7話「丿卜夕二」

「……やっぱり、もう霊気は残っていないみたいですね。霊も居なさそうです。普通に成仏したんでしょう」

「後に残うたのは、この血生臭き匂いのみ……か……」

 梓と丿卜は、辺りを眺めた。射線の無い狭い道路の中央には、まだ黒い血溜まりの跡が残っている。

「この争いの無き世に、かほどに不似合に見えるとはな」

 丿卜は全身が鎧で包まれていて表情は見えないが、梓には丿卜の顔が曇っているのだと思えた。

「ちょうど、こんな時間にあったんですよね、首切り殺人」

 奇しくも被害者の死亡時刻と、丁度同じ時間に、この事件現場に来ていた。

 辺りはすっかり薄暗くなっていて、下に広がる大きな血だまりが一層異様に見える。

 この道も大通りからは離れていて、人の音も車の音も、たまに小さくしか聞こえない。周りの塀越しに見える木々の騒めきの方が大きく聞こえるくらいだ。

 それらが相まって、ここは不気味な雰囲気に包まれている。時間帯が違えば、雰囲気も違ってくるのだろうけど。


「これですか。ダイイングメッセージって」

 梓の足元には、確かに「GO」の文字が書いてあった。

「本当にGOなのでしょうかね……」

 写真で見た時は、上下も明確だし杏香の解説もあって、はっきりとGOと見えたが……実際にここに来て見てみると、上下も不明確で字形も乱れていて本当にGOなのかは怪しい。

「汚う字ではあるが……他に何に見えるかと問われてものう。GOが一番近くはあると思うが」

「そうですねぇ……他の何かに見えるわけでもないし……GOなんでしょうね」


 梓は他に目ぼしいものがないか、血溜まりの周辺をぐるりと一通り見て回った。


「目ぼしい物は掃除されているか、警察のかたが持っていったんでしょうね。でも、何も証拠は出てこなかったと。うーん……」

 辺りは異様な雰囲気ではあるものの、血溜まり以外には異常な所は見つからない。

 これで、ちゃんと、プロによる鑑識が行われて、なおも証拠がなにも出てこないとなると……確かに、跡形も残らない、オカルト関係の事件だという可能性は高いだろう。


「テレビで流れておった映画でよく言っておるのだが、『GO』とは『いざ行かん』という意味であろう?」

「ええ、まあ。直訳すると、『GO』は「行く」って意味です」


 梓の頭に普段の丿卜の様子が思い描かれる。丿卜は、何も用事が無い時は、いつも寝転がってテレビを見ていた。昔の人らしくもなく、霊らしくもない丿卜の様子を、梓は時より微笑ましく眺めていた。


「しからば、このGOはいずこへと行くという意味のことを示してはおらんのかな」

「んー……どこかに行けっていうことなのでしょうか」

 梓は巫女服のポケットから写真を取り出し、改めてまじまじと見た。

「それっぽいと解釈できるものはあるですけど……」


 そこには血溜まりに浸かった指が写りこんでいる。

 GOから少しだけ離れた血溜まりに人差し指が置かれる形で、写真には写っている。

「この指が何かを指しているとしたら……」


 写真と実際に書かれているGOの字の角度とが合致するように、写真を見ながら移動する。

「ここから、こう、指さしてるということですから……」

 それらしい角度で見える位置に移動した梓は、指の方向を近くから遠くへとずらし、それに伴って視点もゆっくりと移動させて見ていく。

「あれくらいでしょうかね」

 ぴたりと止まった梓の指の先には、ここよりも狭い小道がある。

「左様にござるな。他に目立つものも無い故、その脇道を行くのが得策であろう」

 小道の両側には石造りの塀と、その隙間から見える生け垣、更に内側にあるであろう、庭に生えている木が見える。閑静な住宅街にある、日常的な風景だ。

「そうですね。今のところ、特別なものは見当たらないですねぇ」


 丿卜の言う通り、梓はひとまず小道を進んでみることにした。小道は死体のあった道よりも更に狭く、バイクが辛うじて通れるくらいの道幅だ。車は入れそうにない。小道に入って最初の方には、死体のあった道から伸びた塀が更に続いているが、奥は少し違う。塀が無く、生け垣だけの家もあれば、仕切りは一切無い家、花壇や鉢植えで埋められている家もある。他にも車庫や犬小屋があったり無かったり、もんに獣のような彫像が付けてあったりと千差万別だが……。


