きぬルート21話 彼女の真実
「待たせたな、誠君」
何時間経過したかわからないが、きぬに言われたように、俺は同じ場所でずっと待っていた。
「お疲れ」
「今日は……君の家に行ってもいいか?」
「ああ、いいぞ」
「ねえ、誠君?」
「なんだ?」
「腕を……組んでもいいか?」
「え……」
「いやか?」
「……いいぞ」
「ありがとう」
少しひんやりとした腕が、俺の腕に絡み付いてくる。
「君の腕はあったかいな」
「そうか?」
「そうだよ」
声は穏やかだったが、きぬの腕は少し震えていた。
「寒いのか?」
「そんなことはない。だが、こうしていたいのだ」
「わかった」
それから、自宅に着くまで、俺たちは言葉を交わさなかった。
いつもは俺がきぬの部屋にお邪魔しているから、きぬが俺の部屋にいるのは少し新鮮味があった。冬場ということもあり、時計の針が指し示すより早く、外は暗闇が支配していた。
「お邪魔する」
「適当にかけてくれ」
俺たちは静かに座り込んだ。
「…………」
「…………」
数十分の沈黙をきぬの言葉が破る。
「誠君……」
「ん?」
「私が今から言うこと、信じられぬのならそれでもいい。しかし――」
「聞いたのは俺の方だ。話してくれ」
「……わかった」
きぬは一度、深呼吸をしてから口を開いた。
「まずは君に聞きたいことがある」
「なんだ?」
「私に対し、引っかかることがあると言ったが、それはなんだ?」
「旧小谷村を治めていた武家の古田家。その古田家の姉妹の姉『ぬの』。これは偶然なのか?」
「…………」
「前、きぬは話してくれたよな。姉がいること、その人の名が『ぬの』であること。偶然と言われればそれまでだ。でも、俺にはどうしても引っかかるんだ」
「…………」
「教えてくれ、きぬ」
「……結論から言うと、君の言っていることは偶然ではない。私の本名は古田きぬ。旧小谷村を治めていた古田家姉妹の次女、古田きぬだ」
「本当にそうなのか? でも、どうして――」
「私は呪われているのだ……」
「呪われている……? 誰に?」
「御守桜だ……」
「御守桜……?」
どういうことだ? 呪い? 御守桜に?
「待ってくれ、きぬ。きぬが古田家の人間とか、御守桜の呪いとか、なにがなんだか――」
「混乱するのも無理はない。順を追って説明する」
「ああ」
「旧小谷村を治めていた古田家。そこに2人の姉妹、姉のぬのと私、きぬは生まれた」
「それは知ってる」
「私の父は温厚で人柄も良く、古田家が治めていた村の村民からの人望も厚かった。旧小谷神社の鷲宮家とも交流を持っていた」
俺の先祖かもしれない人だな。
「姉上も私もまだ幼い当時、旧小谷神社の宮司を務めていた『
「幼馴染か」
「そうだ。旧小谷神社が、今の御守学園の場所にあったのは知っているな?」
「ああ」
「その当時は御守桜は御神木として奉られていた」
「やっぱりそうなのか」
「この御神木には言い伝えがあって、お祈りお願いの類はしてはならない。もし、破ってしまったら、呪われると言い伝えられていた」
「それがさっき言っていた御守桜の呪いか……。その呪いって――」
「それはまた後だ。ともかく、御神木に対してはそんな言い伝えがあった。皆、その禁忌を破るまいと決して御神木にはお参りしなかった。姉上も私も当然そんなことはしなかった。それより、2人とも誠一郎と遊ぶほうが楽しかったからな」
「じゃあ、いつも3人で?」
「と言っても、私は姉上と誠一郎に食らいつくのに必死だったのだが。以前、話したと思うが私は何事も不得意で、その上完璧な姉上の存在が自分を惨めにさせたんだ。でも、誠一郎が励ましてくれたおかげで、今の私があるのだ」
1人だけ認めてくれた人って、その人だったんだ。
「その一件があり、私の心に1つの感情が芽生えた」
「誠一郎さんのことを……?」
「……ああ、好きだった」
なんか複雑だ……。
「だが、それは無駄なことだとすぐに悟った」
「なんで?」
「誠一郎は……姉上を見ていたから」
「…………」
