TrueEnd 彼女の願い

「…………」

俺はまた暗闇の中にいた。俺の目の前に黒い人影が現れる。

「誰だ?」

その黒い影は、背景の暗闇と同じ色をしている。しかし、はっきりとそこにいるという存在感はあった。

「絶望を、思い出すことが出来たか?」

「俺は……救えなかった」

「…………」

「俺はただ独りよがりな行動で、きぬを傷つけて、放って――」

「しかし、君は彼女を救いたかったのではないのか?」

「ああ、そうだよ! 救いたかったに決まってるだろ!」

「…………」

「でも、結果はこの様だ。俺はきぬを苦しめた。俺の半端な気持ちのせいで、きぬを……きぬを……!」

「…………」

「もう無理だ。もうなにをやったって……」

「君は彼女を救うために、彼女たちの願いを、旅をしてきたのではないのか?」

「違う違う! 俺は……俺はそんな立派な奴なんかじゃない!」

「…………」

「俺は、逃げたんだ。きぬを救えなかったことに絶望して、きぬから逃げて、きぬがいた世界からも逃げて――」

「…………」

「俺は自分に都合の悪いことを忘れたくて、紗智や麻衣や鈴や筒六にすがっただけなんだ!」

「…………」

「本当にどうしようもねえよ、俺。きぬにあんなこと言っておきながら、あんなにカッコつけておきながら、結局は見捨てて、自分だけが安心出来る世界へ逃げただけなんだ」

「…………」

「なあ、お前は俺にこんなことを思い出させて、なにがしたいんだよ」

「…………」

「これ以上、俺になにが出来るっていうんだよ」

「君の心に残っているからだ」

「残ってる?」

「彼女を救いたい気持ちが残っているからだ」

「…………」

「私は理解している。君が彼女たちの願いを叶えたのは、彼女を救うためだと」

「違うって、言ってるだろ……」

「自分の心からも逃げるのか」

「お前になにがわかるんだよ! 俺の気持ちのなにが――」

「君は私だから」

「は……?」

「君は私であり、私は君なのだ」

「わけわからねえよ」

「私は待っていたのだ。神木に願いが溢れる時を」

「御守桜のことか……? 願いが溢れる時って――」

「すでに神木の願いは溢れつつある」

「じ、じゃあ、きぬの呪いは――」

「神木の願いは溢れ、君が鍵を揃えたおかげで、彼女の願いの精算は済まされるだろう」

「で、でも、きぬは呪いは解けていなかったぞ」

「最後の鍵が、君という鍵が不足しているからだ」

「俺が鍵……?」

「神木に勇気を示すのだ」

「勇気って、なにをすれば――」

「君は彼女を救うために、様々な方法を試した。しかし、まだ試していないことがある」

「なんだよ、それ」

「神木は願いを吸うものにあらず。神木は対象の願いを共有し、それを貯蓄する」

「なんだって……。じゃあ、御守桜は人から願いを吸収してたわけじゃないのか!?」

「君の言葉は正しい」

「でも、俺は……きぬを見捨てた俺にそんなことができるのか……」

そう思っていたとしても、決意が出来てなきゃ、また同じことを……きぬを傷つけてしまうかもしれない。

「俺なんかが、そんなことを出来るなんて――」

「今のまま――君は君のままでいい。なにも恥じることのない君だけの光を持っている」

「え……?」

「その光を失いさえしなければ、君はなんだって出来るはずだ」

「……そうか」

俺がやるべきことはもう決まっているんだな。

「俺、行くよ」

「…………」

「俺、きぬのところへ行かなくちゃ。もう、きぬの悲しむ顔、見たくない」

「…………」

「なあ、最後にお前が誰なのか教えてくれよ」

「私は君だ」

「それはさっき聞いたよ」

「私という存在は2つに分かれ、1つは君、もう1つの私は1000年という時間を、神木の中で過ごしてきた。だから、わかったのだ。神木の実態を知ることができた」

やっぱり、あんただったんだな。1000年もの間、ずっと御守桜として、きぬだけじゃなく、旧小谷村を、御守町を、俺たちを見守ってくれてたんだな。

「俺じゃあ、到底あんたには敵いそうにねえな」

「私は彼女の隣にはいられぬ。彼女の隣にいていいのは、君だけだ」

「ああ、そうだな」

「彼女の願いを叶えてやってくれ」

「任せとけ!」

その瞬間、暗闇は晴れ、一面の光が俺を包んだ。闇が晴れるとき、一瞬だけ黒い影の姿が見え、そして消えていった。

「待っててくれ、きぬ! 俺は今度こそ、お前のことを離さない!」

