2話「ミズキの魔法」
――ピピピピ……ピピピピ……。
「うーーーーん……あーーーー……」
今日もまた、目覚まし時計の電子音が鳴った。うるさい。
――ピピピピ……ピピピピ……。
「あーー……うるさいなぁ……」
――ピピピピ……ピピピピ……。
「昨日遅かったから、もうちょっとだけ……」
――ピピピピ……ピピピピ……。
「
「あれ……?」
瑞輝が睡魔を振り払い、時計を見る。目覚まし時計のスヌーズは何故か切られていて、時間は瑞輝の想定よりも十五分ほど遅く表示されている。
秒の表示を見る限り、時計は正常に作動しているようだ。おぼろげながら、自分がスヌーズ機能を止めた事も覚えている。この事実が示すことはつまり……ギリギリに起きるつもりが、ギリギリの十五分後に起きたという事だ。
「ち、ちょっとちょっと!」
瑞輝は急いでクローゼットを開けて、制服に着替えた。この制服にもようやく慣れてきたので、着替えは素早く終えることができた。急いで鞄を手に持ち、半ば突進するように部屋の扉を開け、廊下へ躍り出る。
「ええと……よし!」
頭の中に、さっと自分を思い浮かべる。
「水よ、我が身を包み、その千変万化の力をここに……ライアービジュアル!」
自分の男の時の姿を、できるだけ細部まで想像しながら、瑞輝は魔法を唱えた。
「行ってきまーす!」
瑞輝は急いで階段を駆け下りると、そのままの勢いで玄関の扉を開けた。
「今日も相変わらず高い声ねー、まだ慣れないわ」
「そろそろ慣れてよ。じゃ、行くから!」
急いで玄関の扉を閉めて、扉越しに叫ぶ。
「明日はもう少し早く起きなさいよ!」
「うん、分かったから! じゃ、行ってきまーす!」
急がないと。だらだら話していては、学校に間に合わない。
「待って! 朝食!」
「あ、そうだね」
瑞輝が立ち止まって、玄関のドアを開ける。
「はいトースト!」
「投げて!」
「お行儀悪いわよ!」
「間に合わないから!」
「全く……」
瑞輝の母がトーストを投げる。
瑞輝は母から投げられたトーストを受け取り、急いで玄関を飛び出した。
「どれどれ……」
トーストを口にくわえつつ、手は鞄の中に突っ込んで、鏡を取り出す。
「うーん……」
手に持った鏡で、顔を映す。顔は特に精巧に再現しないといけない。
「あぁあぁあな……?」
口にパンを加えているので全然発音できていないが、「まあまあかな」と言った。これならかなり近くで見られても違和感が無いと思う。及第点だろう。瑞輝は納得して、スマートフォンの時計を見た。
「この間よりも余裕、あるな」
この間、遅刻しそうになった時の事が思い出される。そう、瑞輝が異世界から帰って間もない時だ。あの時も、こんな感じでばたばたとしながら学校へ向かっていた。
「急ごう」
余裕があるといっても、この間に比べたら、というだけだ。ギリギリアウトな時間な事に変わりはない。
「どうしようかな……」
異世界で転生したおかげで魔法が使えるようになったのは便利だが、以前の瑞輝とは全く別の姿に……女の子になってしまったので、結局、魔法で姿を変えて誤魔化すことになった。
なので、魔法は使えるが、変身が解けて女の子の姿になってしまう。その対策として、女子用の制服を着て、制服ごと姿を変えるという事をやっているので、他人のふりをして誤魔化せはするのだが……変身の魔法はかけ直さないといけない。
ダブルキャストを会得すれば、変身したまま一つだけ魔法を使えるのだが、相当練習しないと会得できないらしい。
「ライアービジュアル使うのも、こなれてきたしな……よし、ここは……」
魔法を使った方が早い。使おう。瑞輝は腹に決めて、魔法を唱え始める。
「勇猛なる戦士よ、仮初めの休息により、再びその精神と肉体を動かさん……ナームリカバー!」
光属性の魔法なら、ある程度は使いこなせる。効果も十分だろう。
「よぉし……」
魔法を唱え終わった瑞輝は全力で走り出した。普通ならすぐに息が切れるのだが、ナームリカバーを受けた瑞輝は、全く疲れを感じない。しかし、疲れが溜まらない魔法ではない。あくまで感じないだけなので、魔法が切れたらどっと疲れが出てしまうだろう。
