41 邪教徒の虜囚
籠城する軍勢にとって最大の敵は、孤立する事である。
外の状況がどうなっているのか情報が遮断されてしまうと、それだけで自分たちがどの様な状態にあるのか理解できず、パニックに陥るのだ。
古今の軍隊が、籠城の後に覚悟を決めて壮絶な戦いの果てに討ち果てたり、自分たちはもう駄目だとパニックに陥って自滅した例は枚挙にいとまない。
けれど、カラカリルの街に寄って籠城を決め込んだ諸卿の連合軍には、レムリルがいた。
ここはファンタジー世界であるから、物語に登場する様なニンジャの様な存在がいてもおかしくはないのだ。
「レムリル、よろしくお願いしますよっ」
「わかりましたアイリーンお嬢さまーっ。必ずコウタロウさまのところにたどり着いて、周辺情報をお届けして戻る事にしますねー!」
邪神教団による包囲殲滅陣が完成してしまえば、細かな周辺情報を籠城軍やコウタロウたち遊撃軍が手に入れるのは難しくなる。
そこで彼女はアイリーンの命令によって、敵の周辺情報を斥候するとともに、カラカリルの街の状況を伝える役割を与えられたのだ。
包囲殲滅陣が完成する直前。
広がる夕暮れの闇に紛れて出発したレムリルは、カラカリルの傷んだ市壁の隙間から野外に出る。
そこから邪教徒たちの包囲軍を避けながら、木々や岩陰を利用して大きく迂回した。
眼に飛び込んで来た万の軍勢は、本来ならば貴族軍人の教育を受けたものを縮見上がらせただろう。
けれど彼女はチルチルの村でメイドをやっていた狐耳少女に過ぎない。
「わはーすごい兵隊さんの数だー」
そうは思えども、それを単純に脳内で軍事的脅威と紐づけする事は無かった。
それにその身にはM-4カービンを抱いていたので、ある種のおまじないをかけられた状態だった。
いざとなればこの船坂によってもたらされた女神様の聖なる武器によって、少々の敵は退ける事ができるのだ。
「コウタロウさまのご加護がある限り、わたしも簡単に邪教徒に負けてしまう事は無いですからねっ」
だから純真無垢なレムリルは恐れを知らず、ひたすら音を立てずに背を低くして移動する。
数百の軍勢毎に固まって行動する邪神教団の部隊である。
この周辺に仇名す敵などいるはずがないとたかをくくっているのか、警戒心はかなり低い様子だった。
「衆愚の輩どもは完全に臆したのか、カラカリルの貧弱な守りを立てに出てこようともしない」
「邪神さまの偉大なあり様に、恐れをなしたに違いない。ガハハッ」
「まったくもって邪神さまの偉大さを恐怖と受け止める事自体が、無礼千万な事ではあるな」
「エルフは洗脳教化、エルフ以外には何をしても許される時代がこれから訪れるのだ」
「俺は幼いゴブリンの嫁っ子を一杯つくって、ようじょファミリーを作るのが夢だ!」
しばらく隠密行動を心がけていたレムリルであったけれど、それが少々やり過ぎだという事に気づいたのだ。
陽もまだ完全に落ちきらぬうちからキャンプの設営を開始した邪神教団の軍勢は、さっそく酒盛りをはじめているというありさまだった。
「コウタロウさまならあの岩場に狙撃兵を伏せて攻撃、兵隊さんを吊り出して、出てきた敵を皆殺しにしてしまうはずですねー。兵隊の教育がなってないですっ」
プンプンとばかり独白をしながら点在する敵の諸隊の間を潜り抜ける。
目的はカラカリルを呑み干さんと布陣した包囲殲滅陣の配置状況と、軍勢そのものの士気・練度を調べる事だ。
万の軍勢もその練度には大きな開きがあるらしい。
レムリルの見たところ、装備一式が揃えられた部隊はどこかの領内からそっくり裏切ったのか、戦う意志も高く強そうに見えた。
農民に毛が生えた様な武装をしている連中は、血気盛んな言葉だけは並べていた。
けれど実際には、
「口では強がりを言っても体は正直ですねー。太陽が落ちるとみるみるオネムになるんですねえ」
レムリルはザルとも言える警戒網である事を確信しながら。
アイリーンより与えられた第二の命令を実行する事にしたのである。
敵の本陣位置をしっかりと確認せよ。
――戦闘の推移によって、前線に配置された部隊は潮の満ち引きの様に移動する事は考えられます。
その様にアイリーンは狐耳少女へ話していた。
――だけれども本陣というのはある程度守りをきっちりと固めなければならないのです。開城して騎馬突撃をかけてくる可能性を警戒し、馬防柵などが何重にも設置されている箇所は怪しいですね。
白銀の騎士シルビアほど専門的軍事教育は受けていなかったけれど、アイリーンも領主として軍勢を率いる可能性があるので、指揮官の心得は多少紐解いていた。
それによれば、前線からやや後方に下がった比較的堅固な陣地こそ敵の本営であるという事だ。
「ちょうど眼の前に見えるキャンプが、それらしい気がしますねー」
武装した狐娘は、けもみみを器用に動かしながら周辺の気配を探りつつ邪教徒軍の本営へと近づく。
それは彼女の想像した通りにドンピシャで、暗闇の中に溶けてしまいそうな深緑の教団カラーの旗がいくつも立っていたのだ。
「おい、交代の時間だぞ」
いくつもの並んだテントに身を潜めながら少しずつ本陣内部に入り込もうとしていたところ。
やっつけ仕事の木の柵の向こう側からそんな会話が聞こえてきたのだ。
「ありがてぇ、連日の行軍続きで足がパンパンになっていたからな」
「生贄の様子はどうだ? 大司教さまは日に日に弱る生贄のご様子を危惧されていたぞ。いざという時に生贄が死んでしまっては、せっかく苦労して連れ回しているのに邪神さまに捧げる儀式で役立たずという事になる」
レムリルは高感度なけもみみセンサーを指向させて内容を探る。
すると「生贄」という、この土地の宗教慣習上、聞き慣れない言葉を耳にしたのである。
「いけにえ? このテントにいけにえがいるって事かな?」
考え込んだレムリルは、こっそりと隙間だらけの木の柵をすり抜けて資材の詰め込まれたテント側まで近づいた。
恐らく生贄とやらの番をしている兵士たちがいる。
交代のために去った男の背中を見届けながら、レムリルはさらに接近を試みた。
「よっこらせ、まったく生贄なんざひ弱でたまらねえぜ。おい異教徒の女、飯はしっかりと食ってもらわねば、たまらんからな。前の生贄みたいに衰弱死してしまえば、邪神さまのお怒りに触れてしまう」
チラリと資材テントの生地を盾に覗き込んだところ。
簡易椅子に座った男が天幕の内側に松明の様なものを掲げながら語り掛けている姿が見えた。
女と呼ばれた生贄はエルフでもゴブリンでも無く、レムリルが見た事もない様な格好をしている女性だったのである。
ボロボロになっているけれど、黒い上着と黒いぴっちりスカートだ。
「何とか言ったらどうだ」
「…………」
「水だけ飲んでいても人間は死ぬ、貴様は邪神さまの加護を受けているわけではないんだからな」
見た目はまるで違うのだけれども、どことなくそれは船坂弘太郎の着ていた服に似ていなくもない。
虚ろ気な表情をしていて、何もかもを諦めた様な生贄の女性の顔がチラリと見えた。
「?! コウタロウさまにお知らせしなくてはっ……」
その姿を瞳に焼き付けたレムリルは、音も無く静かにその場所を離れると暗闇の中を駆け出した。
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