俺を包んでいた光がさらに大きくなり、俺の意識は遠のいていった。


気づくと、俺は自宅の玄関前にいた。外は暗く、街灯の明かりだけが路上を照らしていた。

「きぬ……?」

俺よりもはるか前、きぬは俺に背中を見せて、歩いていた。

「きぬ……」

どんどん小さくなるきぬの背中に俺は手を伸ばす。

「きぬ……!」

きぬと同じ歩幅で追いかけていたのが、いつの間にか全力で走っていた。

「きぬー!」

俺が大声で呼んだのに気づき、きぬがこちらを振り向く。

「せ、誠君――うわああっ!」

振り向いたきぬに抱きつくと、不意を突かれたきぬはその場で尻餅をついてしまう。

「きぬ! きぬ……ごめん!」

「な、なんだ、誠君? 君は十分にやってくれたし、明日になっても君は――」

「違うんだ、きぬ!」

「誠君?」

「俺はきぬのこと、諦めてしまったんだ」

「…………」

「俺は口ばっかりで、きぬを見捨てた大馬鹿野郎なんだ」

「…………」

「でも、もう離さない! 俺はずっと、ずっと、きぬの傍にいる!」

「ありがとう、誠君。しかし、明日になれば、君の記憶は――」

「そんなこと、させるもんか!」

俺は立ち上がり、きぬの手を引いて、立ち上がらせる。

「俺について来てくれ」

きぬの手を取って、走り出す。

「な、誠君!? どこへ行くのだ!?」

「きぬの願いを、俺が叶えてやる!」

「ど、どういう意味だ?」

「きぬの今の願い、俺が叶えてやる!」

「私の願いは1000年前に――」

「違う! それはもう終わったんだ! もう縛られることはない!」

「…………」

「きぬの今の願い、それを叶えるためには御守桜の呪いを解かなきゃダメなんだ!」

「しかし、人々の願いの吸収は未だ不完全だ。それに、君がこの日まで、私のためにあらゆる方法を試してくれたではないか。だが、私の呪いは――」

「まだ試してないことがある」

「試してないことって……なにか心当たりでもあるのか?」

「御守桜だ」

「え……?」

「俺ときぬの願いを御守桜に集めるんだ! より強い想いほど、御守桜に貯まる願いは多くなるんだろ!」

「私の話を忘れたのか。そうすれば、御守桜にその願いは吸収される。そうすれば、私と君は共にいられなくなるかもしれないんだぞ!」

「きぬ……」

「嫌だ……。そんなことは絶対に嫌だ! そうなるぐらいなら、君に忘れられたほうが、まだやり直す可能性も――」

「違うんだよ、きぬ」

「え……?」

「御守桜は願いを吸収するわけじゃないんだ」

「どういう……ことだ?」

「きぬが言ってた呪いの書物に記されていたことは間違っていたんだよ」

「そんなバカな! あれは旧小谷神社の初代宮司が記した由緒正しき――」

「俺の先祖がどういう意図があって、そんな間違いを書いたのかは知らねえ。単純に間違えたのか、それとも御神木を畏怖の対象にするために、わざと書いたのか」

「…………」

「どっちが正解かなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、それが間違っていたってことなんだよ」

「君はどこでそれを――」

「俺は気づいたんだ」

「え?」

「今まで色んなものを見て、色んな経験をして、それでわかったんだ。御守桜は願いを吸収しているわけじゃなく、願いを共有してもらうことで、その身に貯めていたんだ」

そう。俺が見てきた様々な世界。俺たちは御守桜の近くにいたが、全員の願いが叶っている。それがその証明なんだ。

「でも、俺はそれに気づくことが出来ずに、きぬを悲しませてしまった。だから、今度こそ俺は愛する人を、きぬを孤独になんかさせるもんか!」

「そ、それじゃ、私は――」

「きぬは言ってたよな? 自分の都合で夢持つ生徒から、それを奪ってるって。でも、違うんだ。きぬの行動で、そんなことになった人間はただの1人としていないんだ」

「せ、誠君……私……私……」

「だから、もうそんな苦しみを抱える必要はない。そんなまやかしの痛みに耐える必要はないんだ」

「誠君……! 誠君……ううっ!」

きぬに引っ張られ、足を止める。きぬはこらえきれずに涙を流す。1000年間、人から願いを奪っているという罪悪感の中、共感も共有もできる相手がおらず、ずっと1人で耐えてきたんだ。きぬ、泣いていいんだぞ。その涙と一緒に今まで溜め込んできた毒を吐き出すんだ。

