第9話 図書室で会う
夏だ。海だ。う、うみ……。行きたかった……。なんだよ受験勉強って……。
というわけで夏休み。俺たちは学校で勉強していた。一人で勉強しているとだんだん発狂するので、部員全員集めて一緒に勉強した。
天才組はまだしも、佐藤や小林は勉強に全く役に立たない。まぁ1年と2年だし。
勉強はあまり進まなかったが、わぁわぁ言う部員どもと他愛のない話をするのは気晴らしになった。
そんな穏やかな日々がしばらく続いていた。
ある時、図書室で小林を見かけた。小林が書棚に並ぶ本の背をなぞり、確認するように本を探している。会ったのも何かの縁だろう。声をかけた。
「何探してるんだ?」
「あ、先輩。えっと、本を探してます」
ぺこりと頭を下げながら小林が言う。
言うことがすっとぼけている。図書室で本探すのなんて当然だろ。
「何の?俺このまえ色々探したからちょっと知ってるぜ」
可愛い後輩の探し物だ。一緒に探してやらんこともない。そう思って尋ねる。
「魔女と王様の話なんです」
小林はそんなことを言った。その二人の魔女と王様が長い旅をする話なんだそうだ。黒い縁ふちで装丁そうていされているらしい。ただタイトルもわからず作者もわからない。そんなんで本を探せるのか?
魔女や王様の話はよくあるものだ。それだけで探すのは難しい気がする。
司書に聞いたら見つかったのかもしれないが、司書だった爺は解雇されてしまった。
そんな話をするうち、部長の母親の話を思い出した。あの人も魔女って呼ばれていたらしい。
結局何だったんだろうな。あのじいさんは。
俺が少し考え込むように黙ったせいだろうか。小林が期待を込めた目で尋ねてきた。
「何か知っているんですか?」
「あー、ちょっとね。噂うわさで魔女関連のがいろいろあって。まぁその本は知らん」
期待しているところ悪いなと、ごまかすように笑ってそう言う。
「そうですか。どうしても、読みたかったんですよね」
小林がどこか遠くを見つめている。妙に語感が強かった気がした。
ふとこちらを見る。藍色あいいろの目が小さな光を帯びた。
「まぁ知らないなら仕方ないですよね。今日はもう疲れちゃいました。また今度探します。では、部長とのお勉強、頑張ってくださいね」
そう言って小林は微笑みながら去っていった。
あれ、探し物の邪魔しちゃったか?まぁいいか。
小林にあった次の日、俺は部長に勉強を教えてもらっていた。
教室で机を並べて向かい合うように座る。
部長は体術を教えるのが下手だったが、勉強を教えるのも下手だった。
教科書に書いてない解法かいほうでさらさらと問題を解いていく。
部長、変なの公式で解いてもいいけど、解説はちゃんとしてくれ。
だんだん混乱していく頭の中。でも、部長が教えてくれるんだ。これはご褒美、ご褒美……。
一回休憩することにした。流石についていけない。
ふと思い出して、昨日図書室で会った小林の話をする。
「そういえばさ、小林が黒い縁の魔女と王様の本探してるって言ってたんだけど、なんか知ってる?」
「……」
しばらく沈黙が流れる。うん?
部長の反応がない。無視されるなんて珍しいと思いつつ、片づけていた参考書を一旦置き、顔を上げた。
唖然あぜんとした顔の部長が目に入る。
「あれ?なんか変なこと言ったか?」
それに対し、部長は首を横に振る。そして、驚いた表情のまま話し出した。
「まぁでも変なことと言えばそうかも……。それ、たぶん移動の魔道具まどうぐのことだよ」
「うん?」
移動の魔道具?