「しかし、それでよかったと思えた。2人の間に入る余地はなかったし、似合っていたからな」
「その後は誠一郎さんとぬのさんが結婚したんだよな」
「知ってたか。古田家には姉上と私しかいなかったから、誠一郎は古田家へ婿入りとなった」
「旧小谷神社の宮司の跡取りは大丈夫だったのか?」
「誠一郎の弟『
「そうだったんだ」
「その後、細かく分かれていったから、本家ではないけどね」
築島先生、どうやらあなたの予想は当たってたみたいです。
「そうだ、古田家は大丈夫だったのか?」
「なにがだ?」
「国家政権が変わって、取り潰しの危機だったんだろ?」
「…………」
「きぬ?」
「そうだ……君の言う通りだよ」
「でも、改名で済んだって……」
「国家政権が変わり、新たな領主が決まった。成り上がりの武家『上崎家』だ。極悪武家で有名だった」
「そうなのか?」
「元々盗賊をしていた者たちが勢力を伸ばして、新しい政権君主の役に立ったことで名をもらったと聞いている。政を知らん者たちだ。当然、領地内では好き放題してたらしい。そのことで旧小谷村の村民はもちろん、私たちも不安だった。聞けば、彼らは取り潰しになった武家の女性を、とくに夫婦になっている女性を旦那の前で襲うのを好んでいたという」
「…………」
「姉上も誠一郎も不安であったろうに、時代の性だと受け入れる覚悟だった。しかし、私は耐え切れなかった。村民も当然だが、この幸せな2人がなぜ引き裂かれねばならぬのかと……時間が過ぎていくにつれ、その想いは強くなった。そして、私は耐え切れなくなり……禁忌を犯した」
「御神木への願い……」
「私は必死に願った。この2人を守ってくれ、この村を守ってくれと私は願い続けた。すると、不思議なことが起こった。季節でないのに、満開の桜が咲いたのだ。私はそれに目を奪われていた。しかし、それも一瞬ですぐに元の状態へ戻ってしまった。そして、すぐにわかった。自分が呪われたことに」
「なにかあったのか?」
「一拍だけ心臓の音が大きく聞こえた気がして、それで悟った。そのときはそういう気がしただけなのだろうがな」
「じゃあ、その願いのおかげで古田家と旧小谷村は救われたのか」
「ああ。新政権への忠誠の証として、この地方一帯を治めることになった上崎家から、1文字もらった『上坂家』と苗字を改名するだけで済んだのだ」
「ま、まさか『上坂家』って――」
「そうだ、隣の家に住んでいる君の幼馴染、上坂紗智さんは私の姉上と誠一郎との子孫だ」
「待ってくれ……上崎家って、確か俺のお袋の先祖だろ?」
「知っていたか」
なんかややこしくなってきたぞ。
「簡単に言おう。君は誠一郎と上崎家との子孫。紗智さんは私と姉上と誠一郎との子孫だ」
「いや待ってくれよ。じゃあ、それってさ――」
「君の想像通り。誠君と紗智さんは遠い親戚だ」
「な……あ……」
嘘だろ……。俺と紗智が親戚って……。どうなってんだ。もう訳がわからねえぞ。
「辿っていけばこういうことがある。それにもう血は薄まっているから、ほとんど他人のようなものだ」
「でも、なんか複雑な気持ちだな……」
「話を戻すぞ。取り潰しがなくなって、喜んだ誠一郎は私に報告へ来た。だが、願いが叶った後のことを考えてなかった私は混乱していた。それを心配した誠一郎が訳を聞いてきた。頼る人間がいなかった私は自分の犯した禁忌を話した。誠一郎は少し驚いた後、私を連れて旧小谷神社へ赴いた。誠一郎は自分の父である蔵重殿に訳を話した後、私と誠一郎は蔵重殿に連れられ、裏の蔵に眠っていたある書物を渡された」
「その書物って?」
「御神木の呪いについて書かれた書物だ」
「なにが書いてあったんだ?」
「呪いの内容とその解呪法だ」
「呪いの内容は不老不死なのか?」
「正しくは不老のみだ。死ぬことは出来る。それともう1つある」
「もう1つ?」
「周囲が保持している私の記憶及び記録の消去だ」
「は……?」
どういうことだ? 周囲が持っている、きぬの記憶と記録の消去?