「う、うううっ、うわあああっ!」

きぬは俺の胸に抱きつきながら、服を力いっぱい引っ張り、まるで赤子のように泣きじゃくる。その顔は、今までの凛として毅然な態度のきぬからはかけ離れていたが、やっと見せた少女の顔に、俺は安堵する。

「きぬ、ちょっと失礼するぞ」

泣いているきぬを背中に抱え、俺は走り出す。

「え、え、ちょっと、誠君?」

「今の状態じゃ、まともに走れないだろ? 俺のことなら心配するな」

「う、うん……ありがとう、誠君」

確か、きぬが俺の家から出て行ったのは午後11時を過ぎていた。急がないと、12時を越えたらアウトだ。俺はきぬを背中に抱え、全力で走った。


「はあ、はあ、はあ……」

学園に着いてから、きぬは俺の背中から降り、2人で御守桜のある丘まで走って、息を切らしながらたどり着く。

「せ、誠君、私はどうすれば……」

「願うんだ!」

「願う……?」

「きぬが今、1番望んでいることを、きぬの願いを御守桜に向かって!」

「私の願い……」

きぬはそっと目を閉じ、両手を合わせ、御守桜へ対面する。俺もそれに習い、御守桜に願う。

御守桜、俺たちの願いを聞き入れてくれ! 俺はきぬのことを忘れたくない! きぬとずっと一緒にいたいんだ! きぬをもう孤独にしたくないんだ! きぬの――彼女の願いを叶えてくれ!

俺たちはそのままの状態で、体感的には数十分、願い続けた。

「きぬ、なにか変化はあったか?」

「ダメだ、誠君……。今までと同じ状態だ……」

「くっ……!」

なぜだ! どうして、きぬの呪いは解けないんだ! 俺たちの願いが小さいものとでも言うのか! それとも、俺の心はまだ無意識下で諦めているとでもいうのか! 冗談じゃねえ! 俺の決意はもうそんな生半可なもんじゃねえ! 聞きやがれ、御守桜! 俺の真剣な気持ちを踏みにじるような真似をしてみろ! 御神木だろうが、ドリルで穴という穴を開けた後で、チェーンソーで真っ二つにしてやるからな!

