第一章 はじまりの国-5

「あら?私たちは、もう準備はできていますから、あとはシトリーさんだけです。一応、お目付け役とのことですので…良ければ、お宅の前まで伺って、待たせてもらっても?」

 そう言って、シュリが上品に、でもどこか子供のように笑う。きっと、姉として妹を窘めつつも、旅が楽しみで仕方ないのだろう。凛とした外見とは裏腹に、少々の冗談も通じそうな遊び心も持っているらしかった。

「あの…ということは、これからの旅でもずっと僕を?」

「えぇ、監視しています。」

「旅ですよ?宿の中なんかでも?」

「えぇ、監視しています。」

 とはいえ、冗談が通じすぎるのも困りものだろうか。


 しばらくして、三人はシトリーの家である雑貨屋の前へ来ていた。シトリーが家を出たのは、まだ夜明け間もない早朝だったが、今は、陽が高く真上に昇っている。朝には、悲鳴を鏑矢に、非日常に導かれるようにして家を出た。そして戦いがあり、城に呼ばれ、今は華やかな連れとともに帰ってきた。朝の出来事がとても遠くに思えた。クリネはしゃがみ込み、店先の花を眺めている。シュリは、そんな妹を、柔らかく見つめていた。店先には、色とりどりの花が咲き乱れていた。店主であるシトリーが、丹精込めて育てた子供たちだ。ちなみに、旅の間のことは近所のおばさんが店番をしてくれるようだ。

「本当にお店なんてやっていたんですね。」

 クリネが、目線を上げると茶化すように言った。

「アクマがやる店になんて、来たくないですか?」

「いいえ、ヒトでもアクマでも変わりませんよ。」

 そういうシュリの言葉には、茶化すクリネを咎めるような響きがあった。クリネはバツが悪そうに笑うと、また顔を下げ花へと目をやった。


 しばらく時間がかかったが、シトリーはできる限りの旅支度を整えた。ゆっくりと支度を整えたかったが、状況が状況だけに、できる限り早くこの町を発ったほうが良いと三人の意見が一致したのだ。ここに帰ってくるまでも、今朝の事件の影響だろう、アクマを見る街のヒトの目は、恐れやとげを隠そうともしなかった。


「さぁ、お待たせしました。出発しましょうか。」

「はい、まずは港のあるショウバの街を目指しましょう。」

 こうして、シトリー達の世界をかけた旅は始まった。


「ショウバの街までは、あとどのくらいなのかしら。」

 シトリー達は、王都を出て港のあるショウバへと向かっていた。ショウバは、港で栄えた街だ。王都とは別の街になっているが、実際には、徒歩でも2、3時間で到着できる距離である。三人は、街をつなぐ草原に敷かれた街道を歩いていた。暇を持て余すかのようにクリネが尋ねた。

「すぐ着きますよ。もうすぐこの街道をぬけます。そうしたら、ショウバの街ですよ。」

「シトリーさん、ショウバへ行ったことがあるのですか?」

「えぇ、仕事柄。港ではものが集まりますから、仕入れなんかのために時々行くんですよ。」

「そうだったのですね。…あら?」

「どうしたの?クリネ…っ。」

 シュリとクリネの目つきが変わる。

「二人とも、どうしたんですか?」

 二人が、険しい目つきで道の先を見据えている。

「気づかないんですか?アクマが来ますよ。」

「え?…あ、あれは!」

「シトリーさん、知っているのですか?」

「あれは、カーリ。下級のアクマですよ。だけど、群れることが多くて、集団行動を好みます。今回も、結構な数ですね。しかも、穏やかじゃない。」

 シトリーたちの目線の先には、大きな耳と長い爪を持つ、空を飛ぶ犬のようなアクマがいた。五頭、群れのようだ。だが、どうやら友好的な雰囲気は感じず、その眼は獰猛に輝いている。

「こっちに来ますよ!」

 クリネが低くつぶやく。

「わかっています。」

 静かに答えると、シュリは腰に差していた短剣を、そっと引き抜いた。簡素な拵えながら、波型の紋が美しい。どこか魔術的なほどの輝きを見せるその片刃の剣は、不思議な存在感を放っていた。

 クリネはというと、静かな動作で腰に下げていた剣の鯉口を切り、一息に抜き放った。こちらも片刃で、緩やかな反りに真っ直ぐな紋を持ち、丈夫さを求めた拵えなのか、かなりの重さがありそうだった。そんな大物を油断なく構える姿には、並々ならぬ鍛錬の痕跡が浮かび上がっていた。

 シトリーも荷物から杖を抜く。アクマや一部の人間は、シトリーが町中で使って見せたような魔法が使える。この杖は、その力を使うときの照準器のようなものだった。


 ガァァァァッ!

 ギャァァァッ!

 二頭のカーリが一直線にクリネに飛びかかった。クリネは、落ち着いて見据えている。そして、まさにその詰めがクリネへ迫ろうとしたとき、裂帛の気合が響き、ひとつ、ふたつ、白刃が通り抜けた。一つは、上段から袈裟に、もう一つは、返す刀で下段から、刷り上げるような太刀筋。あっけなく、カーリは物言わぬ物体となった。

 その光景を見て、残りのカーリはたじろいでいる。その一頭に、また別の、鋭い光が迫っていた。シュリは真っ直ぐカーリに向かって距離を詰めると、、軽やかな走り込みからひとつ、重たく踏み込み左から短剣が振りぬかれた。カーリはとっさに爪を合わせて防いだ。鋭い音が響き、爪が欠ける。シュリは素早く構えを直すと、まだ体勢の直らないカーリを横凪ぎに深々と切り裂いた。斬られたカーリが力なく落ちる。と、別のカーリがシュリに鋭い爪を剥いた。正面、頭上からだ。シュリは短剣で爪を受けると、そのまま一歩、体を寄せた。力の抜けた爪を受け流すと、短い気合が響き、逆袈裟に切り下した。相手の動きを読み切った、流れるような戦いだった。


 最後の一頭が、シトリーの方へと向かってきた。クリネは少し心配そうにしているが、シュリはむしろ試すような、楽しさすら感じさせる視線を向けている。

 ウグルルルァァァッッ!


 カーリの眼には、狂気すら感じる。四頭もの仲間が、一瞬にして死んだのだ、恐怖は大きいだろう。

 シトリーは真っ直ぐ、杖の先をカーリに向けるとただ一言、唱えた。

“アグ”

 杖の先から一筋の雷光が走り、空飛ぶ獣を貫いた。顔の前面を焦がしたカーリは、はじかれたよう後方へ飛び、息絶えた。 “アグ” 雷を操る魔法だ。雷の魔法の中では最下級のものだが、シトリーの放ったそれは、十分すぎる威力をはらんでいた。

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