第二章 闇中の矜持-5

 翌日の早朝は、みないつも通りに起き出し、いつもと変わらぬ風を装ってはいた。しかし、やはり緊張は隠せないとみえ、少しでも時間が開けば落ち着きなく刀の目釘を確かめたりしていた。



 ハチボリ。そこは、このハチボリの国の国名を冠する首都である。石造りの立派な城を中心とした城塞都市であり、周囲をこれまた堂々たる石壁によって囲まれている。木と石を中心に作られた家々が立ち並ぶこの街は、海運と漁業で栄えた国の首都らしく、物流の要所でもあり、国中のものが集まった。大きな道と水路が整備され、それに続く街道や運河が多くの人や物を運んだ。かつてこの町を訪れた旅人は、華のような賑わいと評したという。しかし今、そのハチボリに向かう馬車に人々はみな一様に暗い顔をしており、とてもかつての華の街へ向かうとは思えない。

 馬車がハチボリへ近づくと、窓から噂に違わぬ立派な街並みと大きな門が見えてきた。三人は、アザミとハチボリをつなぐ馬車に乗って、ハチボリへと近づいていた。門には一人、門番であろうアクマが立っていた。しかし、暇であるのか腕を組み、遠くを眺めたり空を仰いだりしている。御者によると、あのアクマに馬車の中を改められるらしい。

「ちょっと、大丈夫なんでしょうね?」

 クリネが慌てたようにシュリへ詰め寄る。シトリーも、どこか不安げにシュリへと目をやった。ここへ来て、真正面からのこのこと、というのはいくら何でもあまりにもお粗末に思えてきた。

「ここまで来たのよ、なるようになるわ。」

「いいのですか?そんなので…。」

 心配そうにうなだれるクリネと対照的に、シュリはあくまで気楽そうに、まるで遠足にでも来ている様子だ。

「どっちにせよ、今更何を言っても無駄ですかね…。もう門はすぐそこに来ていますし。」

 シトリーもつぶやき、窓枠に肘をついてあきらめたように窓の外を見やった。

 しかし、シトリーやクリネの不安を裏切るように、門番は一行、特にシトリーへ一瞥をくれただけですんなりと街の中へ通してしまった。一言の言葉もなかった。

 クリネが、シトリーヘ身を寄せるようにしてささやいた。

「あまりにもあっけなく門を抜けてしまいましたよ。あの門番、さぼったりはしていませんよね。」

「まさか、そんなことはないと思いますが、確かに拍子抜けですね。」

 シトリー達はどこか、肩透かしを食らったような心持になっていたが、馬車が石畳を進み、街の中に入っていくにつれて、だんだんと不安が心中に浮かび上がってきた。

「私たちが誰かわかっているうえで、あえて門を通して招き入れた、ということでしょうか。」

 クリネが、誰ともなく低くつぶやいた。馬車の中に、三人のほかにクリネの言葉を聞きとがめるものはいなかった。

「それは、わかりません。とにかく、用心するしかないでしょうね。」

 シュリは答えながら、馬車を降りる支度をはじめていた。

 街へ入ってしばらくして、三人は馬車を降りた。そうして街を眺めてみると、まずは道行くアクマの数に驚かされた。数多くのアクマが我が物顔で通りを歩く。対して、ヒトはというと、全くいないわけではないが、みな道の端を、虫でも避けるかのように顔を伏せて歩いていた。シトリーたちがいるのは、門から続くこの街一番の大通りであり、数多くの店が立ち並んでいる。しかし、そこには呼びの声ひとつなく、建物の華やかさがかえって通りのただ事でない印象を際立たせていた。

 通りのアクマ達は、シュリとクリネをいぶかしげに、あるいは値踏みをするように眺めるが、やがてシトリーへと目をやると興味を失ったように通り過ぎていった。何事もないのが、不気味だった。

 三人は、大通りをそれ、一つ裏に入った通りを歩いていた。

「これは、どういうことでしょうか。」

 アクマたちと目を合わせないよう伏し目がちに街を見まわしながら、クリネがつぶやく。

「わかりません。しかし、町ぐるみで監視されているという可能性もあります。私たちは、注目だけは集めているようですからね。」

 対するシュリは、幾分か堂々と街を見渡している。

「とにかく、町の状況が知りたいですね。せっかくこうして泳がしてもらっているんです。僕たちはこの間にできることをしてしまいましょう。」

「どうします?また、カナシロみたいにどこかのお店に入ってみましょうか。」

 シュリが通りのお店を指さす。そこは、ヒトがやっている菓子屋のようだった。


 シトリーたちは、その店へ入って様子を探ることにした。とはいっても、シュリとクリネの二人だけがお店へ入り、シトリーは外で待っていた。はじめは、一緒に店へ入っていったのだが、やはり店のヒトは、アクマであるシトリーを見るやいなや委縮したような営業顔になってしまい、まともに会話ができなかったのだ。そういうわけで、ヒトとの会話は二人に任せ、シトリーは店の前で腕を組み、番をしているのだ。

 ふと通りの逆側に目をやると、一人のアクマがヒトの店へはいっていくところだった。アクマが入っていった店内の様子をうかがうと、アクマのものであろう激しい怒号と、ヒトの懇願の声、そして鈍い音が響いた。店内を除くと、まさにアクマがヒトの女性を殴りつけているところだった。アクマが店の金を持ち去ろうとし、ヒトがそれに抵抗したようだった。

 ―なんだ、あれは。

 シトリーは、釘でも打ち込まれたように体が動かなかった。そうしている間にも、アクマがヒトを脅す声が響いていた。

 しばらくして、アクマは金を手に入れ店を去っていった。店を出るとき、そのアクマと目が合った気がした。しかし、相手は一切反応を示さずに去って行ってしまった。つい先ほどまでは、アクマの狼藉の場面が、心一面に強烈に刷り込まれていた。しかし、アクマと目を合わせた後には、早くもその場面は薄れ始め、不気味さが染み込んできていた。


 シュリとクリネが店から出てくると、シトリーは一部始終を話した。二人は、火を噴かんばかりに憤った。特にクリネの怒りはすさまじかった。

「なぜ、すぐにでも助けに入らなかったのですか!」

「やめなさい、クリネ。今ここで下手に騒ぎを起越すわけにはいかないでしょう。それに、目の前の一人を救えたからと言ってすべてが解決するわけではないのよ。」

 それでもまだ冷静だったシュリが、クリネを窘める。

「これが、この町の現状なのでしょうね。」

 シトリーは、絞り出すようにつぶやいた。それだけ言うのが、やっとだった。シュリとクリネは、それぞれにシトリーを見つめた。

「…えぇ。」

 答えたのは、やはりシュリだった。

 その後、シトリーたちは情報収集をやめ、夜の宿を探して歩いた。誰が言い出したわけではないが、三人とも疲れ切っていた。先ほどの店では、シュリとクリネは何の情報も得られなかったようである。

 気づくと三人は、水路沿いの道に出ていた。緩やかな風に、水面が小さく騒いでいる。曇天からわずかに差し込む光が、ちらちらと輝いていた。その涼やかで小気味よい光景が、今の街を包む現実とあまりにも不釣り合いに見えた。そんな日光の踊りも、もうすぐ終わってしまうだろう。日はどんどんと頼りなくなり、道行く人の足も、自然に速まっていくようだった。

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