「それって、周りの人間からきぬに関する記憶がなくなるってことか?」
「人が持っている記憶だけではない。私個人とわかる記録も消え去ってしまう」
「待ってくれ。誠一郎さんはきぬの話を聞いてくれたんだろ? だったら、記憶は消えてないじゃないか」
「すぐに消えるわけではない。周期がある」
「周期?」
「4月1日……その日になった瞬間、私に関する記憶や記録をそれまで持っていた人々から全て消去されてしまう。つまり、4月1日を境目に私との1年間の記憶は失われるのだ」
「待ってくれよ……それじゃあ……」
「……残念だが、君は4月1日を迎えた時点で私のことを忘れ去ってしまう……」
「な……え……」
「…………」
なんの冗談だ……。俺がきぬのことを忘れる? 俺が今まできぬとしてきたことも全部、ないことになるっていうのか。
「認められるか……そんなこと……」
「誠君……」
「あってたまるかよ。俺が……きぬのこと忘れるって……あるわけないだろ」
「では、覚えているか? 私とのことを」
「覚えているさ。みんなで学園祭準備をしたことも、一緒に学園祭を回ったことも、水族館に行ったことも、きぬに協力してパンフレットを配ったことも……。全部覚えている。忘れてるわけないだろ」
「1年周期だと言ったはずだよ、誠君。私が聞いているのは2年生以前のことだ」
「違う……違う……。俺は知らないだけだ」
「目を背けるな、誠君」
「…………」
「私は真剣に話をしているのだ」
「…………」
「私とて、何度認めたくないと思ったか……」
そうだ……俺なんかよりも、きぬのほうがよっぽど辛い思いをしてきているんだ。1000年も前から、この苦しみを味わっているんだ。俺なんて幸せじゃないか。なかったことになるんだから。でも、きぬは違う。なかったことに出来ない。1人だけ、自分だけが皆のことを覚えているのに、皆は自分のことを覚えていないんだ。どんなに目立とうとも、どんなに人から評価されるようなことをしても、全てなかったことになる。そんな苦しみに耐えてきているんだ。それなのに、俺は少し事情を知っただけで我が物顔で、きぬの気持ちを考えないで、自分勝手に悲しんで、認めなくて。きぬだって、本当は口に出すのも嫌なはずだ。口に出したら、再認識しなければいけない。それを俺はさせてしまっているのに……。
「ごめん、きぬ」
「私のほうこそ、すまない。聞いてもらっているのに……」
「……俺はすでに、きぬと出会っていたんだな? 2年生になる以前から」
「ああ。初めて会ったのは、君が幼い頃だ」
「そんな昔から?」
「以前、君は幼い頃の夢を見たと言って、御守神社に来ていたな?」
「そうだな……あ――」
「迷子になった幼い君を出口まで導いたのは、私だ」
「そう……だったのか……」
「数年後、御守学園に入学してきた君を見て、迷子の子だとすぐに気づいた」
「俺たちはどうやって知り合ったんだ?」
「君が放課後、宿題忘れで教室に居残りしているのを見かけて、手伝ったのだ」
「あれ……それって――」
「少し前も同じことがあったな」
俺、やっぱり覚えていないんだ。1年生のとき、確かに居残りして宿題をした覚えはある。でも、きぬが来たなんてことは一切思い出せない。
「それから、君との交流が増えていくうちに紗智さんとも知り合った。そのときも紗智さんに勉強を教えたんだよ」
「じゃあ、きぬが俺や紗智に的確に勉強を教えられたのって……」
「1年生のとき、すでに一度教えていたからな。同じやり方をしただけだ」
「ごめん、俺そんなこととは知らずに余計なことばっかり言って――」
「記憶がないのだから、仕方がないよ。君たちが1年生のとき、学園祭でのことをなにか覚えているか?」
「1年生のときの学園祭……確か、そのときも今年と同じようなことが起きたんだよな?」
「そう。協賛問題が発生していた。それもあって、私の仕事は連日のように山積みだった。それを見かねて、君と紗智さんは手伝いを願い出てくれた」
