きぬルート16話 昔語り
「ううん……」
外から聞こえる鳥のさえずりが、地獄の補習日の朝であると報せてくる。あー行きたくねえよ。きぬと1日過ごしたかったのに……。一応、ノート3冊用意したけど、本当にこれだけ使うわけじゃないよな? あの先生ならあり得るから、怖いんだよな。
「行くか……」
「おはよう。そして、ようこそ。楽しい日本史補習へ」
教室に到着して数分後、指定時間通りに築島先生は入室してきた。
「ようこそもなにも、希望してたわけじゃないんですけど」
「なんだ、私はてっきり個人授業が受けたくて、宿題をしてこなかったと踏んでたんだが」
「んなわけ無いッスよ。自ら落とし穴に入りに行くのは、お笑い芸人しかありえません」
「安心しろ、落とし穴とは言わせないから」
物理面でも精神面でも言わせない気だ。
「もう口答えしませんから、始めましょうよ」
「それはいいが、そんな遠い席に座ってないで、私の目の前に来い」
「だって、俺の席ここ――」
「今日、この教室は鷲宮の貸切だから遠慮することはないぞ」
「はあ……行けばいいんでしょ……」
足取り重く、築島先生の目の前の席に移動する。
「よろしい。では、始めるとしよう。ノートを出せ」
「教科書は何ページからですか? 授業でやってるとこは安土桃山時代だから――」
「ああ、教科書はいらん」
「は?」
「私が口頭と黒板を使って行う。鷲宮はそれを見聞きして、ノートをとれ」
「待ってください。一体どこから授業を――まさか縄文時代からとか言わないですよね?」
「ははは、冗談もほどほどにしろ、鷲宮」
「で、ですよねー、ははは」
「最後の氷期が過ぎて完新世になって、日本列島が成立するところからだ」
「で、ですよねー、は、はは……」
忘れていた……この人は教師の前に研究者。そりゃあ、古モンゴロイドとか新モンゴロイドとかの単語が出るくらいにまで遡るわな。
「正直、その前から歴史はあるわけだが、そこまでいくと日本史の範疇を越える可能性があるからな。鷲宮が興味あるなら――」
「はい! 私は日本史の授業を受けたいであります!」
「いい心がけだ。じゃ、始めるぞ」
すでに気が遠くなりそうだ……。俺は失いそうになる気力をなんとか保ちながら、築島先生の補習を受ける。
数時間後――
「こんな時間か……。昼休みにするぞ」
「ひ、昼休み!?」
「なんだ、いらないのか?」
「そうじゃなくて、まだ続けるんですか?!」
「当たり前だろ? まだ平城京から長岡京に遷都するところだぞ」
「一体、今日は何時に終わるんですか?」
「通常の終礼時間には終わる」
「げえー……」
「ほら、昼休みなんだから、ご飯食べとかないと保たないぞ? もしかして、持ってきてないのか?」
「いや、そんなことは――」
昼まではかかるだろうと思って、昼飯持って来といて正解だった。まさか夕方までするとは思わなかったけどさ。
「なんだ鷲宮? 弁当じゃないのか? コンビニのおにぎりやらパンやらで、上坂に作ってもらってないのか?」
「そういう先生だって、同じじゃないですか。というか、なんで紗智が出てくるんですか?」
「だって、お前たち付き合ってるんだろ?」
「ぶほっ! な、なにをいきなり!?」
「そう照れるな。皆、知ってることだ」
「俺と紗智はそういう関係じゃありません! 他にいますよ!」
「それは本当か?!」
「なんでそんなに驚くんですか?」
「いやだって……だが確かに最近、どこかよそよそしかったような。それで他というのは一体、誰だ?」
「なんでそんなこと言わなくちゃいけないんですか」
「上坂ほどの候補を差し置いた相手だ。気にするなってほうが無理だ。誰なんだ?」
「……生徒会長です」
「生徒会長……? まさか、小谷きぬか?!」
「そ、そうですけど?」
「どんな弱みを握ったんだ?」
「そんなことしてませんって! ちゃんと付き合ってます!」
「これは驚きだ。彼女ほどの人物なら、上坂を上回ってもおかしくないが……なぜ鷲宮を……」
「さらりと失礼なこと言いますね……」
「ま、大事にしてやるんだぞ」
「わかってますって」
「その辺は心配いらないか。なんたって、お前は
「先生、俺の両親のこと知ってるんですか!?」
「知ってるもなにも、あの2人と私は友人なんだ。クラスメイトだったしな。聞いてなかったのか?」
「全く……」
「あいつららしいな。お前の担任に決まったときに連絡はいれてたんだが」
「そんなの一言も言ってませんでしたよ」
「あの2人は変わらんな」
「親父とお袋は昔、どんなだったんですか?」
「端的に言うと騒がしかった。お前と上坂みたいな感じだ。2人も幼馴染だって言ってたし」
「先生は違うんですか?」
「私はこの学園で知り合った。3年間同じクラスだったが、初めて会ったときの印象は最悪だったな」
「というと?」
