第6話   校長室に呼ばれる

 何となく部長を意識してぎこちなくなる。

 動きの固い俺を見ると、部長は困ったように苦笑いをしたような気がした。

 ちょっとした罪悪感が心をよぎる。だが、肝心の言葉は何も出なかった。

 しばらくすると部長が「解散」といって、本日の体操部は早めに活動を終えた。


「最近の部長はちょっと悲しそうなのです。喧嘩でもしたのです?」と黄泉が問いただすように言ってくる。


「あー。なんていうか全部俺が悪い。でもどーしたらいいかわからん」

 しつこく、どこか不安げに詰め寄ってくる黄泉に向かって、俺は正直に返した。

 俺は親しい人が亡くなったことなんてない。そもそも周りで人が死んだこともない。そういった時どんな気持ちなのか、どうすればいいのかいまいち判断できなかった。


「まぁだいたいいつも悪いのは副部長だから。なんかわかりませんけど、素直に謝ればいいんですよ」

「ヘタレなのです?」

 部員どもが口々に言いたいことを言ってくる。

 酷い言われようだ。だが反論出来ない。 どうしたらいいんだろうな。いっそ全部聞いちまうか。親父さんは何で死んじまったんだって。

 そんな馬鹿なことすら思うぐらい切羽詰まっていた。

「あ、デリカシーがないことしようとしてる顔なのです」

「最低ですね」

 容赦がない部員たち。

 俺はやりきれない気持ちを部員で発散することにした。



「おい」

「えっ?」

 散々言ってくれた2人に逆切れしてると急に声を掛けられた。凛とした鈴の音のように響く声だ。

 声の発した辺りを見渡すが誰もいない。

「おい!」

 また聞こえるが、やはり辺りは俺たち体操部しかいない。佐藤と黄泉は口から魂が出ているし、相模の声は聞こえない。幽霊か?


 肩を叩かれた。後ろを向く。そこには憮然とした表情の相模がいた。

「えっ、もしかして?お前?」

「私だ!何で無視する!」

「いやわかるわけないだろ。声を聞いたこともないし、喋れるなんて知らなかった」

 相模は話せたらしい。ちょっと不満げに俺に文句を言う相模を適当になだめ、要件を聞くことにした。


「校長室に来てほしい」

 相模はちょっと躊躇いがちにそう言った。

 校長とは部活創設の時に書類上の許可をもらっただけであったこともない。それに校長様が俺のように無害な木っ端一生徒に何か用があるとは思えなかった。


 相模は廊下を歩く校長から声をかけられ、俺に校長室に来るよう伝えられたらしい。

 校長ってそんなフランク感じだったのかと思う。いや、体操部の許可を出してくれるくらいだからフランクなのかもしれない。

 正直行きたくなかった。厄介ごとのにおいがする。それにストレスは相模と黄泉に発散したとはいえ、まだ気持ちは整理しきれていない。部長とどう接すればいいか考えたい。


 しばらくうんうん悩んでいると、相模が一緒に行ってあげようと言い出した。

 渡りに船だと「じゃあお前ひとりで行けよ」と返すと、相模が急に殴りかかってきた。ピンポイントに顎をかすめた拳に、俺の意識が途絶える。

 相模は気絶した俺を引きずって校長室に向かった。


 俺は濡れた髪をつかみながら文句を言っていた。

 相模は引きずって校長室には向かったものの、このまま俺が気絶したままでは面倒になると思ったらしい。途中の水道で俺に水をぶっかけ、無理やり覚醒させた。

 絶対もっと他に方法あっただろう。

 乾くのを待って校長室に向かった。


 校長はにこやかに迎えてくれた。

 校長室の中は落ち着いた雰囲気だった。少し色あせたこげ茶色の木製の壁に、華美ではない立派な執務机が置いてある。部屋の隅にある観葉植物も青々としていて、きちんと手入れされていることがわかった。


「二人ともすまんね。短い話だからちょっとそこで聞いてくれ」

 校長が切り出す。校長の顔には相変わらず笑みが浮かんでいる。

 相模はなぜかついてきた。校長もそれに文句はないらしい。

「それで、本題なんだが君たちの顧問は誰なんだい?」

「は?」

 校長の言ったことが理解できなかった。顧問はあのおじいちゃん先生だろう。よく知らないが調べたら有名な体操の選手だったんだし、校長も知ってるんじゃないのか。

 俺の疑問が顔に出ていたのだろう。それにこたえるように校長が話を続ける。

「まぁ何のことかよくわからないだろう。だけど私もまだよくわかっていないんだ。あの申請書の講師印は本物だった。つまり君の顧問は本当に常任講師なのだろう。だがね、私はそのような講師を雇った覚えはないんだ。一応書類を確認したら、雇用契約書があったことはあったんだが、曖昧でね。そもそも残っている書類が雇用契約書だけなのがおかしいんだ。活動や授業に関しての記録も残っていない」