紗智はいつでも紗智のまんまなんだな。
「だが、3人ではどうしようもなかった。2人が頑張ってくれたのに、不完全のまま学園祭を迎えることになった。表向きは通常通り行われたが、事情を知っている君と紗智さんは後悔の念に苛まれていた」
「そんなことが……」
そうか、だから今年の学園祭の準備が完遂したとき、俺と紗智は涙を流したのか……? 心のどこかでは覚えていたとでもいうのか。
「私は悔いた。私のせいで2人を傷つけてしまったのだと……。それから、私は君たちとの関係を浅いものにした。そして、君たちは2年生になって――」
「出会ったんだな」
「次こそ、2人に迷惑をかけたくないと、あまり関わりをもたないように心がけた。でも、あのとき……少し前に君が放課後に居残って、宿題をやっている後ろ姿を見ていたら、1年生のときのことを思い出し、やり直したい気持ちが溢れて……話しかけてしまった」
「きぬ……」
「私は……利用したんだ。自らの呪いに悩んでいると言いながら、それで君たちの記憶が消えていることをいいことにまた関係を取り戻した。私は……下劣で浅ましい女だ。自らに課せられた罰と、聞こえのいい言葉で自分を悲劇の人物と言い聞かせ、都合のいいときだけ自分の欲望のために利用する。私はそういう人間なのだ、誠君」
「そんなことない。俺はそんなきぬの気持ちが嬉しい」
「…………」
「きぬが俺たちともう一度、やり直したいって思わなかったら、今の俺たちはなかったんだ。きぬの可愛いところも、怒ったところも、悲しいところも、恥ずかしいところも、知ることなんて出来なかった」
「…………」
「きぬの行動が俺や紗智だけじゃない。三原、鈴下、仲野を動かしたんだ。それが出来たから学園祭は成功したんだ。だから、きぬの行動が間違っていたなんて絶対にない」
「ありがとう、誠君。……しかし、私が浅ましい女だというのに変わりはない」
「なぜだ?」
「話が戻るが、呪いについて書かれた書物があると言ったろう?」
「ああ、呪いの内容と解呪方法だよな」
ん……待てよ。
「解呪方法って……呪いを解くことが出来るのか!?」
「出来る……」
「だったら、早くそれを――」
「もうすでに行っている。1000年も前から……だが、一向に光明が見えんのだ」
「その解呪方法っていうのは、なんなんだ?」
「……御守桜に願いを集めるんだ」
「願いを集める?」
「人はなにかを願いながら、生きていくだろ? 内容はなんでもいい。将来の夢からその日はなにを食べたいなど。そういう人の願いを御守桜は今この時も吸収している」
「御守桜が願いを吸う……?」
「そうだ。それによって、それを願った当人の夢は吸われた分だけ、叶いづらくなる。御守学園になにか特別なことが起こらないのはそのせいだ」
「特別なこと?」
「全国模試で上位者がいる、有名大学に進学した、有名企業に就職した、部活動の成績が良い、そんなこと御守学園で見かけたことがあるか?」
「確かに御守学園は特殊なことなんてなにもない普通の学園だな」
「御守桜がそれらの願いを吸っているからだ。思い強く、御守桜により長く近づくほど、吸収量は多くなる」
「待ってくれ。それなら御守学園だけでなく、この御守町の誰の夢も叶わなくなるんじゃないのか?」
「吸収対象となるのは御守桜から一定の距離だけだ。おおよその予測だが、御守学園の敷地内ほどだ」
「なるほどな」
「私は自分の呪いを解くために学園生の夢や願いを奪っているのだ」
「でも、それは仕方ねえだろ? 御守町が出来たときに旧小谷神社をなくして、御守学園を建てたんだから」
「……少し昔の話に戻ってもいいか?」
「いいぞ」
「蔵重殿に連れられ、呪いについて記載された書物に目を通した後、誠一郎の口添えもあって、旧小谷神社で面倒を見てもらうことになった。さらに誠一郎は上坂家の縁者に私を援助するよう、取り合ってくれた」
