きぬルート13話 さようなら、親しい者よ
「誠ちゃーん、お弁当だよ」
昼休みになり、いつものように紗智は自分のカバンから俺の弁当を差し出してくる。
「サンキュ」
「それじゃ――」
「ほいっと」
紗智が弁当の蓋を開ける前に奪い取る。
「あ! なにするの!?」
「お前は自分のやつ食べろ。俺も自分で食うから」
「えー、でも――」
「俺に食べさせた後だと、いつも昼休みギリギリに食べ終わってるじゃねえか。俺のせいでもあるし、今日からは自分で食うから」
「むー、せっかく食べさせてあげようと思ったのに」
「でも、3人で一緒に食べるのも楽しいと思いませんか?」
「……うん、そだね。それも悪くないか」
「いただきまーす」
「いただきまーす」
「いただきます」
「あむ、今日の弁当も美味いな」
「せ、誠ちゃんがまた褒めてくれた……」
「もうそれはいいっての」
「紗智さんの料理はいつも美味しいです。私は数回しか味見しておりませんが、それでも十分魅力は伝わってきます」
「ありがとう、麻衣ちゃん」
「味はもちろんですが、紗智さんの優しい気持ちがこもっていることが、食べるだけで感じ取ることができます」
「なんだか照れるなー」
「食べると紗智さんの優しさに包まれるような気分になれます」
「それは言いすぎだってー」
「それは俺もわかるぞ」
「え?」
「要するに紗智の料理はザ・おふくろの味ってやつだな」
「なんかそれ、複雑」
「なんでだよ、褒めてるのに」
「だって、それだとあたしが年とってるみたいじゃん」
「ネガティヴに捉えるなって。とどのつまり、美味いことには変わりないってことだ」
「私もそう思います」
「えへへ、ありがと、二人共」
「うし、ごちそーさん」
「って、誠ちゃん、はや!?」
「もう食べられたのですか?」
「ああ。俺はいつもこんなもんだぞ?」
「えー、だってあたしが食べさせてたときは――」
「だから、早く食べれなかったんだよ。ちと散歩に行ってくるわ」
「どこ行くの?」
「散歩って行ったろ? 適当に歩いてくるだけだって。じゃな」
本当は目的地があるんだけどな。
「…………」
目的地である屋上へ到着すると、鈴下はいつもの仏頂面でそこにいた。
「よ、相変わらず、ここはお前の根城だな」
「なんか用?」
「今朝はありがとな」
「今朝?」
「俺に気遣って、切り上げてくれたんだろ?」
「さ、なんのことか……」
素直じゃねえな。
「それで、あんたときぬ、付き合ってんの?」
「いきなりだな」
「取り繕っても意味ないでしょ」
「お前の言う通り、かいちょ――きぬと付き合ってるよ。つっても、昨日喫茶店に来たときはまだだったけど」
「あっそ」
「聞いてきたわりに、あんまり興味なさげだな」
「だって、予想通りというか。そうなるだろうなって思ってたし」
「俺がきぬと付き合うって思ってたのか?」
「なんとなく。紗智かきぬのどっちかだと思ってたけど、きぬを選んだのね」
「ああ」
「紗智はどうすんのよ? 昨日のこと隠したってことは、まだ言ってないんでしょ?」
「ああ」
「まさかとは思うけど、紗智には言わずにどっちにもいい顔しようってわけじゃないでしょうね? それだったら、許さないわよ?」
「するわけねえだろ、そんなの。今日1日だけ、あいつに恩返ししようと思ってな」
「恩返し?」
「あいつには今まで世話になりっぱなしだった。でも、これからはきぬがいる以上そうはいかない。だから、今日1日だけはあいつの側にいてやろうと思ってさ。それが終わったら、言うつもりだ」
「ふーん……そうなんだ」
「なんか突っかかる言い方だな」
「気のせいよ。あんたがそれでいいなら、いいんじゃない。わたしは関係ないしね」
「ま、そういうわけだから、今朝はありがとうな。それ言いに来ただけだ」
「はいはい、ご苦労さん」
「じゃあな、鈴下」
無言で手を振る鈴下を後に、俺は屋上から去った。
「……残酷よ、あんた」
「日本史の宿題、少し多いが期限内に提出することを忘れないように。くれぐれも私のいない間に問題は起こさないこと。それじゃ、終わり」
終礼時、築島先生は担当科目の宿題提出忘れがないよう、俺たちに念押ししてから教室から出て行った。
「帰ろう、誠ちゃん、麻衣ちゃん」
「はい」
「ああ」
「それにしても、日本史の宿題いっぱい出たね」
下校してからすぐ紗智は築島先生が課した宿題の話題を出す。
「ありゃ地獄の量だぜ」
「数日間、日本史の授業がないのでは仕方ないですね」
「先生、なにかあったのかな?」
「あれじゃねえか、なんかの論文発表とか」