「でもまあ……この調子なら大丈夫だよね」
この調子で全力疾走し続ければ、学校までは、そう時間はかからない。むしろいつもよりも早く着いてしまうだろう。
なので、学校の近くまで行ったら、適当な所で体を休めつつ、ライアービジュアルを掛け直せばいい。
教室にもゆっくりと向かえば、その間には体は相当、休まるだろう。
「とにかく、急がなくちゃ!」
「お? あの女、スゲーな」
「相当飛ばしてるぜ、あれは」
駿一は、女の子が自分の横を通り過ぎてから、遠ざかって姿が見えなくなるまでずっと見ていたが、その間、ずっと同じペースで走っていた。
「あのペースで学校まで行きそうだな……何かのトレーニングか?」
陸上部の奴だろうか。しかし、陸上部であのピンク色の髪の色は怒られないのだろうか。
駿一がそんな事を考えていると、すうっと
「うーん……?」
悠は幽霊だ。
酷い霊媒体質である駿一は、常人とは比べものにならない頻度で霊に絡まれてしまう。こんな風に、幼馴染の幽霊に取り憑かれる事だってある。
もっとも、悠の場合、今までの霊の中でも一番長く取り憑いている、特殊な霊だが……。
「ん……悠、どうした?」
「どっかで見たことあるような……」
「そりゃ、同じ学校なんだし、見たことぐらいあるだろ」
「いや、そーゆーんじゃなくて……」
悠は更に考え込んでいる様子だ。いつも碌に考えもせずに、脊椎反射で声に出している悠にしては、珍しく悩んでいる。
「ああ? なんだよ、はっきりしねえな」
「うん……でも、見覚えあるんだけどなぁ……」
「学校で見たんだろ。あんなピンク色に髪の毛染めてりゃ、印象に残らない方がおかしい」
「いや、ピンク髪の子なんて見たことないけど……でも、なんだろ、見たことある気がするんだよね……しかも、結構身近で」
「身近? 死ぬ前って事か?」
「うん、そうなるよね、でも……最近にも会った気がするんだよね、なんとなくだけど……んー……誰だったかなぁ……」
「死んだ後にか? じゃあ学校でかな……うん?」
駿一は、ふと、不自然だと思い、歩みを止めた。悠はそれをみて「あれ? どうしたの駿一」と尋ねた。
「いやな、あれだけ目立つ髪の色してるのに、学校で一度も見かけたことないなって思ってな」
「ああ……確かにね。なんでだろ?」
「俺に見えて、お前に見えて……他の奴はどうだろうな?」
「それって……幽霊ってこと!? えーーー!?」
悠の顔が、途端に青ざめた。
「……お前も幽霊だろ。驚くんじゃない」
「いや、だってさ、どう見ても生きてるように見えたし、『実は幽霊だったんだ』系の話って、あたし苦手なんだもん!」
「はぁー……そういうもんか」
幽霊が幽霊に驚くというのも妙な話だが、元は人間だと考えると、悠の言っている事の方が自然なのかもしれない。
「何か悔いがあったのかもな、陸上の大会に参加できなかったとか」
「インターハイの直前に夜に練習してて、トラックに轢かれてみたいな!」
悠のテンションが急に上がる。
「短距離だか長距離だかは分からんが……どっちでもいいか」
「マラソンだよきっと!」
「だったら、相当早い部類だが……まあ、入れ込んでなきゃ、化けて出るくらい悔いは残らんだろうが……」
「中距離かな!? でもマラソンであんなに早く走れたら格好いいよね! あ、駅伝かな!?」
悠のテンションが急に上がる。
女という人種は、霊になってもこの手の話題への食いつきが凄いらしい。
いや、むしろ霊になったから、同じ霊のスキャンダラスな背景や、ショッキングな過去が気になるのかもしれない。
「……やめよう。霊の事を話してたら、他の霊が寄り付きやすくなる」
駿一は言った。そのままの意味でもあるが、こんなテンションで隣で喋られた日には、耳がキンキンしてかなわん。
「短距離だったら、確かにちょっと遅いけど、苦手なことを一生懸命練習してた努力家かも、でも、中距離ってチョイスも渋いよね」
もはや、何の事を話しているのか分からなくなっている悠の声をスルーしながら、駿一は淡々と学校へ向かうことにした。
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