そんなのあったっけ。俺が知ってるのは、コンロと変な鞭むちみたいなのだけだ。
首をかしげる俺を見て、部長が呆れたように苦笑いをした。
「前の事件の時、お爺ちゃんが探してた本だよ。言ったじゃないか」
あー。言ってたような気がする。確か部長が持ってるんだったよな。それを狙って司書になったとかならなかったとか。
「でも何であいつが?」
俺はそう疑問を口にする。小林はこの部活でそれなりに楽しそうに活動している。佐藤に変な絡まれ方をしたり、部長が対佐藤撃退武術を教え込んだり、黄泉と漫画の話をしたりしている。相模はまた声が聞こえなくなったから、小林が独り言みたいになってて怖い。あの爺みたいに明らかにボケていたり、あんまり参加しなったりと、そう不審に思えるようようなところはあまりなかった。普通に楽しそうだ。
「なんでだろう。うーん。まぁ魔道具じゃないただの似た本がないとも言えないからねぇ」
部長も不思議そうにしている。
「部長の本はちゃんと持ってるのか?」
「うん一応いつも持ち歩いてるから」
「どこに持ってるんだ?」
「ひみつー」
そう言って部長は小さく笑う。
俺はその笑顔を見て、焦燥感を抱いた。
何故か妙に知りたい。
本がどこにあるのか。
あの本を読みたい。
どうしても、読みたかった。
「なんだこれ」
思考にノイズが混ざる。俺は本なんてどうでもいい。だから、部長の話も大して覚えていなかった。
だが、無性にその本が読みたいと思った。
俺は椅子を立つと、部長を……。
自分をぶん殴る。机が倒れる音が響く。絶対におかしい。
対面に座ったままびっくりしている部長へ叫ぶ。
「部長!魔道具使われてる気がする!俺から離れろ!」
目を大きく開いていた部長は、俺の声を理解すると、椅子を吹き飛ばすように立ち上がり、俺を全力で殴った。体術最強を誇る部長の一撃が不意打ち気味に顎へ入る。意識が急速に遠ざかっていく。
薄れる意識の最中、そうじゃないだろ逃げろよと、俺は思った。
気絶の方が確実だけどさぁ………。
目が覚める。目の前に部長の顔が見えた。
茶色い目が俺を捉え、ゆっくりと微笑む。
「起きた?」
「あ、ああ」
頭に柔らかい感触がした。見上げる視界。もしかしてこれ、膝枕か?なんか安心する。
「思考に介入する魔道具だね。あんまり強くはないみたい。一応効果を破壊しといたよ」
部長はそういって俺を撫でた。
「あー……。ありがとな。でも殴る必要なくないか?」
体を預けながらも、俺は小さく文句を言う。
「咄嗟に?」
「まぁ、いいけどな……」
安堵からか力が抜ける。ずっとこうしてたい。
俺は暫くの間部長の膝枕で休んだ。
その間、部長は楽しそうに笑って俺の髪を弄っていた。
体力気力共に満タン。俺は今、神でも殺せる。
「よし。小林のとこいくぞ」
膝枕で休んだ後、俺たちはこれからについて話した。小林の話だ。
俺の精神錯乱は魔道具による干渉であり、あの状況からして本を探す小林の意思を汲み取ったか、あるいは小林が操作した可能性が高い。
部長曰く、精神干渉の魔道具はその性質上かなり高位のものであり、たまたま持ってて、無意識に発動してしまうなんてことはないらしい。
つまり、小林は知ってて俺に仕掛けたのだ。
小林は自分の教室にいた。
窓枠に腰掛けた小林は、入ってきた俺たちを見て、「失敗しちゃいましたね」と言って笑った。目の笑っていないその笑みに背筋がゾッとする。いつもの藍色の目が、闇のように真っ黒に染まっていく。
どろどろとしたものを吐き出すように、小林は声を出す。耳にじわりとしみ込んでくる声だ。陰湿な雰囲気が教室を支配した。
小林は窓から離れ、机に手をつくとゆっくり撫でる。
「私はね。あの魔女に狂わされたんです。魔道具を壊されてね。もうだめなんですよ。どっかにいきたいんです。もう逃げたいんです。こんな世界から逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて逃げたくて。分かります?もう手段なんか選んでられないんです」
周りが明らかにおかしい。また昼間にも拘らず、不自然に暗くなっている。
いつの間にか机も真っ黒に染まっていた。
なにこれ。思ったよりまずくないか?