「誠君……」

「くそ……なんだよ! くそお!」

ダメなのか! 唯一の方法だと思ってたのに、もうどうすることも――

「誠ちゃん?」

「え……?」

俺の名前が呼ばれた気がして、後ろを振り返ると、そこには紗智が立っていた。

「紗智……?」

「どうしたの、こんなところで? それに、きぬさんも」

「紗智さん、これはその――」

「あら、皆さん、どうされたのですか?」

「三原!?」

紗智の後ろから三原が現れたと思ったら、それに続くかのように鈴下と仲野も向かってくる。

「ちょっと、あんたたち、なにやってんのよ?」

「先輩方、皆さんでお月見なんて、風流ですね? 季節外れですが」

「鈴下に仲野!?」

なんで、みんながここに……。

「え、えーと、みんな、どうしたの? 誠ちゃんときぬさんがいると思ったら、麻衣ちゃんと鈴ちゃんと筒六ちゃんまで来るなんて――」

「私は鈴さんと筒六さんに途中で合流したのですが――」

「わたしは麻衣と会う前に筒六と会って――」

「私は鈴ちゃんと行き先が一緒だったから――」

「ま、待ってくれ。君たちの行き先とは――」

「もしかして、全員が御守桜に来たってわけじゃねえよな?」

4人は顔を見合わせ、照れくさそうに笑い合う。

「実は、あたしはそうなんだよね」

「私もここへ」

「ま、まあ、わたしもそうのような、そうじゃないような」

「私もここが目的で来ました」

なにがどうなってるんだ? 全員が御守桜にって……みんな、御守桜に興味を示したこともなかったのに。

「みんな、なんでここへ来たんだ? 紗智なんて、この丘を登るの嫌がってたろ?」

「うーん、あたしにもよくわかんないんだけど、誠ちゃんに呼ばれた気がして」

「え……?」

「紗智さんもですか? 私も誠さんに呼ばれたような気がしたのです」

「あれ? 麻衣ちゃん、誠ちゃんのこと、名前で呼んでたっけ?」

「え、わ、私、そんな大それたことをしてしまいましたか?」

「しっかり言ってたわよ? 紗智以外がそんなふうに接してると、誠のやつ、勘違いするから、やめときなさいよ」

「鈴ちゃんこそ、どさくさに紛れて、やるね?」

「え、筒六、もしかして、わたし今――」

「ちゃーんと言ってたよ? もう鈴ちゃん可愛いから、気を付けないと、誠さんが狼になっちゃうよ。――って、あれ?」

「えーっと、つまりみんなが誠ちゃんに呼ばれたような気がして、ここへ来たってことなの?」

紗智の問いかけに全員が大きく頷く。

「あ、あははー、みんなどうしちゃったんだろうね、誠ちゃん?」

「そうか……そうか……」

俺のやってきたことは無駄じゃなかったんだ。俺がここにいる全員の願いを叶えてきたから。俺がみんなを、きぬを諦めなかったから、みんなが今、この時に集まってくれたんだ。そんなことにも気づかず、俺は悲劇の役者ぶって、最後の最後できぬを諦めてしまっていたんだ。

