※「高低差萌え」——大坂

昔、「大阪」は「大坂」だったらしい———。


「坂」が「阪」に変わったのは、江戸中期くらいからで、正式に「阪」になったのは、明治になってからだそうだ。

 一説には、「坂」だと、「士」が「反く」、つまり武士の反乱が起こるのを忌み嫌って「阪」にしたとか。

 また、古くは、「坂」だと転げ落ちる——から、縁起悪い、ってのもあったらしい。


 さて、小生はNHKの番組で「ブラタモリ」ってのがお気に入りで、タモリさんが、NHKの女子アナ連れて、全国各地を歩く、って話で、主にタモリさんが

「断層フェチ」「高低差フェチ」なんで、各地の断層や高低差を巡る話が多い。


 我が、「大阪平野」は、古来より、南は「大和川」北は「淀川(大川)」に挟まれた湿地帯だったのだが、大阪の中心部はこの湿地帯の中を南北に長い「上町台地」ってちょっと小高い「台地」の上に繁栄してきた。


 石山本願寺の本拠地があったところで、本願寺勢力が信長に滅ぼされた後に、秀吉がその跡地に「大阪城」を建て、武士、町人を城のまわりに住まわせて、一気に大阪の町は賑わうことになった。


 で、あるので、大阪のこの「上町台地」を挟んで、東西は、低地であった。「大阪城」は上町台地の北端に位置する。

 現在の「難波」は古来より、葦が茂る湿地帯であったし、「梅田」だって、「田」という字が示す通り「水田地」だったのだ。

 そして、東側は「生駒山」と「上町台地」に挟まれた場所で、ここも低地で湿地帯、水田地帯だった。


 小生が生まれ育ったのも、この東の水田地帯だった。思い起こせば、小学生の頃は、一面が水田と川、ばかりだった気がする。だもんで、周りの地名も、「田」とか「川」とか「水」とか、とにかく「湿地水田」を連想させる地名ばかりだった。


タモリさんが、「坂」を見ると、「段差」を想定し、きっと昔は———、って言うあれに触発されて、最近は坂を見ると昔の地形に思いを馳せることが多くなった。


 皆様も、周りに坂のある場所があれば、その坂の下には、きっと水田とか、湿地帯があったんじゃないか、はたまた「谷」の付く地名は無いかなどと考えてみてください、面白いですよ。

「上町台地」を挟んで東西には、坂が多く、その周辺には「谷」の付く地名が多い。「桃谷」「清水谷」「細工谷」「大谷」「谷町」……と数えだすといっぱい出てくる。


 そして「大阪」は水の都って言われるだけあって、「水」にまつわる地名が多いのは、大阪湾の入江があり、淀川、大和川、木津川と大きな川が平野内を流れていることからも、水とは切っても切れない縁がのある町なのだ。


 坂を見ると、その坂の状態が、今自分が立って居る、高いところが、どこまで続いているのか調べてみると面白い。もし、高いところを挟んで左右に坂があるなら、きっとそこは「台地」形状になっているのであって、そこに立っている家やビル、建物すべて頭の中で消去してみると、古の昔の姿が少し見えてきますよ——、これ、案外やりだすと、病みつきになります(笑)


 あ、それと、周りに小高い山なんかあれば、その小高い山は昔、戦が多かった時代は、「要所」になってたに違いないです。低地に陣を張るより高地に張るのが戦の鉄則ですからね。

 そうなんです、小高い山、川、坂を見つけると、戦の「陣形」作りとかにまで思いが飛んでいってしまいます。


 今日のネタ、ちょっとマニアックで退屈だったと思います、すんません、すんません——。


  けど、皆様もご自分の生まれ育った場所が、古来どんな地形だったんだろうって、ちょっと思いを馳せてみてください、おヒマな時にでも。


 地名には、必ず、その地の「特色」が隠されてますから———。

 

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