3話「コーラも貴重な……」

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……ぜえ……ぜえ……」


 やばい。予定通りに事は運んだのだが、席について魔法が切れた途端、相当な疲れが押し寄せてきた。

 心臓ははち切れそうなほどバクバクと鼓動し、呼吸も凄く激しくなっている。

 足も、この状態で立ったら倒れそうなほどがくがくとしている。

 周りから見ても、明らかに不自然じゃないだろうか。


「はぁ……はぁ……うぅー……」


 荒い呼吸が一向に治まらない。朝のホームルームが始まる前にどうにかしないと絶対に目立ってしまう。

 かといって、魔法を使うわけにもいかない。今かけてあるライアービジュアルが解けてしまう。教室の中で、いきなりピンクの長髪の女の子になるわけにはいかない。


「息が切れてるんなら、お水を……っ!?」

「はぁ……はぁ……っ!」


 瑞輝は咄嗟に吉田の手を掴んだ。

 吉田はびっくりしたような顔をして、瑞輝共々固まってしまったが……暫くの後、口を開いた。


「お……や……やあ、桃井君。朝から元気がいいじゃないか」


 吉田が言った。その話し方は、ちょっとしどろもどろになっているようだ。

 瑞輝にはよく状況が飲み込めていないが、ここは冷静に考察してみる。

 僕が後ろ手に吉田君の手を掴んでいて、その手にペットボトルを持っているというこの体勢から察するに、いつものように、僕の頭上から水をかけようとしていたのだろう。

 そして、テンパっていた僕は、反射的に吉田君の腕を掴んで危機を回避してしまったというわけだ。


「えと……よ、吉田君、ご、ごめん……」

 瑞輝もどう言えばいいか分からず、しどろもどろになりながら返答した。


「……離せよ」

 バツが悪そうに吉田が言う。


「ああ……ごめん、お水、もらっていいの?」

「うん? ……」

 吉田は無言で瑞輝に手に持ったペットボトルを渡した。

「ありがとうね。……ング……ング……」

 ありがたい。水分補給は学校に来る前にしたのだが、未だに治まらずにだらだらと垂れ流されている汗のせいなのか、それとも、ぜえぜえと激しく息をしているおかげなのか……分からないが、もう喉が渇いている。

 瑞輝は勢いよく水を口に流した。つもりだった。


「ゲホッ! ゲホッ!」

 むせた。お水かと思って飲んだが、よく見たら黒い液体が入っている。コーラだ。

「コ、コーラだったんだ……」

 人の脳というのは不思議だ。コーラだって、普通に飲んだら美味しいのに、水だと思っていたのに、想定外の炭酸が入ってきた場合は、途端にスムーズに飲めなくなる。

「おっ……? は……ははっ、お間抜け野郎だか……ら……」

「コーラでもいいや。ング……ング……」

 最初は喉の違和感にびっくりしたが、予め炭酸だと思って飲むと、すいすいとお腹に入る。喉越しも爽やかだ。ゼエゼエと息をしながら飲むには、炭酸は不向きだが、急激に襲ってきた喉の渇きには、どんな飲み物も有り難くかんじる。

「ぷはっ……はぁ……はぁ……ありがとう。助かったよ」

「……」

「……吉田君?」

「……チッ!」

 吉田は激しく舌打ちをして、ペットボトルを瑞輝の手から、奪うように乱暴に取り上げた。

 そして、不機嫌そうに自分の席に歩いていき、やっぱり乱暴に腰を下ろした。


「……悪い事しちゃったかな」

 瑞輝が吉田を心配そうに見る。あの異世界事件の時から、どうも自分が自分じゃなくなったというか……転生したのだから当たり前なのだが、魔法はともかく反射神経まで良くなっているみたいだ。

