108話「無慈悲な鮮血」

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 その、悲鳴にも似た叫び声が部屋に響くのと同時に、大鎌を振り降ろしていた最中の怪物がよろめいた。まるで誰かに押されたように、怪物の体が斜めに傾く。そのせいで大鎌が、本来、狙う位置からずれた位置を通過する。大鎌の刃は瑞輝の額すれすれを通過しながら宙を裂いた。


 梓は、部屋に響く叫び声が誰のものかは見当が付いていた。怪物が倒れたのは、瑞輝のディスペルカースによってでも、駿一の除霊および避霊の効果でもない。怪物は物理的に押されて、よろめいたのだ。

 怪物を押すことは、どれほどの怪力をもってしても、物理法則の檻に捉えられた存在には不可能なことだ。怪物と同じ、物理的な実態を持たない概念的な存在にしか実行はできないだろう。それを実行するには、呪い同士の干渉であったり、あるいは霊という、呪いと同様に概念的な存在が持つ力でなければ不可能だ。


「悠か……!?」

 駿一が目を疑った。

「成仏したわけじゃあなかったってことか……」

 悠は、あれから全く姿を見せておらず、駿一はてっきり、この世に満足して成仏したものと思っていた。しかし、どうやら違ったらしい。


「どちらにせよ……今です!」

 悠が弓と矢を手から離し、怪物の方へと、半ば跳躍をするように踏み込んだ。

 梓の手から離れた弓と矢は、カランと乾いた音を放ちながらコンクリートの床に転がった。

 残る呪いはあと二体。ならば、薙刀でも全て対応できる。後二体のことだけを考えるのなら、今から弓を引き絞り、照準を合わせるよりも、薙刀を使った方が早く対処できるだろう。仮にもう一回、冬城に詠唱を許したら、薙刀では遠くに現れた怪物には対応できないが、それは一発一発を撃つのに時間がかかるも同じことだ。これ以上立て続けに怪物が現れたら、弓の速さでは対応できないだろう。

 ならば、薙刀を使って素早く二体を片付ける。そうすれば、冬城を取り押さえるための、最大限の時間は確保できる。時間が最大限確保できたとしても、確実に確保できるかは分からないが、少なくとも、今、出来る範囲では最大限の時間が確保できるのだ。冬城を救うには、このやりかたを選ぶ他に、手は無いだろう。


「なっ……!?」

 この現象に、一番の驚きを見せたのは冬城だ。ただ怪物がよろめくさまを見せられて、唖然としている。急に表れた、あの人物は誰なのだ。そして、どうじて呪いを押しのけられるのだ。冬城の頭の中は混乱のただなかにある。


「たぁぁぁ!」

 梓が怪物に接近しながらも背中から薙刀を引き抜くと、その瞬間に、薙刀の端の両側に付けられている刃が、両側同時に一瞬にして白い光に包まれ、輝きだした。梓はそのまま雄たけびを上げ続けて、薙刀で怪物を斬りつける。

 破魔の力を矢に乗せるのには相当な練習を要した梓だが、薙刀となれば話は違う。一瞬にして強力な破魔の力を薙刀に流し込み、怪物の一匹を両断した。


「あと……一体です……!」

 梓が冬城の周りを注視する。悠について疑問に思うことは色々とあるが、今はそれについて話している時間的余裕は無い。少しでも時間を無駄にすれば、冬城は怪物に首を切られてしまうだろう。


「あ……っ!」

 間に合わない。梓は思った。残りの一体は、遠くに出現しても薙刀を投げれば対応できる。そう思っていた。しかし、怪物は冬城の真後ろに現れていた。

 梓がこのまま薙刀を投げれば、それは冬城に当たるだろう。思い切り投げれば、もしかすると冬城の体を貫く形にはなるが怪物に命中するかもしれない。しかし、その場合の速度の減衰を考えると、例え怪物に当たったとしても、怪物が冬城の首を切った後になるだろう。無論、薙刀で体を貫かれること自体、当たり所次第では死に直結する。それすら迂闊には実行できない。


「! ……」

 万策尽きた。そう思いつつ、梓は横に跳躍して、薙刀を投げても冬城に当たらない位置へと移動しようとした。だが、その間にも怪物の大鎌は冬城の首に向かって振り降ろされている。


 ――ドシャッ!


「……くっ!」

 梓が思わず顔を逸らす。人が体の一部を切り離されて死ぬ光景は、梓にとってはそれほど珍しい光景ではなかった。


 冬城のように、自分の力では解決できない事件も、当然あった。その時は、首が切り離されるよりも、もっと悲惨な死に方をした人を見た。

 また、幽霊にしても、人の体を保ったまま現れるとは限らない。最初から胴と首が切り離された状態で姿を現し、その上、その傷口から、血が絶え間無く、延々と流れているといった霊も、梓は見たことがある。


 すでに死んでいるという面では、変死体が関わる事件も梓の所に頻繁に舞い込んでくる。今回の連続殺人などは、そのいい例だろう。今となっては、あの怪物の大鎌によってだと分かっている、胴から首が切り離された死体。既に血が渇いて黒ずんだ染みになっていたものから、切断からそれほど時間経過がしていなく、真っ赤な血が生々しく首の周りに溜まっている状態の死体。この、ジュブ=ニグラスの呪いによる連続殺人事件のおかげで、胴と首が切り離されている死体だけでも、何十と見た。勿論、そこから手掛かりを探さなければならないのだから、何十枚もの写真を、何回も見たことになる。

 過去には、何故かパソコンのディスプレイから下半身だけがにょきっと生えているような死体もあった。ディスプレイの曲面に、ぴったりと沿った形で上半身が切り取られていて、当然の物理法則に従って、下半身の断面からは、ディスプレイを伝って、血がだらだらと垂れているのだ。


 しかし……そういった、おどろおどろしい死体を何通りも、そして何回も見てきた梓でも、目の前で消えゆく命を見るのは耐え難い苦痛だった。

 梓が顔を反らした先には、駿一の唖然とした顔があった。

 駿一は、無慈悲にも、落とされてしまった冬城の首を見ているのだろう。あるいは、胴の方か……。冬城の首と胴体が切り離され、そのそれぞれの切断部からは真っ赤な鮮血が吹き出している。そんな様子を見ているのだろう。梓は最初、そう思った。

 だが、駿一の驚く顔は、どうやらそういった様子を見ているような顔ではないと、梓はすぐさま気付いて、急いで冬城の方を向いた。

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