107話「二回目の呪い」

「イア千匹の仔を孕みし者よ……イア狂気を産みし黒き女神よ……その力の一片を我に……Ph'n――gl――ui……mg――l――w'nafh……ジュブ・ニグラス……フタグン!」


 ――ゴゴォォグゥォォ……。

 冬城が唱える、奇妙な呪いの詠唱と、人間のものとは到底思えない叫び声が混じり合う。その叫び声が怪物の断末魔なのかどうかは、証明する術は無い。だが、いずれにせよ、梓の放った破魔の矢により、また一体、怪物が梓によって浄化されたのは、確固たる事実だ。


「四体目……冬城さん!」

 怪物を浄化し終えた梓が急いで振り向くころには、冬城はジュブ=ニグラスの呪いに必要な儀式の一つである詠唱を終えていた。


「冬城さん、呪いに操られてはだめです! 呪いを受け入れたら……!」

 梓は冬城に駆け寄りながら冬城に叫んだが、その言葉は冬城の言葉によって遮られた。

「もう呪いしかないんだよ。あたしを理解してくれるのは」

 冬城が、少し悲しそうな声で言った。

「受け入れてくれる人は居ますよ! だって、生け贄は……っ!」

 梓が口を閉じた。冬城が新たな魔法陣に、粉をかけ終わったからだ。恐らくは、コピーか手書きかの魔法陣をポケットの中に、複数枚用意してあったのだろう。冬城は梓が駆け寄る間に、手早く机に魔法陣を敷き、まだ皿に残っていた粉を振りかけた。


「……やりな、死神」

 冬城が言う。

 梓が唇を軽く噛み、悔やんだ。梓は呪いを実行させないために、ひとまず取り押さえようと冬城のもとへと走って向かっていたが、冬城がここまで用意周到なのだから、間に合うわけはなかった。あるいは、次の呪いに備えて弓を弾き絞るのをやめて、冬城のもとへ走って呪いの実行を阻止していれば、梓は冬城を取り押さえて、これ以上、呪いを実行させないように出来たかもしれない。

 しかし、それは結果論でしかない。それを今更考えている暇は無い。梓はかぶりを振って、いつの間にか目の前に現れた、呪いによって顕現した怪物に弓を向け、放った。


 ――ブゴブゥゥ……。

 怪物の大鎌が梓の首に触れる寸前のところで、怪物は梓の破魔の力によって浄化された。また一人、怪物が消える。


「――もう呪いしかないんだよ。あたしを理解してくれるのは」

 浄化されていく怪物を見た梓の脳裏に、冬城の言葉が蘇る。その言葉はどこか悲しそうで、無気力に聞こえた。


 ……そうだ。私は何回も、呪いや心霊によって人生を変えた人間を見てきた。そして、その中には死による決着も、少なからず存在している。

 追い詰められた今の冬城は、まさに、その死を望んでいる。そう自分自身の直感が告げている。冬城が望むのは、死……。


「くっ……!」

 冬城は死なせない。梓はそう決心したが、現実はそんな梓の理想とは真逆に動いている。今回の呪いは、一回目よりも準備が整っていない。つまり余裕が無いのだ。このままでは、次の怪物は倒せない。梓は絶望しながらも、そんな絶望には負けるものかと歯を食いしばり、次の怪物のために弓を弾き絞る。

 とはいえ、次の怪物は、弓を弾き絞る余裕さえ与えてはくれないと、梓は思っている。

 場合によっては、自分がそのまま殺されれば、呪い返しの分の怪物は無くなる。生贄の分は問題だが……と、梓がそこまで考えた時、梓の鼻に、にんにく、御香……その他、梓には判別しきれないような、様々な、複雑で強烈な匂いが入ってきた。

「う……!?」

 梓の横を通り過ぎた、不可解な臭いを放つ紫色の袋は、そのまま怪物の方へと向かっていき、怪物の顔面に、こつんとぶつかった。


 ――!!?!!??


 怪物は明らかに動揺した様子で、身をよじらせて悶えている。

「そいつは俺のお守りだ! 梓さん、怯んでるうちに!」

 梓がコクりと頷いて、弓の弦を離した。破魔の力が宿っている矢は勢いよく放たれ、怪物へと命中する。勿論、梓の強力な破魔の力は、怪物を消滅させた。


「助かりました!」

 梓は駿一に一言礼を言い、つぎの破魔の矢を撃つべく、弓を引き絞る。

「うおおっ!」

 次の瞬間、冬城の叫び声が聞こえたのと同時に、梓の体に衝撃が走った。冬城が梓を押し倒したのだ。

「冬城さん……!」

「させねぇ……!」

 梓の手から滑り落ちて、床に転がる弓と矢。そして、梓と冬城もまた床に伏していく。冬城に梓がのしかかられるように、床に伏したのだ。


 その執念はどこから来るのか。家族を失った孤独感か、呪いに魅了されきった感情からか、それとも過剰なまでに衝動的な死への願望か……いずれにしても、冬城は救わねばならない。

「んっ……んんあっ……!」

「うぉっ!?」

 冬城は喧嘩のために体を鍛えていたのだろう、普通の女性とは思えないほどの強い力によって梓は抑えられていたが、それでも、あがないきれない力ではなかった。梓はやっとの思いで冬城の手を振り払い、逆に冬城を押し飛ばした。


「く……破魔を……!」

 梓の口から、無意識的に出てしまった言葉に反して、怪物は既に大鎌を振り上げていた。梓が弓を拾い上げるかどうかのうちに、怪物はその大鎌で、梓の首を刈ってしまうだろう。


「穢れしその身に解呪のげんを……ディスペルカース!」

 地下室に響いたのは、瑞輝の詠唱の声だった。瑞輝の手から光が放たれると、それは怪物に命中した。

「あ……」

 怪物が体を仰け反らせるのと同時に、瑞輝は体全体の力が抜けたようにだらりと腕を、そして首を垂れさがらせると、受け身も取らずにその場の床に崩れ落ちた。


「瑞輝さん……!」

 突然気絶した瑞輝に驚いて、梓は瑞輝に駆け寄ろうとしたが、かぶりを振って、その気持ちを胸中に押し込めた。怪物は一時的に怯んだだけで、すぐに体勢を立て直し、瑞輝の首を斬りにくる。まずは怪物をどうにかしないといけない。


 梓は床を思いきり蹴り、床に落ちている弓の方へと跳躍した。そして、弓を取りつつ、体を頭から前転させて受け身を取った。

 一回転して片膝をついた状態で、矢の方は背中の矢筒から調達し、弓にセットして引き絞ろうとする。

(間に合わない……!)

 梓が悟った。梓が冬城を押しのけ、再び弓と矢を用意している間に、怪物は体勢を立て直し、大鎌を振りかぶっていた。そして、今、床に倒れているミズキの首を狙って、大鎌を振り降ろすところだった。


 その時、誰かの叫び声が、地下室に響いた。

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

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