記憶模様

櫛木 亮

第1話 引裂く心

「片隅にでも……君のどこかに僕を残しちゃいけないよ」



 貴方は狡い。

 私をおいて自分は先にいっちゃうんだもの。


 私は幸せになれるの?

 貴方が居なくて幸せになれるの?


 後を追うほどの度胸もない私は、独り言をいうことが増えた。


 きちんと姿を消して行ってよ。

 カタチを置いていかないでよ。


 枕にこびりついた匂いも。広いリビングも。目を凝らしたら、廊下からいつもの笑顔で顔を出しそうで嫌なのよ。


 通帳に残した私へのお金も使えば無くなるのよ? でもね、貴方の残像は消えないの。


 私は冬の坂道で街を見下ろす。ゆっくりと溜息交じりの涙がこぼれた。


 寂しくて人混みに紛れれば、気が楽になると思って出掛けたのに、同じタバコの匂いに眩暈がした。


 香りは記憶を呼び戻すの。

 良いことも悪いことも。


 どこまでも着いてくるのね。いいわよね、貴方は先に逝っちゃうんだもん。



 あと数年先かも分からない、貴方への恋心を抱いて私は生きていけるかな?



 貴方はこの言葉を待ってるんでしょ?


 お生憎様。そんなに簡単な女じゃないの。



 なんて、数年前は思っていたのにね。

 まるで拍車が掛かるように、私はまた恋に落ちたのよ。貴方は私を褒めてくれる?


 

 桜の花は散り、葉桜が甘く青い匂いを鼻の奥に残す。川沿いの街は春を夏に向け着々と準備を進める。柔らかな風が窓から入り私の髪をくすぐる。

 

 そして、人の離婚届を手に、私は笑って見ていた。

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