「これといって取り立てて変な所は無かったですね」

 暫く細い小道を歩いてみたものの、なんのことはない。どこにでもある住宅街の光景が広がっているだけだ。

「丿卜さんは、何か変わったところ、見つけたですか?」

「いや、かように言われてものう……」

 丿卜さんも同じようだ。これといって変わったところは見つからなかったらしい。梓はフゥと、短いため息を一回ついて、来た道を引き返すことにした。


 再び死体のあった場所に戻ると、そこには一人の見知らぬ男性が居た。念入りに血溜まりの跡を調べているところを見ると、この事件に何らかの関係者なのだろう。梓は話しかけてみることにした。

「あの……この事件の関係者さんですか?」

「ん……俺はこういう者だが」

 男性はスッと胸ポケットに手を入れた。そして、取り出したのは警察手帳だった。名前は杉村叡吉すぎむらえいきちと言うらしい。

「ああ、警察の方ですか。お勤めご苦労様です」

「そういう貴方は?」

「私はオカルト便利屋の四季織しきおりあずさというものです」

「ほう、貴方がね。噂は聞いている。少しでも非現実的なことがあるとしゃしゃり出てくる巫女さんだな。まあ、我々の邪魔だけはせんでくれたまえよ」


 杉村の態度が、急に高圧的になった。

「邪魔?」

「素人は下がっていろという事だ。今回も付け入る隙を見つけて金欲しさに現れたのだろうが、霊能者などという詐欺師の協力は受けん」

「ええと……私は警察から捜査を依頼されて調べているんですが……」

「ならば俺から依頼しよう。霊能者など要らん。邪魔だから退去してもらおうか」

「要らないって……杏香さんからは、警察とは協力関係だって聞きましたけど……」

「あの女か……あんな外部の奴に頼らなくたって、俺達だけでやれるのに……いいか霊能者、それは非現実的な考えを持った一部の頭のおかしい連中が、楽をしたいだけで如何わしい奴の手を借りたがっているだけだ。我々は現実を見て捜査せねばならない」

「それはそうですけど……現実的な観点でどうにかならない時の私であってですね……」

「だから、その役割は要らないと言っているだろうが!」

 杉村は苛立ちを露にさせたような声色で、吐き捨てるように言った。


「この世の中には限られた人しか見れない現象や、科学では証明できない事があるんです。この事件がもし迷宮入りするようなことがあったら、私達の出番なんです」

「そうならないために、こうして捜査しているのだ。お前みたいな奴が邪魔すると、捜査が捗らずに打ち切られるのだよ」

「心霊や呪い関係なら、貴方達警察がいくら捜査しても、科学的……つまりは物質的に証拠が出ずに未解決事件になってしまうかもです。だから……」

「これだけの事が起きているのだから、証拠が出ないわけないだろう! 未解決事件になったら、それはお前が邪魔したからだ。我々はこの事件ばかりを追っているわけではないのだぞ、無駄な時間を割いている余裕は無いのだ!」

「でも……」

「これ以上妨害すれば、公務執行妨害で現行犯逮捕するぞ!」

「一応、警察からの許可証は貰ってるんですけど……」

「一部の非常識な人間の独断だ! そんなもの受け取れるか!」


 全くの平行線。梓は諦めることにした。杉村さんはどうしても、梓をこれ以上、ここに居させたくないようだ。

「……しょうがないです。帰るですね」

「致し方なしか。味方同士が争うていても、事は進まぬからな」

 梓は丿卜に対してこくりと頷くと、踵を返して歩き出した。


「譫言を言う頭のおかしな詐欺師には、味方面をされるだけで迷惑だ。肝に銘じておけよ!」

 杉村の声が、梓の背中に浴びせかけられる。


「やれやれ、頭の固い奴だのう」

「仕方ないですよ。むしろ、警察の行動としては全うです」

「うーむ……なれど、理解を示す者もおる。昔は隠密同心なる輩もおったのだから、これしきのことは穏やかなものだと思わぬか?」

「いつの時代ですか、それ」

 梓は思わず吹き出してしまった。

「とはいえ……その隠密同心や特別高等警察……憲兵も、立ち位置的にはそうでしょうか。いい組織ではなかったですけど、警察とは別に、それらが存在した時期もあるですからね。霊能者も、以前は、そういった人達とも協力関係があったらしいですが……」


 梓はちらりと後ろを向いた。杉村の姿はもう見えない。ほっと胸を撫で下ろす。緊迫した状況には慣れていて、今回のような状況だって何回も経験しているが、それだって、あんな剣幕で怒られた時は、毎回、恐怖心に駆られてしまう。

 人間、完全に平気になる事なんて、できない。


「杏香さんの場合、同じ怪異や超常現象の類を相手にしていても、私よりも具体的な証拠が得られるので、その分、警察の信頼を得られやすいのでしょう。……とはいえ、杉村さんは、それも信じていない様子ですが……なんにしても、一回、戻るしかなさそうです」

「ふむぅ……有益な情報は得られなんだな」

「そうですね。残念ですが……ここは仕方がないですね」

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