前、遠縁の者に援助してもらっているっていうのは上坂家のことだったんだ。きぬ個人とわかる記録は――ってことは、そうでなければ記録が消えることはないってことか。名も顔も知らないって言ってたから、援助が断たれることがないんだな。
「このおかげで私は住む場所まで与えられて、今日まで生活に困ることはなかった。誠一郎を始めとする上坂家、そして旧小谷神社の鷲宮家。両家に支えられて、私は自らへの罰として、この呪いに向き合うことが決心できた。さすがに初めて迎えた4月1日は辛かったがな」
「…………」
「どこか楽観していたのかもしれない。そんな呪い本当にあるのかと……。でも、実際に体験して思い知らされた。先日まで良くしてくれていた蔵重殿も、長年不仲になったことのない姉上も、幼き頃から私を支えてくれた誠一郎も……誰1人、私のことを覚えていなかった。さすがにその日は涙が止まらなかったよ」
「…………」
「翌日の朝まで泣いた私は本当の意味で決心することが出来た。それからの私は誰にも見つからぬよう、静かに細々と暮らしていた。数十年後、誠一郎も姉上も亡くなり、それからさらに時代は進み、やがて旧小谷村も廃れてきた」
「それで御守町が出来たのか。でも、なんでわざわざ旧小谷神社を御守神社に移して、その場所に御守学園が建てられたんだ?」
「……旧小谷神社はかなり古かったのでな。修復も困難だったため、
「遷宮っていうのは、神社の引越しみたいなものか?」
「その捉え方で構わない。そこで問題になったのは御神木だ」
「神社を他の場所に移すってことは、御守桜もどうにかしないといけないだろうしな」
「もし、御神木を移動するか切り倒されていたならば、私の呪いが解かれることはなかった」
「そうなのか?」
「ああ、解呪を行うためには実行されるまで、御神木に手を加えることが許されていなかったのだ」
「でも、今も同じ場所にあるってことは大丈夫だったんだろ?」
「そうだ。当時の宮司が私を訪ねてきたのだ」
「どうして?」
「私も驚いたが、宮司の話を聞いて納得したよ」
「なんて言ってたんだ?」
「誠一郎が口伝と伝書を残していたんだ」
「誠一郎さんが?」
「誠一郎は自分の記憶がなくなる前に平十郎へ口伝と伝書を残した。それが鷲宮家へ受け継がれていったのだ」
「その口伝と伝書というのは?」
「御神木になにがしかの出来事が起こったときは私の住まいを訪問し、伝書を渡せと口伝で伝えられ、その伝書を受け取った。そこには誠一郎からの私への言葉が書かれていた」
「なにが書かれていたんだ?」
「『我が人生、最愛の友人よ。この文を読むとき、我が子孫に訳を話し、協力を仰げ。日の出はもうすぐだ』と」
誠一郎さん、俺なんかよりもずっときぬのこと考えて……。
「数百年ぶりに誠一郎に会えた気がしたよ。読み終えて、宮司に訳を話した。それで出た結論が、御守学園の建設だ」
「どうして、学園を?」
「今までは神社であったから、参拝に来る人々の願いを吸収していたが、御神木があるだけではあまり人が寄り付かず、願いが集まらない。だが、学園ならば強い夢や希望を持った若人が集まる場所だ。願いを集めるには最適なのだ」
「言われてみると確かに」
「それに、私がその学園に通うことで新しい時代に順応することもでき、日陰に隠れずとも日常生活を送れるように出来る。それが御守学園が建設された理由だ」
「鷲宮家っていうのは、そんなに権力を持ってたのか」
「当時は、な。現在はそんなことはない。御守町に成ったとき、私は自分の生まれ故郷を忘れぬため、苗字を古田から小谷に改名した」
きぬの存在があったから、旧小谷神社跡に御守学園が建設されたのか。どうりでどんな資料にも経緯を記す記録が残ってないはずだ。
「御守桜に、とある伝説があるのは知っているか?」
「告白に成功すると2人が必ず結ばれる、ってやつか?」