「はは、バカだよな、俺って……」

「えー、何言ってんのさ? 誠ちゃんがおバカさんのは、小さい頃から知ってるよー」

「そんなこと……誠さんはいつも明るくて、私たちに勇気をくれます」

「ま、誠がバカなのはとっくに知ってたけど、そういうとこは嫌いじゃないかな」

「誠さんからおバカとスケベを取ったら、全然面白くありません」

「ふふっ、言われたい放題だな、誠君?」

「全く、お前らは……」

本当……ありがとうな。

「みんな、聞いてくれ」

俺は真剣な眼差しでみんなを見る。

「俺はやるべきこと、叶えたい願いがあるんだ」

みんな、俺の言葉を聞いてくれている。

「でも、俺の力だけじゃ無理みたいなんだ。だから、みんなの力を貸してほしい」

俺は紗智を見る。

「誠ちゃん……」

「みんなの力があれば、絶対に叶うはずなんだ」

次に麻衣を見る。

「誠さん……」

「みんなにはずっと迷惑かけっぱなしだけど、どうしてもみんなの力が必要なんだ」

次に鈴を見る。

「誠……」

「都合が良いってことは十分わかってる。でも、みんなじゃなきゃダメなんだ」

次に筒六を見る。

「誠さん……」

「だから、みんな! 俺を助けてくれ!」

そして、きぬを見る。

「誠君……」

「せーいちゃん!」

紗智が1歩前へ出て、俺に近づく。

「あたしが誠ちゃんに迷惑かけられるのは当然だけどさ、あたしが誠ちゃんを助けるのも当然だよ!」

「紗智……」

「私は誠さんから返し難いほどの恩をいただきました。それを少しでも返せるのであれば、尽力いたします!」

「麻衣……」

「まあ、その、なんていうの。誠にはゲームの相手をしてもらったりしてるし、その借りぐらいは返してあげるわよ」

「鈴……」

「弄び相手がいなくなると嫌なので、誠さんにはいつも万全の状態でいてほしいです。そのためなら私も力を貸しますよ」

「筒六……」

「誠君、君には苦労のかけっぱなしだ。私のせいでこんな――」

「違うよ、きぬ」

「え?」

「俺もきぬも、みんなも、自分だけの光を失わなかったから、今があるんだ」

「誠君――!」

「それがあれば、俺たちはなんだって出来る。苦労なんて、微塵もないんだ」

「ありがとう……。本当にありがとう、誠君」

きぬの右頬に一粒の涙が落ちる。

「君と出逢えて、良かった」

俺はきぬの言葉に応えるように微笑み、みんなのほうを向く。

「さあ、みんな! 御守桜に願ってくれ!」

「え、え、誠ちゃん? 願うって、なにを?」

「御守桜に願うとは、どういうことなのですか?」

「ちゃんと説明しなさいよね」

「肝心なところを抜かすとは、さすがです」

「すまないが、説明している時間がないんだ。みんなが1番に想っていること。叶えたいこと。それを御守桜に願ってくれ。強く、自分が意識しているよりも強くだ」

「なんだか、よくわからないけど、わかったよ!」

「私も、やってみます!」

「やりづらいけど、まあいいわ!」

「私の想いの強さ、見せてあげます」

みんなが御守桜に向かって、目をつむり、両手を合わせる。

「誠君」

「きぬ、俺たちも願おう。俺たちの願いを叶えるために」

「ああ」

俺ときぬも目をつむり、両手を合わせる。俺は自分の気持ちを願いつつ、御守桜に語りかける。

なあ、御守桜。どうして、お前のようなのがここに存在しているのか、本当の理由はわからない。でも、俺は思うんだ。お前がここにいるのは、俺たちが出会うためだったんじゃないかって。ここにいるみんなが、この場所で集まるためにお前はずっと、この地に根付いていたんじゃないかって。そう思えて仕方がないんだ。だから、御守桜。もし、お前が俺の言う通りの理由で存在していたのなら、俺たちの願いを聞き入れてくれ。そして、改めて願うよ。きぬの、彼女の願いを叶えてやってくれ!

瞬間、眩い光が俺たちを覆う。

「な、なに、あれ!?」

紗智が指さしたほうを見ると、御守桜には満開の桜が咲き、白い光を放っていた。

「綺麗ですね」

「ど、どうなってんのよ。さっきまで花なんか咲いてなかったじゃない」

「すごい……」

「せ、誠君……」

「きぬ!」

俺はきぬのほうを見る。

「今、一瞬だけ心拍音が大きくなったのを感じた」

「そ、それって――」

「呪いを受けたときと同じ感覚だった」

まさか……だとしたら――

「!?」

俺は校舎に目をやり、てっぺんに備わっている時計を見る。

「0時……7分……」

すでに日付は4月1日だ。でも、俺は――

「覚えてる……」

「誠君……?」

俺はきぬに近づき、その手を取る。

「俺は……きぬのこと、覚えてるぞ!」

俺は思わず、きぬを抱きしめる。

「せ、誠君!? ちょっと、苦しいぞ?」

「ちょ、いきなりなにやってんのよ、あんたたちは!」

「ははは、わかるか、鈴下! きぬだ! この女の子はきぬだぞ!」

「はあ?」

「誠ちゃん、ついにおかしくなっちゃったのね……」

「鷲宮先輩、ここで愛しの彼女自慢ですか?」

「わ、鷲宮さん……なんだか、私のほうが照れてしまいますよ」

「この子は生徒会長で、俺の自慢の恋人、小谷きぬだぞ!」

「だーかーらー、そんなこと言われなくてもわかってるよー」

「あんた……ちょっとキモいわよ?」

「鈴ちゃん、それは今に始まったことじゃないでしょ?」

「あ、あまり鷲宮さんを責めては可哀想ですよ」

「誠君……!」

きぬは俺を抱きしめ返す。

「誠君……私のこと、わかるか?」

「ああ」

「私との思い出、覚えているか?」

「ああ」

「私はもう、1人じゃないんだな?」

「そうだぞ」

「私はもう、1人で泣かなくてもよいのだな?」

「俺がずっと一緒にいる。みんなだって、きぬと一緒にいる!」

「誠君!」

きぬの抱きしめる力がさらに強くなる。

「やっと……やっと、私は……私は……!」

「よく頑張ったな、きぬ」

俺はきぬの頭をそっと撫でる。

「ううううっ、誠君!」

「もう頑張らなくていいんだ」

「辛かった……。ずっと、ずっと辛くて、苦しかった……!」

「ああ」

「何度も何度も挫折しそうになった。死にたいって、何度も思った」

「ああ」

「でも、自分の責任だと言い聞かせ、耐えてきた」

「うん、知ってるぞ」

「それも、もう終わって良いのだな?」

「ああ。もう、きぬの好きに生きていいんだ。きぬはもう自由なんだ!」

「う、ううっ……誠君……誠君! ううっ――」

俺の背中に回っているきぬの手が、指が、俺の服にしがみつく。

「うわあああああんんんんんっ!」

本当に、本当に頑張ったよ、きぬ。1000年の長い年月を、たった1人でよく頑張った。これからは独りじゃない。俺が、みんながずっと傍にいる。誰もきぬを忘れたりなんてしないよ。

