第二章 闇中の矜持-3

 翌朝、シトリーたちはカナシロの街を早々に出発し、森へと向かっていた。住み慣れた国を離れたせいか、シュリとクリネは馬車の中から辺りをちらちらと見まわしている。シトリー達は、カナシロの街を出て、しばらくは乗り合いの馬車で進み、遠回りをする道との分かれ道から森に向かって歩こうとしていた。カナシロの街を出ると、内陸に向かって穏やかに草原の中を行く道が続いている。

「すごくきれい。でも、なんか…」

「ピシリと、こころを引き締められる気がするわね。」


クリネのつぶやきに、シュリが答える。まだ夜が明けたばかりの草原は静かで、風の音とわずかな鳥の声、そしてがらがらと馬車の往く音だけが響いている。深く濡れたような緑色を撫でて届く風は、身を引き締める冷たさを帯びていた。

この国の玄関口たる港町から続く街道だけに、馬車で通る道はきれいに舗装されている。御者の話によると、普段は朝一番の馬車から旅人や商人でにぎわうようで、今日のような静けさが聞こえる暇もないようだ。しかし今は、十人はゆうに乗れるであろう乗合馬車の乗客はわずかで、その客もこちらへ一瞥をくれたきり黙り込んでいた。

「やはり…国全体が沈んでいるのでしょうか。」

他の客を伺いながらシトリーがシュリにささやく。

「それは、そうでしょうね。都がアクマによって落ちているのです。無理からぬことでしょう。」

そのまま馬車は進み、森への道との分かれ道に差し掛かって、三人は馬車を降りた。

 見通しのよい平原に敷かれた街道をしばらく歩くと、次第に草木の勢いが増しはじめた。遠くへ目をやると、黒々とした森の冠が見える。あれが地図にあった森だろう。地図で見たときにはそこまで大きな印象は受けなかったが、やはり近くで見ると、呑み込まれそうな底知れない不気味さを感じ、巨大に見える。ヒトの往かなくなった森というのは、このようなものなのだろうか。さらに近づくと、目を塞がれるような鬱蒼とした中に、しっかりと踏み固められた茶色が見えた。

「最近までヒトが使っていたというのは本当の様ですね。これなら歩いて抜けるのもずいぶん楽でしょう。」

クリネが感心したように足を踏み込む。

「えぇ、これでアクマがヒトを襲うなどということが無ければ良いのですが、そうもいきませんからね。気を付けて行きましょう。」

森へ入ると、確かに足元は歩きやすいのだが、目鼻を覆うような濃密な気配が立ち込めていた。獣や獣型のアクマがこちらをうかがっているのだろうか。あるいはこれまでに聞いた話が自然にそう感じさせているのだろうか。

 息苦しさをこらえながらしばらく歩くと、不意に少し開けたところへ出た。それほど広くないスペースだが、そこだけ林冠が途切れ、濃く明かりがさしていた。焚火の跡のようなものも見える。シュリがふとつぶやいた。

「あら、少し明るくなりましたね。」

「そうですね。でも…

そういって、シトリーは二人の顔を見た。二人とも、静かな目で油断なく周囲を見渡していた。ここへ入ってから、これまで感じていた重たい空気が、一層濃くなったのだ。じっとりと湿った空気がまとわりついている。

「何か…きますね。」

すると、木々から、草むらから、多数の蛇のようなアクマが姿を現した。しかしそれらは蛇というにはあまりにも大きい。

「これまでの気配は、あのアクマでしょうか。」

「かもしれませんね。あまりに僕たちが警戒するものだから、しびれを切らして襲ってきたのでしょうか。それか、ここでは旅人が油断するということを知っているのかもしれません。ここが休憩スポットみたいですからね。」

「とにかく、出てきたのなら相手をしてしまいましょう。シトリーさん、あのアクマは知っていますか?」

シトリーたちの目の前にいるアクマは、深い緑色に輝き、わずかに湿り気を帯びたように照りを持つ蛇の姿をしている。大きさは、およそヒトの足ほどの太さだろうか。群れのようだ。数は、ざっと見て10匹はいるだろう。