誰だよ神でも殺せるとか言ってたやつ。
小林が撫でていた机をトンと叩いた。
火柱が上がり、小林の腕が燃える。
「あああああああああ!!」
「は?」
急な展開についていけない。隣で両手を構える部長を見る。
口を開けて呆然としていた部長と俺は目を合わせると、腕が燃えたまま床を転げまわる小林に視線を戻し、「は、はやく水!水!」と言った。
腕に火を抱え転がる小林に、テンパった部長が水をぶちまけている。バケツで水道から汲んできているらしい。消化器とかないのか。
そんなテンパる部長に、今のうちに小林の魔道具を壊せと言われ、あの鞭の魔道具を投げ渡された。
渡されても使い方がわからない。
手に握る魔道具をじっと見る。説明書が浮き上がったりしないのか。しないか。
真似すればいいか。あの図書室での出来事を思い出す。俺はあの爺がやったみたいに腕を振るいながら、小林の魔道具よ壊れろーと言った。
緩やかにしなった鞭が形を変える。ゆっくりと輪郭がゆがみ、小林の身長程度の大きな包丁になると、そのまま小林の体を縦に両断する軌道で落ちた。何かが壊れたようにばきりと音がして、お守りのような小さい長方形のものが小林の懐から転がった。同時に、小林の目から薄いグレーのコンタクトが剥がれ落ちた。
あれ?鞭の魔道具の形変わっちゃったけど、なんだこれ?いいのか?成功か?
あ、あと記憶も壊せるんだっけ。そんなことを思い出す。
机を見る。こんなしょうもない魔道具で、さっきまでのシリアスな空気が破壊されてしまった。
このまま戦いが終わったら可哀想だと感じ、あの腕の燃えた記憶を消すため、小林に向け再度腕を振るった。
小林の制服が片方だけノースリーブになっている。爛れておらず、綺麗な白い肌が覗いている。いや、少し水ぶくれが見える。でも、比較的軽症だった。腕が燃えたように見えたのは、制服が派手に燃えただけのようだ。
突如火柱をあげたあの机、生徒会にあった魔道具と同じ魔道具みたいだった。見た目は周りの机と変わらない。と思って調べたら、この教室の机の半分がコンロ魔道具だった。この学校まずくないか?職人何やってるんだよ。
コンロにしては火力強すぎないかと思ったが、 部長が調べたところ、どうやら小林自身が持っていた魔道具の効果で性能を引き上がっていたという。馬鹿だった。
部長が散々バケツで水をぶっかけたため、小林は全身びしょ濡れで教室に座り込んでいる。周りの床もびしょ濡れだ。どうしようこれ。
その水たまりに沈む小林。ツインテールが解け、蜘蛛の巣みたいに散らばっている。
その小林は気力が削がれたのか、さっきから全く動かない。
もしかして、俺が余計な記憶まで破壊してしまったのか?
肩を叩く。動かない。
全く動く様子のない小林に、心配になって具合を尋ねた。
俺たちは小林の周りにかがみこみ、しばらく反応を待っていた。
5分ぐらいして、小林はゆっくりと話し出した。返ってきた答えは想像以上だった。
俺は黒歴史消すつもりで包丁になった破壊の魔道具を振るった。しかし適当にふるったせいか、記憶でなく、その原因となった小林の感情の一部を破壊してしまったらしい。
俺の顔はみるみるうちに青ざめていった。
土下座で謝る。
部長の話では、この魔道具で破壊されたものは戻らないようだった。つまり、小林の壊れてしまった感情の機能は戻らない。
必死に頭を下げる俺。部長はあまりのことに口を開けて固まっていたが、俺をぶん殴ると一緒に頭を下げ謝った。魔道具処理を俺に任せてしまったせいだと考えているらしい。
部長にぶん殴られ地面に沈んだ俺に、小林はいいよ、と静かに呟いた。金髪が顔にかかっていてはっきりとはわからなかったが、口元は少しほほ笑んでいた。
俺たちは教室の床に正座をして話を聞く。
どうやらさっきまでの小林は、子供のころに狂った感情に、振り回されていたらしい。
狂った感情というのはよくわからないが、苦しそうに顔を歪める様子から非常につらいことなのだろうと思った。
「狂った感情も自分の一部なので、消えてしまって悲しい気持ちはあります」と小林は言った。
無くなった実感をかみしめる様に、そこで一度言葉を切る。
