きぬルート22話 願った行く末を決めるのは

「誠君……」

きぬは横たわった状態のまま、こちらに体を向け、名前を呼ぶ。

「ん?」

「前に水族館へ連れて行ってくれたこと、覚えているか?」

「覚えてるに決まってるだろ」

「そこにリュウグウノツカイがいただろ?」

「ああ、前にきぬは見たことあるって言ってたな」

「そうだ、見たことあるのは私が今の年齢より、もう少し下のときだ。漁業をしていた親戚の船で、海へ行ったときだ」

「へえ、そんな昔からいるんだな」

「当時は認知されていない魚だったから、その場の全員が腰を抜かしていたよ。一瞬だけ姿を見せて、海底に潜っていったから、そのときはなんだったのか、見当もつかなかった」

「深海魚だから、あまり知られてなかったんだな」

「そのときは皆が口を揃えて、人魚だと言っていたな」

「だから、水族館でリュウグウノツカイを見たとき、見入ってたんだな」

「ああ、当時の親戚に教えてやりたいよ」

「きぬ……」

「また行きたいな、水族館……」

「なあ、きぬ?」

「なんだ?」

「もう少し、頑張ってみないか?」

「え?」

「呪いを解く方法。もしかしたら、その書物に書いてない別の方法があるかもしれないじゃないか」

「誠君……」

「俺、諦めたくないんだ。こんなにもきぬを好きでいる気持ちも、きぬの色んな姿も全部きれいさっぱり忘れてしまうなんて、絶対に嫌だ」

「…………」

「だから、出来ることはなんでもしたい。いや、出来ないことだってやってやる」

「……ありがとう、誠君。君の言う通り、始めなければわからぬことだってある。協力してほしい」

「当たり前だろ。絶対に呪いを解く方法見つけような」

「ああ、頑張ろう」

そうさ、諦めるにはまだ早い。期日の3月31日まで、まだ数ヶ月ある。その間に呪いを解く方法さえ見つければ、全部大丈夫なんだ。必ず成功させる!

「…………」


「誠君……」

きぬは左胸にコサージュを付けて、校門で待っていた俺のもとへ来る。

「…………」

「そんな暗い顔して、どうした? 祝ってはくれないのか?」

「きぬ……俺……」

あれから色んな調べ物をして、様々な方法を試してみたが、どれも失敗。期日の3月31日……卒業式を迎えてしまった。

「……全く、在校生がこれでは快く卒業出来ないだろう」

「俺、結局なんの役にも……」

「そんなことはない……。君は今日の卒業式の日まで、十分すぎるほど頑張ったんだ」

「…………」

「誠君はこれから、なにか用事はあるか?」

「別にないけど……」

「少しの間、君の家にいてもいいだろうか?」

「いいけど、どうしたんだ?」

「私たちは恋人だろ? 少しでも共にいたいと思うのは当然じゃないか」

「……そうだな、俺も一緒にいたい」

「では、行こう」

俺たちは手をつないで、自宅へと向かった。


「きぬは俺の両親に会ったことあるのか?」

俺の部屋へ着き、聞いてなかったと思い、きぬへ問う。

「もちろん、あるぞ。クラスメイトだったからな」

「そうなのか?」

「ああ。築島さんとも一緒だった。といっても、私はずっと3年生のままだから、1年間だけだったがな」

「じゃあ、俺の親父がクラスの男子たちと取っ組み合いになったってのは本当なのか?」

「それは1年生のときだな。その騒動がある前から、予見はあったのだが……」

「というと?」

「築島さんは1年生のときから、生徒会役員で顔見知りでな。いつもなにかにイラついている様子だった」

絶対、親父のせいだな。

「教室で見かけたときも、クラスメイトを過剰なまでに注意していた。私が話を聞こうとしても、関係ないの一点張りだったし」

「それで築島先生のクラスに不満が溜まるだろうと思ったわけか?」

「そうだ。なにかしらのしっぺ返しが来ると思ったし、彼女のことだから真正面から対抗しようとするだろうということも予想出来た。そのことを警戒して、昼休みは毎度、彼女のクラスの様子を見に行っていたんだ」

「で、案の定そうなったわけか」

「事が起き始めたから、割って入ろうかとしたが君の父親、浩の行動には驚かされたよ」

「なんで?」

「彼女はとくに浩のことを目の敵にしていると知っていたから、浩も彼女を嫌っているものだと思ったんだ。浩がかばったときは驚きで動きが止まってしまったよ」

「その取っ組み合いはどうやって収拾がついたんだ? 築島先生は忘れてるって言ってたけど」

「私が介入したからだ」

「やっぱり、そうなのか」

「教員を呼んでいる時間もなかったし、私が喧嘩両成敗しようとしたのだが……」

「?」

「浩が言うこと聞かんでな。止めに入った私にも本気でかかってきた」

「だ、大丈夫だったのか!?」

「幸い、私には武術の嗜みがあったから、怪我こそしなかった。だが、浩は強かったな。あやつは喧嘩慣れしていた」

「親父って、もしかして不良だったのか……」

「そこまでは知らんが、自分の信念だけは曲げない男だった」

「結局、なんで親父はそんなことしたんだ? 自分だって、築島先生の目の敵にされてたのに」

「あやつ自身も彼女から注意されている意味はわかってたみたいだから、嫌ってなかったのだろう。後に浩から聞いたが、クラス全員が1人を責めている状態が許せんかったらしい」

