9 視界不明瞭に注意せよ

 そこは洋館にある贅沢の限りを尽くした風呂場だった。

 大理石の浴槽にモザイク柄のタイル、そして獅子の湯口からなみなみと注がれるお湯。


「すげえ! さすが領主さまのお風呂場だ、ユニットバスとは大違いだぜ!」


 湯煙の中に飛び込んで船坂は叫んだ。

 叫ぶと、程よい感じで自分の声が浴室内に響き渡る。


「ゆにっとばす、って何ですか?」


 日本におけるユニットバスとはバス、トイレ、洗面所の三点ユニット化したお風呂場である。


「それよりコウタロウさまは一番風呂ですよー。ゆっくり浸かって旅の疲れを落としてくださいねっ」

「ありがとう。広々しすぎて独りで使うのがもったいない気分になるな……」


 まるでスーパー銭湯の大浴場を独占している様な罪悪感を覚えて、船坂は少々尻込みした。

 すると狐耳少女がまあと口元を押さえて、ころころと笑いはじめるではないか。


「それってもしかして、わたしにお背中を流してくれと仰ってます?」

「いやそういうわけではない」

「あーわかった、アイリーンさまにやっていただきたいんですね! 後でお願いしておきましょうか、うふふっ」


 しなくていいから!

 これが夢なら何でもありだから喜んでお願いするだろうけど、現実にそんな事をしたら後々が大変だ。

 あわてて否定しながら脱衣所に戻ってくると、大きな籠を指さしてレムリルが説明をする。


「コウタロウさまのお気に召していただけるかわかりませんが、お着替えを用意しておきましたっ。洗濯物はこの籠に入れておいてください。後でわたしがまとめてお洗濯しておきますんで!」