「あのアクマは、ナンタ。見ての通り、蛇のようなアクマで強力な毒を持っています。もちろん噛まれると一発ですが、奴のやっかいなところは、近づくと毒を飛ばしてくるというところです。毒に触れると、体中の筋肉が弛緩して、呼吸も何もできなくなり、いろいろと垂れ流しながら死んでいきますよ。」

「それは…何とも嫌ですね…。」

クリネがひきつった顔を浮かべている。ナンタが三人をうかがう。いつ飛びかかってきてもおかしくない雰囲気である。


「それでも、一匹の強さは大したことないアクマです。ここは僕に任せてください。あの程度なら、一発です。」

 シトリーが杖に手をかける。

不安そうにうなずく姉妹を目の隅に入れながら、杖を掲げ、唱えた。

“ルドラ“

その瞬間、わずかに地響きがしたかと思うとナンタ達を取り囲むように土柱が出現した。高さは3メートルほど、その数、十本以上。すると、驚くものたちを尻目に、土柱が輝きを持ち始めた。土中の物質の中でも硬度の鉱物が表面に集まり固まっていく。そして辺りに轟音が響いた。土柱が大きく砕けたのだ。あるものは宙を舞う鉱物の輝きに目を奪われた、あるものはその地響きの音圧に心身の芯まで揺さぶられた。切れ味鋭い破片と大質量の土塊に、ナンタ達は身動きをとる間もなく粉々に削りつぶされた。

「…すごい。」

クリネが呆けたようにつぶやく。シュリも言葉をなくしているようだ。

「どうです?僕も少しはやるでしょう?」

シトリーはつい、うれしくなっておどけたように二人を振りむいた。まるでいたずらの成功した子供の様だ。

「いや、すごいですよシトリーさん。今まで、雷を使うのは見たことがありましたが、こんなこともできたんですね。」

シュリが、ようやくといった風に言葉を出した。

「確かに、この間は雷を飛ばしてみましたが、でも、あれは専門ではないというか、ついでに覚えた魔法ですね。電気が使えると便利じゃないですか。」

「そ、そういうものなのですか?」

自らが多少魔法を使えるシュリも、ひきつったように答えている。

「えぇ、どちらかというと、こんな具合に土や大地をを操る魔法のほうが得意ですね。制約は多いですが、とても強力で、便利な魔法ですよ。ほら、僕は、店で花や植木も売っていましたし。」

「あんなの、花屋の便利魔法を超えていますよ。土いじりで店ごと吹き飛ばすつもりですか。」



 ナンタ達を退けると、それまでの息苦しさが消えていた。やはり、彼らがずっとシトリーたちを狙っていたのだろう。

「だいぶ雰囲気が変わりましたね。」

「そうですね。息苦しさが消えたような感じがします。でも、この森にいるアクマがあのナンタだけだったのでしょうか?」

「いえ、そんなことはないと思いますが、だいぶ派手にやらかしましたからね。ほかのアクマ達も襲う気が失せたんじゃないでしょうか。」

シトリーが少々気をよくして撃った魔法は、どうやら丁度よい威嚇行為だったようだ。

 それからしばらく歩くと、次第にあたりが明るくなってきた。森の出口が近いようだ。その少し歩いた後には、漸く森の出口にたどり着いた。

「う~ん、漸く森を出ましたね。ほんの数時間しかいなかったはずなのに、ずいぶん長くさまよっていたような気がします。」

外の空気を全身で浴びるように、クリネが伸びをする。

「えぇ、これで道がしっかりしていなかったら、骨が折れたでしょうね。ともあれ、クリネもシトリーさんも無事に抜けられてよかったですよ。それに、どうやらもうすぐ目的地に着くようです。」


 森の出口は少々小高い丘になっているようで、見晴らしが良い。カナシロの街を出たころには、確か雲一つない天気だったと思ったが、空には飴色の重苦しい雲が立ち込めていた。正面に家々の屋根が見える。あれがアザミの街だろう。シトリーたちは、少し軽く感じる足で目の前の目的地へ歩き出した。

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