 分かりやすく言えば、以前ならどん臭く転んでいたのが、受け身が取れるようになったというか、そもそも転ばないようにもなっているのかもしれない。

 体自体違うのが原因なのだろうか。そうでなくても、化け物と戦うような体験をしたのだから、反射神経は鍛えられるだろうが……。


「……あ」


 ふと、瑞輝の目に、目の前の冬城ふゆき幸恵さちえの姿が目に入る。

 冬城は、少し長めの髪を後ろで留めて、少しだけ茶色に染めている。勿論、風紀検査の時は引っかかるが、あんな感じに気性が荒いので、逆に何でいけないんだと先生に言い寄り、ごたごたが始まるのがお約束の流れになっている。

 先生は先生で、他の女子と比べて冬城には遠慮が無い。冬城の普段の行動がそうさせているのか、それとも冬城の女を感じさせない男口調がそうさせているのか……。

 冬城は、保健体育や美術も含めて、全教科の成績はトップクラスなのに、あの態度でだいぶ損をしていると、瑞輝は思った。


「……なんだよ」

 冬城が、不機嫌そうにこちらに吐き捨てる。

「いや……な……なんでもないけど……」

「だったら、じろじろ見るんじゃねーよ!」

 なんだかしらないが、怒られた。


「う……うん……」

 瑞輝はそっと目線をずらして……取り敢えず、教室の入り口の方へ目をやった。


「あからさまに見ないようにするんじゃねーよ! イラつくなぁ!」

「えー……じゃあ、どうすれば……」

「そんなくらい自分で考えろよ!」

「そんな無茶苦茶な……」

 瑞輝は頭を抱えた。


「……なあ桃井」

「……え?」

 途端に普通のトーンに戻って、あろうことか冬城の方から瑞輝に話しかけてきた。


「な……なに?」

 瑞輝が恐る恐る聞き返す。


「さっきの、中々やるじゃん。吉田の奴、びびってたぜ」

「あれは……つい……」

「つい? 『つい』であんな反応ができるんだったら、顔でも一発ぶん殴っちまえよ。そんなだから、吉田が調子に乗るんだ」

「う……うん……」

 瑞輝は冬城の迫力に威圧されて、気の無い返事を返してしまう。

「へっ……まあいいや。面白くなってきたじゃねえか」

 冬城は、最初の不機嫌な感じとは打って変わってご機嫌な様子で冬城の前から去っていった。

「なんなんだ……」


「朝から災難だなぁ、吉田はいつもの事だからともかく、二大にだい男女おとこおんなの一人に絡まれるなんてな。全くあいつらは可愛くもねえし……いっそ、死ねばいいのに」

 上田うえだつとむ君が、どこか上の空で僕に話しかけてきた。

 二大男女とは、さっきの冬城と、もう一人、こっちはあからさまに、燃えるような赤色の髪をしているティムだ。確かに、ティムは冬城さんと似たり寄ったりのトラブルメーカーではある。が、瑞輝にとってはそうでもない。

 瑞輝の、学校外の知人……その人とは、もう暫く会えそうにないのだが、その人にどこか似ている。

 なので、会話もしやすく、知人と会えたような懐かしさも相まって、瑞輝はティムと話していると、なんだか楽しいのだ。

 ティムとはあだ名で、本当は碇夢テイムという名前だ。苗字は……誰も知らない。自己紹介の時も碇夢だとしか名乗ってないし、それどころか名簿にも碇夢としか載っていない。ミステリアスな存在である。

 もっとも、そんな事を言ったら、あの席の周辺にはミステリアスな人々が三人居る事になるが……。


「って、それ……!」

 上田の手元にあるものを見て、瑞輝はヒソヒソと声を出した。反射的にヒソヒソ声になったのは、そうしないといけない気がしたからだ。

 上田の手元には、携帯型のゲーム機がしっかりと握られている。

「ばらしたら殺すぞ」

「わ……分かってるよ……」

 殺すぞとは物騒な言い回しだ。もちろん、本気じゃないだろうけど、恐怖を感じてしまう。死の恐怖を何度も味わっているからかもしれない。


「はぁ……」

 今の事もそうだし、ティムの事もそうだ。今朝みたいに魔法を使う時もだ。時々、過去の事を思い出して……その思い出に浸って何も手に付かなくなってしまう時がある。どうにかならないものか……。

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