「あ、いいよ自分でやるから」

「遠慮なさらずにーっ。お掃除お洗濯お料理はメイドの仕事ですからねー」


 いやそうではなく、ドラゴンの咆哮でチビった下着を船坂は誰にも知られたくないのだ。

 お股の感覚からすると自動的に肌や服の汚れは消えてなくなる様だったが、要は気分の問題だ。

 船坂はジョビジョバの心の穢れを洗い落としたいのだ。


「いつも自分でやっているから気にしないでいいぞ。あーそれより、この屋敷には使われていない金庫みたいなものはあるか?」


 何かのはずみで銃火器に触れた人間が、銃弾を発射してしまう可能性がある。

 何も知らない人間が触れて怪我をしてはまずい。

 それに、もしも使い方を覚えて盗まれれば、現代兵器は圧倒的な攻撃力を発揮するのでそれも厄介だ。


「金庫、ですか?」


 キョトンとした顔でレムリルは小首をかしげた。

 サイズはそうだな、レミントンとカービン銃をしまえる大きさがあればいいが。

 そこまで船坂が考えたところで、何も銃そのものをしまう必要がない事に思い至る。


「大きさはこれぐらいのサイズがあれば、防弾ベストや弾倉ごとしまっておけるかな」

「このくらいの、大きさですか?」

「うんうん、それぐらいのサイズ。ありそうかな?」


 探せば納戸の中にあったかも知れません。

 天井のシミを数える様に視線を宙に泳がせながら、指を唇にくわえたレムリルがそう返事をした。


「レミントンとカービン銃は剣をかける用のラックに引っかけておけばいいか」

「剣をかけるラックなら、ゲストルームにもありますよー」

「じゃあそれを使うとする」


 弾丸さえ装填されなければ銃火器などただの金属の塊である。

 いざという時は銃剣術という軍隊格闘も存在していた。

 だが、それをするよりも剣や槍で戦った方がこの世界の人間には扱いやすいだろう。


「拳銃だけは護身用に持ち歩くからいいか。地図用のジッパーロックに入れて風呂場に持ち込もう」

「さすが女神様の守護聖人ともなると、油断大敵が信条なんですねっ」

「それほどでもないかなっ」


 何と返事をしてよいのかわからなかったので、船坂は適当に返事をして狐耳獣人を送り出した。


 ようやく脱衣所で独りになると、いそいそと防弾ベストを脱いで戦闘服に手をかける。

 戦闘服の中はオリーブドラブ色のTシャツだった。

 ズボンの下を脱ぐと、ボクサータイプのパンツで股間がモッコリしている。

 普段はトランクスを履いているので違和感が半端ないが、何故か半日以上着たままにも関わらず洗濯したての様な履き心地は未だにキープされていた。


「つまりジョビジョバなんて無かった。という事に出来るのだろうか……?」


 クンクン臭いをかいでみそうになったところで、ハっとする船坂である。


「なっ何をやろうとしているんだ俺は。洗濯するぞ洗濯。ちなみに戦闘服は破いたりすると、どうなるんだろうか……」


 ふとそんな事が気になった船坂は、防弾ベストに装着していた軍用ナイフを鞘から抜く。

 試しに戦闘服をバリバリと斬り裂いてみた。

 恐らく彼の予想通りなら、時間が経過すれば勝手に元の状態に戻っているはずだ。

 念には念を入れて袖を切り取ったり、穴だらけにしたりしてから満足すると、それらを持って浴室に向かった。


 レミントンとカービンからは弾薬を抜いて安全装置にロックをかけておいた。

 見ただけで異世界人が銃火器の使い方を理解する事はないだろう。そう思いきる事にして、ジッパーロックに収めたP220を視界の見える場所において。


 木の桶でザブンと頭からお湯を被る。


「ぶはぁー、よし体を洗って」


 本当に体が清潔な状態を維持できているのかわからない。

 体を洗うのは気分の問題だ。

 船坂はへちまのタワシに石鹸を擦り付けて体を洗い始めた。残念ながらシャンプーは無い様なので、同じく石鹸で頭もゴシゴシやる。

 フィールドバッグの中に洗髪剤は無かっただろうか。たぶん無かった。


「ちょっと怖いけど無精ヒゲは剃り落しておこう。せっかくのイケメン面が台無しだ」


 最後に軍用ナイフを使って、おぼつかない手つきで泡を擦り付けて剃り落していく。


「よし、汚れものも洗濯し終えたし湯船につかるぞ」


 改めて頭からお湯を被ると、満足して浴槽に足を入れたのである。

 普段はユニットバスでシャワーだけを使っている船坂だ。

 どれぐらいぶりに湯船につかっただろうかと回想をしながら、のんびりと肩まで体を沈める。

 お湯に浸かると疲れが落ちると言うが、最近は残業続きでお疲れ気味だったので、お湯に浸かるとそのまま睡魔が襲ってくるのだ。

 缶ビールを呑みながら、風呂上りにネット動画を楽しむためには風呂で眠気に負けるわけにはいかなかった。


「まあ今日ぐらいは別にいいよね。三連休中だし、そもそも連休明けに会社に行く事は不可能だ」


 本当に夢の続きが今の今まで続いていた場合は別だが、そんな事よりもこの先どうするかを考えた方がよほど建設的である。

 彼はブクブクと顔を水面に埋めてみたり、大きく伸びをしてみたりしながら存分に豪華なお風呂を楽しんだ。


 お湯に浮いているのは何の柑橘だろうか。

 ぷかぷかと上下に揺れているその柑橘の実に、バアンと指で作ったピストルを発射してみたところ。

 突如カラカラと脱衣所と浴室を隔てる引き戸が開く音がした。


(ふふふ、もしかしてアイリーンかレムリルが、俺の背中を流しに来てくれたのかな?)


 あいにくすでに体は洗い終えているが、どうしてもというのならぜひ喜んで。

 ではない、そうではなかった。

 そんな呑気な事を言っている場合ではない。

 船坂は童貞なので、女の子とこういうハプニング的なシチュエーションには態勢が無いのである。


 あの時のレムリルの反応を見れば、どこまで冗談で船坂をからかっていたのか彼には理解できなかった。

 してみると、様子がおかしい。

 レムリル、あるいはアイリーンが入って来たのであれば、何かしら船坂に声をかけてくるのではないか。


 そんな風に感じた彼は、そっと浴槽の縁に置いていたジッパーロックの拳銃に手を伸ばした。

 都市伝説に過ぎないかもしれないが、四五口径の拳銃弾はマンストッピングパワーに優れていると言われていた。


(もしかすると、邪神教団の手先か?!)


 都市伝説が確かならば。

 襲いかかってくる暴漢を吹き飛ばす事ができるだろう。

 ジッパーロックの中から拳銃を引き出して、スライドを引き弾丸を装填した。


(俺の存在に気づいて拉致をしに来たとか、可能性はないわけではないか。どっちだ……)


 すると視界不明瞭な湯気の中で、うごめく何かが薄ぼんやりと見えるではないか。

 その薄ぼんやりは呑気に鼻歌を歌い出した。


「森のエルフはフフンフ~ン♪ 旅の男にフフンフ~ン♪ 恋に落ちたのフフンがフ~ン♪」

「…………」


 何だその鼻歌は。

 破滅的な音程で調子っぱずれに機嫌よく、湯煙の向こうに存在した何者かが桶を手にしてバスタブから湯をすくい上げている様だ。

 声音は女だ。距離にしてほんの四、五メートルだろう。

 だが声の主は洋館の主アイリーンでもメイドのレムリルでもない。


「何だこの洗いかけ衣類は! レムリルのやつ、またこんな所にほったらかしにしているな……」


 お嬢さまにはしっかり説教をしてもらわなくてはならん。

 などと、不機嫌な声が聞こえたところで、湯煙の向こうの影がピタリと止まった。

 どうやら船坂の気配に気が付いたのか、恐る恐るといった感じで彼の方向に近づいてくるではないか。


「?!」


 ふたりの視線が交差した。


「……こ、こんばんは。お先にお風呂を頂いています」

「にゃにゃにゃ何だ貴様は! どうして男がアイリーンお嬢さま屋敷にいるんだ?!」


 目の前には長身豊満なボディをした、銀髪のエルフお姉さんが仁王立ちしていた。

 溢れんばかりの両の胸は、まさに西瓜かドッヂボール並の大きさだった。

 デカい確信!

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