その後、数十分して、ようやく涙が止まったきぬはみんなに謝罪した。みんなはなんのことだか――当たり前だけど――わかっておらず、俺たちも説明を控えた。今日のことが笑い話になった頃ぐらいに話そうと思う。もっとも、誰も信じてくれないだろうけど。でも、それでいいんだ。きぬの願いが叶った、それだけで十分だ。

みんなは解散したけど、紗智が、きぬのことが心配だと言って、俺にきぬの傍にいてあげるよう提案し、俺はその日きぬの家に泊まり、そして翌日の始業式、俺ときぬは2人で登校した。

「晴れやかな朝だな、誠君」

「ああ、始業式日和ってやつ?」

「まさしく、そうだな」

2人で校門を潜ろうとしたとき、後ろから声がかかる。

「おーい、誠ちゃーん、きぬさーん!」

振り返ると、紗智、三原、鈴下、仲野が登校してきていた。

「おはよう、みんな」

「おはようございます、鷲宮さん、きぬさん」

「ところで、鷲宮先輩にきぬ先輩、疑問なんですが――」

「きぬ、あんた昨日卒業式にいたわよね? なんで制服なの?」

しまった! それがあった! きぬの呪いは解けたから、正確には今日から年齢を重ね始める。つまり、今日からが本当の3年生の始まりなのだが、昨日の卒業式にいた以上、みんなには不自然に思われて当然だ。どうしよう……。