「そうだ」
「それにもなにかあるのか?」
「その伝説、実は嘘八百だ」
「なにか理由があるのか?」
「純粋な者はそれを信じて、試そうとする。実際に何人か実行する者を見たことがある。そこまでするということはよほど強い願いだ」
「なるほどな。実行されれば、大きな吸収になるということか。だから、そういう伝説を作ったと」
「そうだ。だが、それゆえにその者の想いが届くことはない」
強い願いほど、吸収は大きくなる。それも御守桜の下でとなるとさらに吸収力は増す。そんな状態で、そいつの願いが叶うはずがないよな。
「これでわかったろう? 私がどれだけ卑劣な女なのか。自分のために、他人の夢を奪っているのだ」
「そうだけど……やっぱり、俺はきぬのこと、そんなふうに思えない」
「……なぜだ?」
「その話だけ聞けば、きぬは自分の願いだけ叶えて、その代償は他人の願いで埋め合わせしているように思える」
「…………」
「でも、逆にきぬのおかげで助かった人たち、出会えた人たちもいるはずだ」
「…………」
「誠一郎さんとお姉さんだけじゃない。鷲宮家、上坂家、旧小谷村の人々を助けた。そのおかげで俺も今、ここにいられるし、紗智だって生まれてこれた。きぬが願ったから、結果的に御守学園が建てられ、みんなに出会えた。きぬに出会うことが出来たんだ」
俺たちに自覚はなかったけど、学園祭準備の手伝いはそんな出会いを与えてくれたきぬへのお礼をしたかったのかもしれないな。
「たくさんの人が、きぬのおかげで
「……やはり、君は誠一郎と似ている」
「誠一郎さんと俺が似てる……?」
「君の言葉、私の胸に深く突き刺さったよ。本当にありがとう」
「いや……」
「……やはり、私は愚劣な女だ」
「どういうことだよ? 俺の言うこと、おかしいのか?」
「違うのだ、誠君。君はなにも悪くない。こんなことを言ってくれる人間はそういない。だからこそ、私には眩しすぎるんだ」
「さっきからなに言ってるのか、わかんねえよ」
「誠君……」
「なんだ?」
「私のこと、好きか?」
「当たり前だ。俺はきぬ以外、考えられねえ」
「ありがとう。私も同じ気持ちだ……そのはずなんだ……」
「そのはずって……」
「ダメなんだ……。君を見ているとどうしても……どうしても、誠一郎が被るのだ……」
「ま、まさか……」
「そんなはずないんだ。私が好きなのは誠君のはずなんだ……。でも……でも……」
きぬが俺に近づいたのは……きぬが俺のことを好きになったのは……。
「君が……君があまりにも誠一郎に――まるで生き写しのように似ているから……。私が見ていたのは……君を通しての誠一郎かもしれないんだ……」
「――っ!?」
「神社の裏で迷子になっていた君を初めて見かけたときは驚いた。幼い頃の誠一郎と瓜二つだったから。君と出会って以来、私は密かに君のことを見ていた。御守学園に入学してくると知ったときは歓喜したよ。でも、君と交流を持っていくにつれ、誠一郎と重ねて考えるのはダメだと深く反省した。しかし、私は間違いを犯してしまった」
「間違いって……?」
「君を初めて、私の部屋に招いたときのこと、覚えているか?」
「覚えているよ」
「当初は君に食事をご馳走するだけと思っていた。だが、君と食事していると誠一郎と食事をしていた頃を思い出して……。それで、風呂場に誘ってしまった」
だから、次の日に間違いだったとかって言ってたのか……。
「あの日、君が帰ってから罪悪感で身が裂けそうな思いだった。だから、君からの誘いは全て断るつもりだった。私の邪な気持ちのせいで誠君の心を弄びたくなかった。しかし、結局は君に甘えてしまっていた。君との関係を深めていく中で、次第に誠一郎の面影はなくなっていった。でも、それはそう考えないようにしてただけで、本当は誠一郎の背中を追っていただけかもしれない」
「…………」