「親父……」

って、最大の原因はあんただけどな。

「まあ、そもそもの原因は浩にあったから、私からきつく叱っておいた」

「手のかかる親父でごめんなさい」

「ふふっ、今となっては良い思い出だ――もう夕暮れどきか……。君と話していると時間が過ぎるのが早いな」

きぬと話しているのに夢中で気付かなかったが、窓の外は夕焼け一色に染まっている。ついさっきまで青天が広がっていたのに……。

「なんで、時間なんてあるんだろうな」

「どういう意味だ、誠君?」

「時間が止まってくれたら、きぬとずっとこうしていられるのに……」

「誠君……私だって、君とはずっとこうしていたいよ。だが、限られた時があるから人は生きようと必死になる。なにかを成そうとするのだ。自分が行ったことで、誰かの記憶に残ってもらえたらそれは幸せだと思わないか」

「俺も同じこと思ってた。今思うと、きぬが何事にも真剣に一生懸命なのって誰かに覚えていてほしいからなのか?」

「……どうだろうな。私自身は単純に目の前のやるべきことをこなしているだけのつもりなのだが、心中ではそう思っているのかもしれない」

「俺、本当にきぬのこと、忘れてしまうのかな……」

「誠君……」

「そんなの嫌だ。明日になったら、きぬが赤の他人になっているなんて……くそ……」

「…………」

きぬの両手が俺の左右の頬を包み込む。

「私だって――」

「きぬ……?」

「私だって……君から忘れられたくない……!」

真正面から見つめているきぬの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「もう嫌なのだ……誰かに忘れられるのは……! う、ううっ……それなのに、それなのに最愛の人の記憶にも残らないなんて……嫌だ……嫌だよ……」

「き、ぬ……」

「君と紡いできた思い出なのに、私の頭にしか残らないなんて……。う、ううう、うわああ……」

「きぬ、ううっ……きぬ……!」

「うっ、うわああ……誠君……誠君……!」

「きぬ……俺、なにも……うううっ……」

俺たちは力強く抱き合った手をしばらく離すことはなかった。

「みっともない姿を見せてしまったな」

すでに外は暗闇が支配している。本当に時間って、あっという間だ。

「いや……」

「本当は――」

「ん?」

「本当は何度も死のうとしたことがある」

「…………」

「でも、怖くて……死ぬのが怖くて、いつもやりきれなかった」

「だから、不死ではないって言ってたのか」

「試したとき、死にかけたこともあったから……」

「…………」

「おかしなものだよな。生きるのが辛いと思っていながら、いざ死ぬ時になると怖がるなんて」

「それはきぬが心の底では死んだらダメだって、思ってたからじゃねえか」

「そんなこと……」

「誰よりもきぬのことを好きな俺が言うんだ。間違いないって」

「ふっ、それは信用に値いするな。――そろそろ、帰らねば……」

「もう帰るのか?」

「明日もあるのでな。君とずっと一緒にいたいのは山々なんだがな」

明日になると、俺はきぬのことを……。

「う、ううっ……きぬ……」

「泣くでない。君の諦めぬ姿勢は私にとって大きな力となった。ありがとう、誠君」

「きぬ! 俺、絶対にきぬのこと忘れない!」

「誠君……」

「呪いなんかに負けねえ! 絶対に覚えている!」

「そうか……それは嬉しいな」

「明日からは同学年だからな! 同じクラスになったら、クラス中に自慢する! 俺にはこんな可愛い彼女がいるんだぜってな!」

「うむ、その際はよろしく頼む。君の隣に立っても、恥ずかしくないように振舞うよ」

「きぬなら普通にしてても大丈夫だって」

「ふふっ、同じクラスになるのが楽しみだ」

「ああ、俺もだ」

「……もう行くよ」

「外まで見送る」

「ありがとう」

玄関を出て、きぬは一歩前へ出る。

「気をつけてな」

「ああ。君こそ明日の始業式、遅刻しないようにな」

「大丈夫だって。きぬと付き合ってからは、ちゃんと時間前に登校してるだろ?」

「そうだったな」

「……また明日な」

「ああ、また明日」

きぬは背中を向け、歩き出した。街灯に映る後ろ姿はやはり、いつものように凛とした背筋をしていた。

「きぬ……」

俺はきぬの名前を小声で呼ぶ。か細いその声は当然、きぬに聞こえることがなく、きぬは振り返ることもなく、歩き続けている。

「きぬ……」

一瞬だけ俺はきぬの方へ手を伸ばし、足を前へ出そうとするが、震えて出来なかった。

「くっうぅ……」

今すぐ走り出して、きぬの背中を抱きしめたい。でも、それをしてなにになる。そんなことをしても、なにも変わらない。変えられない。ただ、きぬの苦しみを増やすだけだ。もう……どうしようもないんだ。

「きぬ……」

その背中が見えなくなってからも数十分、俺はその場で立ち尽くしていた。


部屋に戻り、自分の制服を眺める。

「…………」

明日はいよいよか。大丈夫だ。たかが呪いごときで、きぬのこと忘れるかよ! 明日になったら、自然体で、きぬと腕組みながら教室に向かっているさ。いや、きぬのことだから恥ずかしがってしてくれないかもしれないな。そこはまあ、同学年のよしみってことで納得してもらおう。

「大丈夫……大丈夫……」

俺がきぬのこと忘れるはずない……。俺はきぬのこと忘れない……。

「ん……これ……」

部屋に落ちている筒に見覚えがあり、中に入っていた書状を取り出す。

「きぬ、卒業証書忘れてるじゃねえか」

しょうがない、明日学園に持って行って、会った時に渡しておくか。

「大丈夫……大丈夫……」

俺は布団で横になりながら、手を心臓に当てる。やけに心拍音が大きい気がした。

「きぬ……」

俺の意識は知らぬ間に睡眠へと誘われていた。

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