第二章 闇中の矜持-6
しばらく歩くと、宿を見つけることができた。
「いらっしゃいませ。」
シトリーたちが入ると、受付にいた若い女性の店員がけだるそうに顔をあげた。店の中には、表面上は何も変わったところはなかった。店員はシトリーと目を合わせると、迷惑そうに声を上げた。
「なんだい、もうこの店に来ても、持ってく金なんかないよ。おかげさまで客なんて来やしないんだから。」
三人の中に、ピリッとした衝撃が走った。
「い、いえ、そうではなくて、今晩の宿を借りに来たのですが…。」
ショックを押し殺すようにして、努めて笑顔に、シュリが前へ出た。
「なんだい、お客さんかい。それにしても、こんなときによくこの街へきたもんだ。しかも、アクマの連れとは、どういうことだい。」
シュリの顔を見て、僅かに敵対心は薄れたものの、今度はアクマ連れのヒトといったものを警戒しているように見える。シュリが事情を説明すると、
「ふん、じゃあせいぜい期待しているよ。」
とだけ言って、あとは終始無言で事務的に部屋へと案内した。
部屋は、すんなりと貸してもらえるようだった。去り際に、夕食の時間だけ確認すると、足早に店員は出て行ってしまった。部屋に入ってしばらくは、三人とも各人の荷物の片づけなどをしていた。シトリー達は、一言も発さず、荷を片付けていた。ややあって、クリネがぼそりと、悲痛な声を絞り出した。
「ひどいことに、なっていますね。」
シュリも、小さく相槌を打った。
「えぇ。アクマがヒトを殺さないと聞いて、私たちはどこか楽観視している部分があったのでしょう。たとえ命が奪われなくても、この町は、この町のヒトは、アクマによって死にかけているのかもしれません。このままでは、ヒトは人として生きていくことはできないでしょう。私たちは、何としてもこの町を、元通りにしなければなりません。」
答えるシュリの声には、クリネと比べて幾分か前を向いた力強さがあった。やはり、このあたりが姉と妹ということなのだろうか。
「それにしても、まずは相手とコンタクトを取る方法を考えなくてはいけませんね。」
三人はそれから遅くまで話し合ったが、結局良い考えは浮かばなかった。そのまま三人は、心身ともに疲れ切っていたのだろう、全員が、言葉少なに寝入ってしまった。
しかし、その翌朝、事態は急展開を迎えた。
その翌日、シトリーたちが朝食を済ませて部屋に戻っていると、荒々しく部屋の戸を叩く音が響いた。
「いったい何でしょうか?こんな朝から…」
困惑しながらクリネが戸を開けると、昨日受付にいたのとは違う男性の店員が血相を変えて部屋へ飛び込んできた。
「お、お客様!あ、あ、あの…。」
相当急いでいたのだろう、息を切らせ、舌もおぼつかない。
「落ち着いてください、どうされたのですか?」
クリネがなだめると、少しずつ話を始めた。
店員の話によると、この街を牛耳るアクマ、マルバスの腹心であるフラロウスというアクマが訪ねてきているというのだ。
「シュリさん、クリネさん。これは思った通り、事態が動きましたね。」
「えぇ。向こうから訪ねてきてくれるとは。早速会ってみましょう。」
シュリは、すぐにも腰を浮かせようとしている。しかし、クリネはやはり、不安そうに姉を見た。
「姉さん、大丈夫なのですか?何も準備せずにいきなり会ってしまって。」
「今を逃せば次の機会があるかはわからないし、宿まで来たということは、私たちの行動はすべて筒抜けということでしょう。今更逃げ隠れしても仕方ないわ。それに…せっかく訪ねてきた方をあまりお待たせするものではありませんよ。」
「僕もそう思います。相手が正々堂々と正面から呼び出している以上、すぐにどうこうということはないでしょう。僕たちに危害を加えるつもりなら、呼び出したりせずに問答無用で寝込みでも襲って来ればよかったんですし。」
クリネは、まだどこか憮然とした様子であったが、あきらめたように立ち上がり、三人でフラロウスとやらと会うことにした。
フラロウスとは、宿の一階の個室で会うことになっているようだ。シトリーたちが個室に入ると、そこには、美しい毛並みの、豹の頭を持つアクマが扉に背を向けて立っていた。フラロウスは、ゆっくりとこちらへ向き直ると、シュリとクリネを一瞥した後、シトリーをじっと見据えた。しかし、その視線に敵意のようなものはなく、ただ純粋な興味と真っ直ぐな使命感のようなものだけが感じられる。正装だろうか、僅かな装飾が着いた軽鎧を着こみ、腰には剣を帯びていた。両手は自然に横に垂れているが、その気になればいつでも剣を抜けるだろう。それだけの力量を感じさせる立ち姿だった。
「あなたが、フラロウス、さん、ですか。」
シトリーは努めて自然に呼びかけたつもりだったが、わずかに言葉に詰まった。それだけの圧力を感じさせる相手だったということもあるが、何より、久々にまともに話す自分と同じようなアクマに緊張していた。
「いかにも。朝早くからの訪問、失礼した。私の主から、言伝を預かって参ったのだ。失礼だが、あなたがシトリー殿。そして、そちらのお二人がアクマ祓いのシュリ殿とクリネ殿でよろしいかな。」
「えぇ、そうです。お初にお目にかかります。」
クリネが一歩前に出て答えた。シトリーとは違い、気負いを感じさせることなく、淀みない受け答えだった。
「こちらこそ、ハチボリの街へようこそ。せっかくだ、座って話をしよう。」
そういってフラロウスは、部屋の中央にある大きめの長机を指し示した。四人はゆうに座れそうだ。
三人は、悠然と話すフラロウスにいまだ警戒の視線を投げかけていた。そんな圧力をものともせず、フラロウスはつかつかと机のそばへ歩み寄ると、意外にも、腰の剣を外し立てかけた。敵対する相手の警戒の中で武器を外すという行為に三人とも驚きが隠せず、思わず顔を見合わせてしまった。
「どうされた。客人と話すのに、帯刀して話すのも無粋だろう。それに、剣を帯びたままでは椅子にも座れん。」
フラロウスは、予想が当たったとでもいうように、心なしか楽しそうに答えた。
「あ、あぁ。失礼しました。シュリさん、クリネさん、僕たちも座りましょう。」
「え、えぇ。そうですね。」
シトリーたちは向き合って座った。シュリが三人の真ん中に座り、フラロウスと向き合っていた。椅子に座ると、窓から差し込む日光が、フラロウスの金色の毛並みをきらきらと波打たせていた
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