「1000年前、姉上と誠一郎との仲を見て、無駄なことだと言いながら……本当は誠一郎の隣にいたいと思っていた。誠君を勝手に誠一郎と重ねて、紗智さんを差し置いて自分が誠君の隣を奪った。どれもこれも私の心の弱さが招いたことなんだ」
「…………」
「私のこと、理解できたか? こんなにも卑怯で汚れた女なんだ。君の隣に立つ資格なんて、私には――」
「それがどうかしたのか?」
「どうかしたって……私は最低な人間だと言っただろ。他人の夢を奪い、愛する人さえきちんと見ず、おめおめと生きながらえている……」
「……笑えてくるぜ」
「どういう意味だ?」
「随分、お高くとまってるじゃねえか、不老の生徒会長さん? 1000年も生きて、悟りをひらいたつもりか?」
「なにを言っているのだ……」
「悲劇のヒロインぶるんじゃねえよ。他人の夢を奪ってる? 愛する人をちゃんと見てない? おめおめと生きている? じゃあ、きぬはなにがしたいんだ」
「私の……したいこと……」
「自分が呪われてでも、助けたい人が、守りたいものがあったんじゃなかったのかよ。だから、罰を受ける覚悟があったんじゃないのかよ。自分はこう思ったからこうした、こうすると決めたって言ってるのに、自分の行動が間違っているって……そんなのおかしいだろ」
「…………」
「自分が決めたことぐらい、最後まで貫いてくれよ。俺が好きなきぬは……そういう人のはずだ……」
「――っ!」
「俺が誠一郎さんに似てたから、近づいたって言ったけど、今はそうじゃないんだろ? きっかけはそれでも、今は俺のことを見てくれてるんだろ? なら、ブレないでくれ。それとも、俺を不安にさせてなにか楽しいのか……?」
「…………」
「俺はきぬのことが好きだ。誰よりも愛しているという自信がある。俺のご先祖様がどれだけすごい人だったかは知らない。でも、きぬを想う気持ちだけは絶対に負けてない」
「…………」
「きぬはそうじゃないのか? きぬは俺のことより、誠一郎さんのほうが好きなのか?」
「誠君……」
「…………」
「……すまない。すまない、誠君……。私は……なんて愚かなことを言ってしまったんだろう」
「…………」
「私は自分のことを蔑むことで安心感を得ようとしていたのかもしれない。心の弱さを利用して、君に甘えていた。君が不安に思う気持ちを踏みにじって、独りよがりな気持ちを押し付けていた」
「…………」
「本当にすまない……」
「なら、口に出して言ってくれ。自分がしたいこと、これからどうしていきたいか」
「わかった」
きぬは深呼吸を一度してから、言葉を刻む。
「私は誠君が好きだ。今までの長い人生の中で1番愛している。この気持ちは絶対に揺るぐことはない。私は自らが願った代償の呪いを解くため、多くの苦しみから目を背けない。私には守りたい人、守りたい場所がある。人生を全うするその日まで、この決意を忘れない」
「…………」
「誠君」
「なんだ?」
「君が好きでよかった」
「きぬ……」
「誠一郎が被った君ではなく、君自身を好きでよかった」
「…………」
「今まで、私は自分のことを好きになれたことがあまりなかったが……誠君を愛した自分は好きになれそうだ」
「俺はどんなきぬでも好きになれるけどな」
「ふふっ……ありがとう、誠君」
さっきまでの重い雰囲気だったのが嘘のように、晴れ晴れとした笑顔になった。
「きぬ……」
「ん?」
「本当に……本当に俺はきぬのこと忘れてしまうのか?」
「誠君……」
「きぬのこと信じてないわけじゃないんだ。でも、こんなにきぬのことを想っているのに忘れるなんて考えられない」
「誠君……受け入れてくれ……」
「…………」
くそっ……きぬに偉そうなこと言っておきながら、俺のほうが全然ダメじゃねえか。現実を受け入れたくなくて、必死になってる。
「じゃあ、呪いはいつ解けるんだ?」
「わからん……」
「なにか目印というか合図みたいなものはないのか?」