「昔の私は頭でっかちで頑固で――いわゆる、マジメちゃんってやつだった。勉強もきちんとしてたし、授業もちゃんと聞いて、クラス委員長で副生徒会長で成績も学年トップだった」
「全然、想像つかないんですけど……」
「昔の私が今の私を見たら、発狂するだろうさ。まあ、そんな感じで騒がしい人間は嫌いだったし、規則正しい学園生活ってやつを重視してた。だから、浩と純玲を初めて見たときは驚いたよ。こんなにも不真面目な人間がいるのかと」
なんか知らないところですげー言われてるぞ、親父とお袋。
「純玲は不真面目ってわけではないが、浩がちょっかい出す度にすぐムキになってな。それで授業中はよく2人して、廊下に立たされてたよ」
「確かに俺と紗智に似てますね」
「私もクラス委員長として、2人を何度も注意した。純玲はその度に謝ってたけど、浩は全然言うこと聞かなくてな。私に対しても、ちょっかいを出す始末だった」
親父、ああ見えてプレイボーイ気質だったのか。
「そんな浩にイライラしてたのか、クラス委員長という立場から、私はクラス自体に八つ当たりするようになった」
「八つ当たり?」
「クラスメイトに過度な注意をしたり、少しでも規則に反していたら取り締まったりとそれはまあ、クラスメイトにとっては居心地の悪いものだったろう」
「それ、クラスで不満が爆発したりしなかったんですか?」
「ご名答だ、鷲宮。事は小さなものからだった。まず筆箱が隠され、次第に靴やら体操服やら。耐えかねた私はある日の昼休み、クラスメイトが全員そろっている中、こんなことはやめろと言った。クラス中から猛反撃を食らったね。最後には帰れコールまで頂いたよ」
「よっぽど鬱憤が溜まってたんですね」
「しかし、浩と純玲だけは私を庇ってくれた。特に浩はクラスの連中に怒鳴り散らしてたな」
「親父、そんなことを……それでどうなったんですか?」
「浩が怒鳴った後、クラスの男子たちと取っ組み合いの喧嘩になったのは覚えているんだが、どう収拾がついたのかは覚えてないな。ともかく、それがきっかけで2人と友人になれたし、今の私が形作られたわけだ」
「へえ~、そんなことがあったんですね」
「お前……2人によく似ているよ」
「そうですか?」
「ああ。大雑把だが芯の強い部分は浩から、思いやりのある部分は純玲からって感じだな」
「俺、思いやりあります?」
「これでも教師だぞ? 教え子のことを見てないわけないだろ」
「自覚ないですね……」
「多少の鈍感さはあれど、お前は周囲をよく見て行動している。要するに空気が読めるやつだ」
「そうですか?」
「これ以上はやめておこう。あまり言って意識されては、損なわれる可能性がある。褒めすぎると調子に乗るしな」
「う……それは自覚あるかも……」
「よし、飯も食い終えたし、そろそろ再開するぞ」
「そういえば、なんで教科書使わないんですか? せっかく持ってきたのに」
「あれはキーワードを覚えさせる代物だからな。そんなのでは勉強とは言わん。きちんと内容を理解して、初めて勉強なんだ。授業では仕方なく使ってるが、正直好かん。今日の補習、いつも授業で教えているより、頭に残ってると思うがどうだ?」
「確かにぼんやりとですが、歴史の流れみたいなのは覚えています」
「前後の関係性を理解し、つなぎ合わせられれば歴史という科目はそう難しいものじゃない。それなのに、単にキーワードとして覚えさせようとしている教科書の作りが気に食わん。日本史とはもっとこう――」
「だああ! 先生! 先生! 長岡京に遷都した後はどうなったんですか?」
「ん? ああ、そこからだったな。その後は――」
話が脱線したら、歯止めがきかなくなるからな。無理やり軌道修正できてよかった。それにしても、先生と俺の両親がまさか友達だったなんて。しかも面白い昔話も聞けたし、今日の補習来てよかったかも。
「今日はここまでとする」
外が夕暮れに染まり始めた頃、やっと補習が終了した。
「疲れたー……」
まさか1日で日本列島誕生から、室町幕府衰退までするとは……恐るべし我が担任教諭。本当にノート3冊使ったし。
「来週また同じ時間だぞ」
「え!? 今日だけじゃないんですか!?」
「当たり前だ。計3回に分けて、補習を行うぞ」
「死んじまう~……」
「来週の土曜は休みだから、土曜に補習だ」
「せっかくの2連休が……」
「その代わり、昼までにしてやる。午後からは翌日のオープンキャンパスの準備をしないといけないからな」
「助かった……」
「再来週はもちろん午後までするからな」
「鬼ぃ~……」
「楽しみにしておけよ。じゃあな、鷲宮」
築島先生は上機嫌で教室から出て行った。計3回って、罰というか自分が授業したいだけだろ……。
「っと、いけね。急がねえと」
きぬをこれ以上、待たせるわけにはいかねえな。
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