 校長はそう言って不思議そうに首をかしげている。次いで「もしかしたら私が忘れているだけなのかもしれないのだがね」と言う。


 俺も校長がボケたのかと思った。だが、よく考えてみると俺はあのお爺ちゃんのことをよく知らない。そもそも何の授業持っているのかも知らなった。

 彼について調べて出てきたのは、『有名な体操選手』であることだけ。体育の授業にいたのか?

 在学中に教わらない先生もいることにはいるが、授業の情報が出てこない先生なんているのだろうか。俺はもう一度、調べてみることにした。


 俺たちの知っているはずの、爺ちゃん先生の普段のボケたエピソードを少し話した。それらのふとした日常の話を聞き、校長は実在する人物なのだとはっきり認識したようで、こちらでももう一度確認すると言ってくれた。

 正直助かる。俺らも調べるが生徒では限界がある。持つべきものは最高権力者だ。



「ありがとな」

 俺が退室しようとすると、唐突に校長がフランクに礼を言った。

 俺たちはそういう関係だったっけ。会話で友情が目覚めてしまったか。

 そんなことを考えていると横から鈴の音のような声が響く。

「別に」

 相模がそう返す。どうやら校長は相模に言ったようだった。もっと怪しい関係のように思える。廊下でロマンスでもあったのだろうか。


「知り合いなんですか?」

 やはり気になったので俺はそう尋ねてみた。

「ああ、私の娘だ」

「学校でいうなと言ったはず」

「あっはっは」


 相模は最高権力者の娘だった。えええええええ!なんだそれ!お嬢様じゃん!


 校長が妙ににこにこしていると思ったら、娘と一緒にいるのが楽しかっただけらしい。

 道理で、俺に用事があったはずなのに、相模が一緒に来ても文句言わないはずだ。

 これだから親バカの最高権力者は。



 校長室からの帰り道、言葉が聞こえるようになった相模に、俺は遠慮なく質問をぶつけた。これを逃すとまたなんか不思議な力で聞こえなくなるかもしれない。

 相模は律儀なやつで、矢継ぎ早に質問を投げかける俺に丁寧に答えてくれた。


 因みに声についてだが、どうやら聞こえないのではなく、そもそも話していなかったらしい。部長や黄泉とは俺らに見えないよう筆談で意思疎通していたとか。

 相模は人を魅了する澄んだその綺麗な声を、人前で、特に男の前で出すなと両親から言われていたという。そのため高校生になっても、人のいる空間では絶対に話さないようにしていたし、男は完全に無視していたようだ。

 だが、わいわいと楽しそうに話す俺らといつも一緒にいるうちに、その会話にきちんと混ざりたいと思う気持ちが起こってきた。

 それを両親に相談したところ、お爺ちゃん先生の件があるので、それをきっかけに話しかけてみては?と父親に提案される。そこで勇気を出して、一番まともそうな俺に話しかけてみたということだった。

「みんなとも話してやれよ?」と言ったら、一度頷いた後、「でも佐藤は話すと孕みそうで嫌だ」としかめっ面で返された。哀れ佐藤。


 そんな風に、そういった今までの疑問や人柄など気になることを世間話混じりに尋ねていたのだが、途中から相模の綺麗な声に魅了され、とにかく声を聞くために話しかけるようになった。

 考えもなくそんなことをしていたから、ふとした拍子に自分で「声が綺麗でずっと聞いていたい」と言ってしまい、真っ赤になった相模に腹を全力で殴られた。

 走っていく相模を横目に眺め、俺は廊下に蹲りながら窓の外を見る。

 とても腹が痛くて、夕日に焼かれる空が血の色に見えた。


 初めて相模と話したが、とても面白いやつだったなと思う。

 あいつらと一緒にいるのは本当に飽きない。



 なんだかんだ言って、佐藤も黄泉もうじうじしている俺を励ましてくれたのだろう、なんて思う。相模も随分長く話に付き合ってくれたし、そういった意図があったのかもしれない。短い付き合いではあるが、そう思えるぐらいには信頼していた。

 部長の顔を、もう随分見ていない気がする。

 一人で歩く帰り道に、少し寂しさを覚えた。

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