109話「ビッグフット」

「へ……まさか、お前がこんな奴だったなんてな」

 梓は、不意に聞こえてきた、見知っている声色に驚いた。言葉の内容から、冬城に言っているものと思われるが、梓がそれを無視して声を上げたのは、その声の主があまりに意外な人物だからだ。


「えっ、ティムさん?」

 梓が思わぬ人物を見て、思わず目を疑った。そこに、病院で寝ている筈のティムの姿があったからだ。ティムは冬城に覆いかぶさるようにして、冬城と一緒に床に倒れている。怪物の方を見ると、どうやら大鎌を振り抜いた様子だ。腕が、鎌を振りかぶる方とは逆の位置にあり、鎌は下を向いている。

 この状況から、梓は推測する。梓が三匹目を二回目の薙刀で切り裂いている時、この地下室に、ティムはすでに侵入していたのかもしれない。そして、三匹目を倒したら、四匹目の怪物が現れる。それは当然、冬城を襲うことになる。

 冬城を相手に大鎌を振り上げる怪物を見たら、ティムならば冬城を守るために、急いで冬城を突き飛ばし、大鎌の一撃をかわさせるだろう。


「……!」

 ふと、梓が、呆気に取られている場合ではないと気付き、薙刀を大きく振りかぶった。


「大変! うおおっ!」

 直後、梓の後ろから女の子の大声が聞こえたと思ったら、突然、怪物に向かって透明な、ほぼ真球に見える球が梓の横を通過して怪物の方に向かっていった。

 透明な球は、怪物にぶつかる直前で、空中に静止した。直後、怪物は、その球を見て、なにやら狼狽えだした。体をくねらせて苦しそうに、その細長い羊の骸骨のような顔を激しく振っている。


「あれは……それなら……!」

 梓が駆け出す。梓は、あの透明な球のことを知っていた。なので、次の行動を少しだけ変えることにした。


「ええいっ!」

 梓が声を上げながら、薙刀を横手で投げた。横手に投げられた薙刀は、ぐるぐると回転しながら怪物に迫っている。回転している間にも、両端の刃が激しく光り輝いているので、その姿は、まるで外側が光る円盤のようだ。


 これで怪物は大丈夫。梓はそう思った。ティムが冬城を押し倒したおかげで、冬城を傷つけずに、そして、障害物に勢いを減衰されずに、後ろの怪物を確実に仕留められるようになったからだ。梓は最初、やり投げのように真っ直ぐに薙刀を投げるつもりでいたが、今の状態では、下に冬城とティムが横たわっている。なので、薙刀が進む範囲を、横方向に広く取ることができる。薙刀を横方向に回転させても十分なスペースが確保できているということだ。ならば、より確実に怪物を浄化できる手段を選びたい。

 横投げをすれば、怪物に命中する範囲は点の範囲ではなく線の範囲になる。少々念を入れすぎな感はあるが、その時考えられる最善の手を尽くすべきだろうと、梓は考えた。


 ――ゴォォォォ……。

 回転する薙刀が、怪物の胴の辺りを切り裂きながら、怪物を通過した。薙刀に斬られた怪物は、人間では到底出せないような、独特な悲鳴を上げている。そして、やがて腹から湧き出た光が全身に回り、怪物の体全体が光に包まれて、消えていった。


 梓は薙刀を怪物に投げつけた後も走っていた。目指しているのは儀式の準備が整えられている、背の低い木の机だ。

「これを……!」

 梓は、机の前に到着するなり、少し灰色がかった白い粉が、山盛りとはいかないまでも、まだたっぷりと盛られている皿を、手で弾き飛ばした。冬城の方ではなく、反対側の壁の方にだ。

 ガシャリと皿が割れる音がして、粉が舞い散る。

 梓は更に、魔法陣の書いてある紙を手に取ると、ビリビリと何回も破いた。


「はぁ……はぁ……これでもう、呪いはできませんよ」

 終わったとばかりに、梓はがっくりと肩の力を抜いて首を垂れた。そして、大きく一回息を吐くと、依代である木彫りの像には、怪物の胴を通り過ぎた薙刀が刺さっていた。それによって、依代がどう影響を受けたのかは、梓にも定かには分からない。しかし、他のもの、粉や魔法陣を壊したのだから、もう呪いを実行することは不可能だ。


「……」

 もう、呪いは出来ないという梓の言葉を受けても、冬城は無表情で沈黙している。……と、冬城は徐に口を開いた。


「イア! 千匹の仔を孕みし者よ! イア! 狂気を産みし……!」

「うおっ!?」

「んーっ! んーっ!」

 ティムに、手を口に押し付けられた冬城は、じたばたとしながら、無理矢理に声を上げ続けている。


「あっ、ティムちゃん、やめてあげてください。口から息ができなくなるですよ」

「んっ? し、しかし、冬城の奴、怪しげな呪文を……」

「もう、呪文の効果はありませんよ。儀式の仕掛けは壊れてるですから」

「そ……そうなのか……」

 梓が大丈夫だというので、ティムは恐る恐る冬城の口を押さえていた力を緩ませる。

「――ぶはっ! イア! 千匹の仔を孕みし者よ! イア! 狂気を……くそぉっ!」

 冬城が呪文の詠唱をやめた。いくら呪文を詠唱しようと、呪いの祭壇を滅茶苦茶にされてしまったのでは意味が無いからだ。しかし、無抵抗になったわけではなく、ティムの拘束を振りほどこうと、じたばたとしている。

「落ち着けよ冬城! ……ったく、お前がこれほど悪趣味だとは思わなかったぜ……!」

「何が悪趣味だ! 呪いは私にとっての救いだ! てめえこそ離しやがれ、このゴリラ女!」


「えっと……ティムさん……」

「任せておけ梓。力の無い奴に、下手に手伝われるより、こうやって一人で押さえてた方がやりやすいぜ。雪奈でも居てくれたら、手足を壁にでも氷で固定できるんだけどな」

 ティムの言葉を聞いて、梓はハッとして周りを見渡した。存在感の無い雪奈なら、もしかしたら、さり気なくここに居るのではと思ったからだ。しかし、どうやら今回は、本当に居ないらしい。

「……じゃあ、疲れると思いますけど、冬城さんが落ち着くまでお願いするです」

「おう! なに、この程度じゃ疲れねーよ!」

「言ったなティムめ!」

「おっ!? 暴れんじゃねーよ!」


「……さてと」

 力によっても言葉によってもぶつかり合いをしている、ティムと冬城の二人の横を通って、梓は瑞輝に駆け寄っていった。

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