第5話 韻
ペネトラは微睡みの中、感じた事のない感覚に襲われていた。
満たされ、幸せなはずなのに物悲しい。
幸福の絶頂にあるはずなのに、物足りない。
嫌だ。こんなの、心地が悪い。
ふと目が醒めて、目の前にいる二人を見て少し、不安が安堵へと変わるのを感じた。
「・・・起こしちゃったわね。
ペネトラ、急がなくてはいけなくなったの。申し訳ないけれど、少し遠回りになってしまうわ」
「・・・わたしは大丈夫。テラ婦人は?」
彼女は少し答えを躊躇ったものの、首をゆっくり、横に振った。
「ごめんなさい。嘘は言えないわ」
どうやら寝ている間に面倒が起きたようだ。
一体何なのか、二人共落ち着きを失ってしまっている。
「・・・一体、何が起きたの?」
「貴女にはまだ分からないかも知れない。だけれど、貴女だから話すわ」
この世界には《旅団》っていう、旅をしながら物売りでお金を稼ぐ人達がいるの。
だいたいはちゃんと自分達でつくった物を売ってるけれど、中には盗んだ品を売る人達もいるのよ。
ワタクシたちの所にそんな、悪い《旅団》の人達が来ようとしているの。金目の物が無いと判れば、貴女を誘拐するかも知れない。だから逃げるのよ。
「・・・」
ペネトラは思った。
何で盗みを働いてまで、人はお金が欲しいんだろう。
やっちゃいけない事をしてまで、欲しい物なんだろうか・・・。
「取り敢えず行きましょう。奴らの事だから、もうさほど余裕がないわ」
その頃、《ゲヴァ大旅団》はその進路を真西に定めていた。
彼らは連合制を採っている《複合型旅団》で、十八の小さな《旅団》で構成されている。
その中心で鎮座している男・・・ソイツこそが、《ゲヴァ大旅団》が恐れられる元凶。
『会長』ヤルコフ・クル・ザフロス。
「アイツとは旧知の仲だ。
・・・仁義なしでタイマン張ってやる」
引き連れた『兄弟』達の士気が、一気に上がる。
(テラ・アインハルト・・・。)
(手前ェだけは、地獄まででも追ってやる)
(借りを返すまでは、な・・・!!)
「駄目だご主人、追い付かれちまいます!」
馬車を全速力で走らせたが、相手は旅団用に改良された騎馬。片や幌を曳く用の馬を繰るこちらでは、この結果は目に見えていた。
「アリ、ここで停めて」
「でも!」
「当主命令よ、下ろしなさい」
渋々、御者の老父アリは手綱をさばき、馬を止めた。
「・・・ヤルコフ」
「久々だなぁ、テラ」
二人は知り合いだったようで、互いの名を呼び合った。
「何かしら、ワタクシを捨てた男が」
「るせぇ、手前ェが奉仕しねぇのが元凶だろうが!!」
「貴方の男尊女卑思想は、卑しくてよ」
「手前ェの理想なんざ、聞いてられっかよ!!
ええいお前ら、このアマぁとっちめろ!
俺が正しい事を、何してでも教えてやれ」
あの二人が付き合っていたとは、今の泥沼を見ると想像出来なかった。
ペネトラはわずか、齢十と三月で、男女の付合い、その最悪の状態を知るはめになったのだった。
怖くて、家の香りがほのかに残る厚い本を抱きしめた。
そしてペネトラの脳裏に、若々しい女性の声が囁くように、優しく飛び込んできた。
『・・・本を、開いて・・・』
何故かその言葉に抵抗を感じなかった彼女は、言われるがままに本をめくる。
『・・・どうしたいか、願って・・・』
「・・・わたしは・・・・・・。」
わたしは、あの怖い男の人を、止めたい。
かっ。
本の紙面が目映い光に染まる。
文章が空へ舞い上がる。
題名に『剣と少女と三日月と』と書かれた本の、全ての文字がやがて、一つの象(かたち)へと集約されていく。
『汝、我が剣に何を願うか』
「あそこの男の人を止めて。でも、命までは奪わないで」
『承った』
しゅっ。
鞘から抜けて出た刃は、妙に黒光りした、鋼の刀身だった。
『・・・お覚悟し給り候・・・!!!』
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