を覆いたくなる光景でした。ヒトは虐げられ、家畜のごとき扱いです。結論として、一戦交えてでもこの街の現状を正し、ヒトを開放すべきと思っています。」

 シュリは、一息に言い切った。一戦交えても、と表明したことで、横に控えるフラロウスが、殺気立った。シトリーは、首筋にぬらりとした汗を感じる。

「それで、私を倒しに来たという訳ですね。」

 そう言った彼の顔は、わずかにゆがんでいた。この部屋に入った時からかすかに気になっていたが、マルバスの眼には、精悍な中にも人懐っこいものを感じていた。元来、ヒトやアクマを問わず、相手を奴隷とするようなことを、よしとする質ではなさそうだった。

「そうです。しかし、あなたから呼び出しを受けた。御用件は何だったのでしょうか。」

「これは。わざわざお呼び立てしてしまってすみません。久方ぶりに私のことを調べているアクマ祓いがいるということを伺ったもので、一度私の考えを聴いていただきたいと思ったのです。」

「私たち以外にも、アクマ祓いは来ていたのですか?」

 クリネが心配そうな顔を浮かべて尋ねた。マルバスは、一瞬逡巡するように目を伏せ、はっきりと答えた。

「えぇ、以前もアクマ祓いは私を倒しに来ました。みな話も聞かず襲ってきました。言い方は悪いですが、話の通じぬ獣を相手にしているようでした。」

 クリネが、マルバスを睨みつける。

「しかし、今回のアクマ祓いは、その仲間にアクマがいるという。わかってくれるかと思い、ここへ御足労いただいたのです。」

 シトリーは、シュリ達とちらと顔を見合わせた。二人とも、どんな考えがあろうとマルバスを許すことはないと、ありありとわかった。もちろん、シトリーの考えもそうだ。ヒトに対するあの仕打ちは、シトリーから見ても許されざるものだった。だがシトリーは、彼の話を聞くべきだとも思った。二人を制するように、口を開いた。

「わかりました。考えがあってのことなら、お聞きしましょう。ですがそれで、ヒトへの仕打ちが理解されるとは思わないでください。」

 クリネが横目に睨んでくるが、仕方がない。この、いかにも実直そうなアクマの考えも知らず切りかかる気にはなれなかった。

「今の世の中、ヒトとアクマは共存しているといわれています。ですが、私がことを起こす前、この国はヒトの王によって統治されていました。この国だけではありません。ほかの国だって、治めているのは決まってヒトの王です。…確かに、我々アクマは戦争に負けていた。ですが、それは神話に語らあれるほど過去のこと。これではすべてのアクマがヒトに支配されているようなものではないですか!一市民単位でみれば、なるほどそれでうまくやっているのかもしれません。それでも、今の世界がヒトとアクマ平等だとは思えない。」

「それは、ヒトを虐げてもですか?」

 マルバスはわずかにうつむいた。それで顔はよく見えなくなったが、なぜかシトリーは、彼の表情がわかると思った。どうじに、彼が何を言いたいのか、何のためにシトリー達を呼んだのか、うすうす感じ始めていた。


「シトリーさん…あなたはアクマとして、今の在り様をどうとらえているでしょうか。…率直に、私の希望を言いましょう。私は、あなたにも一緒に来てもらいたい。」

 ―やはりそうきたか。

 彼は、自分の考えが正しいと信じている。どれだけヒトに責められようとも。そのうえで、同志を募ろうとしている。

 シュリも、クリネも不安そうにこシトリーを見ている。

「それは…できません。」

「なぜです、一つくらい、アクマが治める国があったって良いではありませんか。確かに、今は混乱しています。暴力もまかり通っている。ですが、今に必ず正しく治めて見せます。シトリーさん、あなたも不条理を感じることがあったでしょう!」


「それでも…です。たしかに、あなたの考えは、きっと正しいのでしょう。あなたを倒し、この町を元通りにするということは、再びヒトの統治下にアクマを置くということです。」

 クリネが、顔をゆがめた。

「なら・・

「それでも、あなたのやり方は間違っている。こんなやり方では、余計に人との溝を作るだけだ。マルバスさん、僕は、あなたを止めます。戦ってでも。」

 わずかに、空白の時間が流れた。ほんの一時であったが、彼にとって、心を決めるのに十分だったようだ。細く息を吐くと、答えた。

「…お手向かいします。」

 マルバスは、腰に下げている細剣に手をかけた。あたりの空気が、音さえ吸い込むように張り詰めるのを感じる。彼が、アクマのために立ったというのは本当だろう。彼の眼からは、敵対心の中に一片の悲しさと未練が見て取れた。杖に手が伸びる。

 と、ふとあたりの空気が緩んだ。マルバスは、細剣にかけた手を下していた。そして、自らに語りかけるようにつぶやいた。

「いや、いかにも急すぎましたかね。」

 そして、そこにいる全員を見渡した。

「勝負は明日にしましょう。今日はこの屋敷にでも泊まっていってください。」

 その場の全員が、フラロウスまでも驚きに包まれた。

「マルバス様、いったいどういうおつもりですか。」

「彼らはここまで旅をしているんだ。一日やそこらでは疲れもとれないだろう。それに、昨日はいろいろなものを見たようだ。精神的にも万全の状態とは言い難い。どうせなら、今日一日は休養してもらい、十分に力を出せる状態で決着をつけたい。」

 フラロウスが、わずかに目を細めた。だがすぐに、元の表情で向き直った。

「…承知いたしました。」

 おそらくフラロウスにはマルバスの真意が伝わったのだろう。そして、それはシトリーにも、おぼろげながら理解できた。おそらく彼の言うことは、半分は本当だろう。一方で彼は、まだ信じたいのだ。シトリーが彼のもとに着くことを。一晩は、休息とともに考える時間だということだろう。いや、だが、

 ―僕の気持ちは変わらない。

 今日は彼の言うことに従おう。それが彼への礼儀だとも思えた。

「ちょっと待ってください、敵地へ泊まれというのですか。」

 クリネが声をあげた。ヒトであるクリネには、この提案は納得いかないものだろう。

「えぇ、そういうことです。今晩の皆さんの安全は保障します。食事もお出ししますが、気にされるのでしたら、ご自分で食事をお持ちいただいてもかまいません。私からは、温かい部屋と具合のよいベッドだけ提供いたしましょう。」

「そんなことが、信じられるというのですか。」

 シュリも疑いの声をあげる。

「いや、彼の言うことを信じましょう。」

「ちょっと、シトリーさん」

「彼ほどのアクマが、だまし討ちなどするとは考えられません。厚意を受け取るのが礼儀でしょう。」

 シトリーは、二人をたしなめるように言った。しかし、クリネはまだ納得がいかないようである。

「そんなこと言っても、敵地の真ん中でアクマの言うことを聴けというのですか。」

「うるさいぞ小娘っ!」

 今まで主の後ろに控えていたフラロウスが、怒りの形相をあらわに吠えた。

「貴様はわが主を愚弄する気かッ。ヒトはアクマの矜持などなんとも思わぬのかッ。こうして正々堂々と話す相手を信じることすらできぬとは、貴様らヒトはよほど卑しい心の持ち主と見える。気に入らぬなら、今ここでその素っ首落としてやってもかまわんのだぞ。」


 シトリーたちは、誰も、一言も発することができなかった。まるで、地面に体が吸い付いたように、微動だにできなかった。

「お客様をお部屋へご案内しなさい。」

 沈黙を破り、マルバスの言葉が響いた。

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