「けど、本来の自分を取り戻せたことにはお礼を言いたいです」と言って、小林は小さく笑った。
悲し気な笑みではあったが、藍色の瞳には、魔道具のものとは違う、生きようとする強い光が宿っていた。
彼女は子供のころ、虐待されていたらしい。そうした暮らしの中、現実から『逃げる』方法にすがり、使ったのが魔道具だった。魔道具の意味なんて知らなかったが、逃げられると聞いて、躊躇いなく使ったらしい。
それは、主観時間が加速する魔道具だった。逃げる魔道具ではなかった。全てが終わるはずだったのに、引き伸ばされた時間の中で、ひたすら思考するだけの毎日。小林は狂うような日々だったと言っていた。
小林はそうして主観時間で50年間近いの時を過ごした。そんな狂った毎日は唐突に終わる。
世界中を回り兵器を探していた部長の母親が、兵器に準ずる力を持っていたそれを見つけ、破壊したのだ。そして小林の時は再び流れ始めた。
時間の速度は戻ったが、加速した時に慣れてきていた小林は突然遅くなった時間にまた振り回されることになった。どうすればいいかわからず、魔道具を壊した部長の母をひたすら恨むことで気を保ったらしい。
救いのない話だった。誰が悪いわけでもない。全部魔道具のせいだ。
ぽつりぽつりと呟く小林の話を、俺と部長はじっと聞いていた。
感情を破壊した俺のしたことは許されることではない。
でも、本来救いのない感情が壊れたのは、小林にとって救いだったのかもしれないと思ってしまった。
きっと顔に出たのだろう。小林は俺に向かって「大丈夫です」と小さく言い、正座する俺たち二人に立たせた。
かける言葉がなくて、沈黙が続く。
しばらくして、小林がもう一度口を開いた。
「部長のお母さんの死因は、魔道具の反動だと思います」
「えっ?」
「どういうことだ?」
沈黙のなか俯いていた俺たちは、顔を上げた。部長は驚きの声を上げる。
小林が語ったのは、魔道具を壊した後の部長の母のことだった。
「彼女が死んでしまったのはおそらく反動です。最後に彼女が壊した魔道具、つまり私の魔道具は、精神に干渉する魔道具の中でも、失敗作ではありましたが、最高位でした。おそらく破壊に相応以上の力を使い、反動を受けたのだと思います。現に使った直後、彼女は酷く苦しんでいました。私の憎悪にも、破壊の魔道具を落としたことにも気づかず、虚ろな顔のまま、何かつぶやいて、本の魔道具でどこかへ行ってしまったんです」
部長を見る。母の本当の死因を知った部長が少し心配だった。
部長は俺が見ているのに気付くと、目を少し伏せてから、大丈夫だよと、笑った。
笑顔がどこか痛々しかった。
俺は何も言わず、部長の額を軽く小突く。
俺は額を抑える部長の体を引き、部長を抱き寄せた。顔が俺の胸に隠れる。
無理すんなと小さく呟く。
部長のさらさらとした髪が微かに揺れる。
俺は艶のある髪に手を通し、優しく撫でた。
暫くして、啜るような泣き声がした。
まぁ、膝枕のお礼だ。
部長は散々泣いた後、疲れてしまったのか俺に寄りかかりそのまま寝てしまった。
小林はしっかりとした顔つきで、明日も部活に来ると言った。狂った目的で入った部活だけど、狂ってても楽しかったって言ってた。感情が消えた今は、ただ大好きだって。
部長が聞いたら喜ぶだろうか。
教室を出るとき、ちらりとびしょ濡れの床をみた。
きっと魔法具のしわざだ。
うん。
俺はもう一度小林にしっかり頭を下げ、校門で別れた。
部長を背負いながら帰った。
色々重い話はあった。ちょっと部長が心配だ。
俺に何が出来るか考えながら、ずり落ちてきた部長をもう一度背負いなおした。
部長の家に向かって歩いていると、部長は起きたのかもぞもぞと動き始めた。髪が揺れてくすぐったい。
背負ったままの耳元で、「ありがとう」と小さな声が聞こえた。
本当に小さくて気のせいかもしれないと思った。
でも俺は「どういたしまして」とはっきりと返した。
落ちた夕日が俺たちを照らしている。映った影が、大きく伸びていた。
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