「え、えーとだな、これは――」

「実は、留年してしまってな」

俺がなんとかごまかそうとしたところを、きぬが割って入る。

「りゅ、留年?」

さすがの鈴下も呆気にとられる。

「いや、きぬ先輩、その言い訳はさすがに苦しいのでは?」

おお、珍しく仲野がマジトーンだ。

「今まで黙っていたのだが、私は去年の出席が3分の1を満たしていないのだ」

「そ、そうなのですか?」

人をあまり疑わない三原ですら、半信半疑になっている。

「ああ。家庭の事情で休学していて、君たちと出会った頃ぐらいから復帰し始めてな」

「え、でも、あたし、きぬさんを全校朝礼とかで見かけてたよ?」

「それはな、紗智さん。一応、私も生徒会長だから、そういうときは出席していたんだ。しかし、それが終わると早退して、授業には参加していなかった」

まあなんとも、きぬは口が上手いというか、なんというか。言ってることは無茶苦茶なのに、筋は通ってる。

「じゃあ、卒業式に出てたのはなんでよ?」

鈴下が最大の疑問を投げかける。

「形式上、やらねばならないらしくてな。それに生徒会長が留年とあっては、学園としてはメンツが立たんだろう?」

「大人の事情ってやつですね?」

「そういうことだ、筒六さん」

「あー、ならしょうがないねー」

そして、このアホな紗智だ。簡単に信じてしまう。

「まあ、それなら納得だわ」

「きぬさんも大変な思いをされたのですね」

「きぬ先輩、もう1年頑張ってください」

と思ったら、全員だった。お前ら、俺のことはけっこう疑うくせに、きぬのことはすんなり信じるのな。

「理解してもらえて、ありがたい」

「あ、じゃあじゃあ、きぬさんとは同じ学年になるってことですよね!」

「同じクラスなら、いいのですけど」

「私もみんなと同じクラスになれたら、嬉しいな。それと、1つ提案があるのだが――」

「なんですか?」

「同じ学年になるのだから、他人行儀はやめにしないか? もう私は先輩ではないのだし」

「えーー! そ、そんな急には! ねえ、麻衣ちゃん?」

「は、はい! 去年まで先輩でしたので――」

「私は、そうしてくれたほうが嬉しいな」

きぬの言葉を聞いて、紗智と三原は顔を見合わせる。

「え、えーと、じ、じゃあ、きぬ、ちゃん?」

「よろしくお願いしますね、きぬさん」

「ははは、麻衣さんはそのままだな」

「あ、ご、ごめんなさい! 私、こんな喋り方だから――」

「いや、いいよ。麻衣さんはそのままが1番だ」

「でも、ずるいよー、きぬちゃん」

「な、なにがだ、紗智さん?」

「あたしたちだけ、態度を変えさせるのはずるいー! きぬちゃんもあたしたちに、たにんぎょーぎ禁止だよ!」

「え、な、私はいいよ!」

「あれー、きぬー? 生徒会長様がそんなんでいいのー?」

鈴下は下から舐めるように、きぬを見る。

「きぬせんぱーい? 観念したほうがいいですよー?」

「ぐ、ぬぬ……」

そこに仲野の追撃もあり、きぬは陥落する。

「じ、じゃあ、紗智、ちゃんに、麻衣、ちゃん?」

「うん、よろしくね! きぬちゃん!」

「これから1年間、よろしくお願いします」

紗智と三原の笑顔を見て、きぬも満面の笑みで返す。

「ああ、よろしく! 紗智ちゃん、麻衣ちゃん!」

ずっと校門で立ち話もなんだからということで俺たちは自分たちのクラスを確認してから、教室に向かい、始業式を終え、下校となった。紗智たちに食事会を誘われたが、俺ときぬは後日改めるということで、2人で御守桜のもとへやって来た。

「みんな、同じクラスでよかったな?」

「ああ、楽しい学園生活になりそうだ」

俺もきぬも紗智も三原も全員が同じクラスで、しかも、みんなの席が隣接していた。きぬの言う通り、楽しい1年間になりそうだな。

「そういえばさ――」

「どうした?」

「良かったのか? 卒業証書や卒業アルバムのこと」

「ああ」

昨夜、きぬは部屋にあったこれまでの卒業証書や卒業アルバムを捨てていた。

「もう私には必要のないものだ」

「でも、せっかくなのに――」

「今までの私には未来がなかった。だから、ああやって過去にすがるしかなかったのだ」

「…………」

「しかし、これからの私には明日がある。だから、過去に縛られるのはもうやめだ」

「そうか」

きぬが納得しているのなら、俺から言うことはないな。

「なあ、きぬ?」

「ん?」

「御守桜はきぬの願いを叶えた。そして、きぬは呪われ、それも解かれた。その後、御守桜はどうなるんだ?」

「どうなるとは?」

「きぬが願う前の禁忌の御神木の状態に戻るのかなって」

「書物では力を使い果たし、ただの樹木になると書かれていたが、真相はわからんな」

「え、それって、ちょっとヤバくないか?」

「私は、もう御守桜にはなんの力もないように思えるぞ」

「なんで?」

「昨夜、呪いが解かれた後も、私は願い続けたからだ。無論、わざとではないぞ?」

「そう言われれば、俺もそうだ」

「多分、あの場にいた全員が無意識に願っていただろう。しかし、なにも変わらぬ」

「てことは、もう御神木でもなんでもないんだな」

俺は御守桜を手の甲で軽く叩く。

「御神木であることに変わりはない。この木は、ここでずっと人々を見守ってきた。そして、それはこれからも続いていくのだ」

「ああ」

きぬは静かに、俺に密着してくる。

「なあ、誠君?」

「ん?」

「御守桜は、私たちのことも見守っててくれるかな?」

言葉を発しながら、きぬは俺のほうを見る。それに応えるように、俺もきぬを見る。

「見守っててくれるさ。この町で生まれ、育ってきたんだから、俺たちのことを知らないはずないからな」

「ふふっ、そうだな」

「でもさ、きぬ」

「なんだ?」

「仮に御守桜が見守っててくれなくても、大丈夫だぞ」

「なぜだ?」

「俺にはきぬがいる。そして、きぬにも俺がいるから」

「誠君……」

「俺たちはこれからもずっと一緒だ。それだけで、俺は満足だ」

「ああ、私も誠君と一緒にいられれば、安心できる」

少しだけ吹いた風が俺ときぬの髪と地面の草、そして御守桜の花を揺らし、桜吹雪が舞う。

「誠君……」

きぬが顔を近づけ、俺ときぬは唇を重ねる。一瞬のようで長い時を、きぬと温度を共有する。名残惜しそうに離れてから、きぬは俺に微笑みかける。

「愛してるよ、誠君」

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彼女の願い エルファ @elfa

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