「どの程度、願いを集めればいいのか見当がつかん」
「呪いの書物にも書いてなかったのか?」
「ただ願いを集めろとしか……」
「なら、生徒たちになにか理由をつけて、御守桜の前で願ってもらえば――」
「それはならん」
「なんでだよ。そうすれば、呪いが解けるかも――」
「……人として、それはできん」
「…………」
「――と、すでに多くの人間の願いを奪っている私が言えた義理ではないがな」
「くそ、なんで……なんでなんだよ……」
「誠君……?」
「きぬはただ救いたかっただけなのに……そんなことすら願ったらダメだって言うのかよ」
「…………」
「ふざけるなよ……御神木だかなんだか知らねえけど、もう十分だろ。1000年もきぬの時間を止めて、なにがしたいんだ」
「…………」
こんなこと言っても仕方ないのはわかってる。でも、言わずにはいられねえよ。たかが、デカイ木1本の力でこんなに苦しまないといけないなんてあまりにも理不尽だ。
「誠君……君の気持ちは嬉しい。だが、それに相当する過ちを私は犯してしまったんだ」
「過ちなんかじゃねえよ」
「私は言ってしまえば、歴史を変える行いをした。あのままいけば確実に古田家は滅亡していたし、古田家と関わりのある鷲宮家もただではすまなかったろう。それを万能の力を以て、塗り替えてしまった。その代償に1000年という時間は当然なんだ」
「まだわからねえだろ。後、100年かかるかもしれねえ。1000年かかる可能性だってある」
「……もしそうなら、私の行いはそれに相当するものだったということだ」
「……くそ……ちくしょう……」
「…………」
「こんなことって……なんでなんだ……う、うう」
「誠君……」
涙を流したら、ダメだ。きぬはそんな思いをずっとしてきたんだ。それを支えてやるのが、きぬの恋人としての俺のやるべきことだろ。それなのに、俺が弱気になっちゃだめなのに……。
「うう、きぬ……ごめん……」
「なぜ謝る? 君はなにも悪くないのに」
「俺、きぬを支えてやらなきゃいけないのに……ぐすっ、情けねえ……」
「君は十分、私の支えになってくれてるよ」
「俺に力があれば、きぬをこんな呪いから救ってやれるかもしれないのに……」
「…………」
「俺には好きな女の子を守る力もない……くそ……くそ……」
「誠君」
きぬは優しく包み込むように抱きしめ、頭を撫でてくれている。
「きぬ……?」
「君は本当に優しいな。私はその優しさにどれだけ助けられたか」
「俺はなにもしてない、できてない。きぬはこんなに苦しい思いをしてるのに、俺は全然――」
「そんなことない」
「…………」
「この1000年という時間、確かに長く辛いものではあった。しかし、それもこれも君に出会うためだったと思えば、苦の一つもない」
「うう……きぬ……」
「むしろ、君に出会わせてくれた御守桜に感謝したいほどだよ」
「ごめん、きぬ……。ごめん……」
「誠君」
頭を撫でていたきぬの手が、俺の顔面に移動する。
「謝るぐらいならば、私の願いを聞いてくれぬだろうか?」
「なんでも言ってくれ」
「私を抱いてくれ」
「え……?」
「誠君が私を忘れないように、そして誠君を私自身に刻みたいんだ」
「きぬ……」
「こんなお願いをする女は嫌いか?」
「そんなわけない。俺がきぬを抱きたくないわけないだろ」
「ありがとう、誠君」
「俺も一緒だって」
「誠君……」
「なんだ?」
「愛しているよ」
「俺も愛してるぞ、きぬ」
「んっ……」
きぬは目をつぶり、静かに優しく俺の唇に自分の唇を重ねる。
「んちゅっ……ふふ、気持ち良いものだ」
「もっとしていいか?」
「……もっとしてくれ。忘れたくても、忘れぬように」
顎を突き出してきたきぬの唇に再度、接触する。湿り気を帯び、俺の乾いた唇を潤していく。
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