「あーそれかもね」
「教員であると同時に、研究者だと言ってましたね。日本史でしょうけど、なにを研究されてるのでしょうか」」
「御守町のことだと思うぞ」
「誠ちゃん、なんで知ってるの?」
「この前、宿題忘れて、昼休みにこき使われたの覚えてるか?」
「うん」
「その時、先生の研究資料を運ばされたんだけど、その表題に御守町の名前があったからな。もしかしたら、それ関係で用事があるのかも」
「可能性は高いと思います」
「そこまで歴史にのめり込むぐらいだから、なにか理由があるのかな?」
「学生時代に得意科目でそのまま好きになったとか、そんなんだろ」
「鷲宮さんと紗智さんはなにか得意科目ありますか?」
「体育」
「家庭科」
「お二人らしいですね」
「誠ちゃん、普段運動しないのに昔から体育は得意だったよね」
「そういう紗智だって、家庭科の成績はクラスで1位しかとったことねえだろ」
「えっへん! ねえ、麻衣ちゃんはなにが得意なの?」
「私は国語ですね」
「うへえ、あんなんわけわかんねえよ」
「そうですか? 楽しいじゃないですか」
「ごめん、あたしも苦手」
「どういうとこがいいんだ?」
「私はとくに小説を題材にしたものが好きなのですが、物語の登場人物の気持ちを文から読み取るのはとても楽しく思います」
「すごいなー。あたし、そんなの全然わかんないもん」
「俺も同意だ」
「私は逆に家庭科や体育が不得意なので、お二人のほうがすごく見えますよ」
「向き不向きってのはあるからな」
「それでも、麻衣ちゃんは全体的に成績いいよね」
「そんなことは……」
「この3人の中でトップなのは間違いなしだな」
「あたしにとっては麻衣ちゃんが頭良くても悪くても、関係ないけどね。大事な友達ってことに変わりはないよ」
「紗智さん……はい、私も紗智さんは大事なお友達です」
「ありがとう、麻衣ちゃん」
「こちらこそ――それでは、私はあちらなので」
「うん、またね」
「じゃあな」
「失礼します」
三原の背中をしばらく見送り、俺たちも歩き出した。
「おい、紗智」
「なーに?」
「買い物はいいのか?」
「まだ食材が残ってるから」
「そっか」
「誠ちゃん……」
「ん?」
「腕、捕まってもいい?」
「なんだよ、改まって」
「ダメ?」
「いいぞ」
俺の言葉を聞いて、紗智はそっと俺の腕に抱きついてくる。
「やった――あったかいね」
「そりゃお前もだ」
「あ、そうそう。今日は誠ちゃんの好きなハンバーグ作ってあげる」
「なんだ、なにか企んでるのか?」
「ひどいなー、好きなのつくってあげようとしてるのに」
「冗談だって、楽しみにしてる」
「うん、美味しく作るね」
長年触れてきた紗智の感触も今日で終わりなんだな。そう思うと寂しくはあるが、そんなこと思っちゃいけない。俺にはもう心に決めた人がいるんだから。
「…………」
「はい、おまたせ」
帰宅して、1時間ほど時間が経った頃、俺はリビングのテーブルに置かれた紗智特製のハンバーグを目の前に、口の中が涎でいっぱいになるのを感じた。
「いただきまーす」
ハンバーグを一口サイズに切り取り、口へ運ぶ。
「美味しい?」
「うん、美味い」
「ありがとう。なんだか、今日の誠ちゃん、優しいね」
「そうか?」
「うん、そうだよ。嬉しいな……」
「…………」
「それより……いっぱい作ったから、いっぱい食べてね」
「ああ――って、多っ!?」
厨房に待機させてあるハンバーグの山を見て、目を見開く。
「いーっぱい作ったって言ったでしょ?」
「それにしたって、多すぎだ」
「さあさあ、ドンドンあるからねー」
「ちょっと待て! まだ1つ目すら、ああ!? そんなに皿に盛るなー!」
「ハンバーグタワーの完成だー!」
「ええい! こうなったら、どんだけあろうが、食い切ってみせるぜ!」
「ファイトだー!」
2時間後――
「ごふっ……もう無理だ」
「あはは、すごい! 本当に食べちゃったね」
「ああ……おかげで胃がはじけそうだが、せっかく作ってくれたんだから、全部食べねえともったいない」
「そっか……ありがと」
そろそろ、きぬのこと言わねえとな。
「……なあ、紗智」
「さーて、晩ご飯も食べたし、そろそろ帰ろうかな」
「あ、ああ」
「それじゃあね、誠ちゃ――うわああ!」
「あぶねえ!」
床で滑り、倒れそうになった紗智を抱きとめる。
「大丈夫か、紗智?!」
「うん……ありがとう」
「…………」
「…………」
顔が近い。紗智の顔、なんだか赤く火照ってるみたいだ。
「誠ちゃん……」
ダメなんだ、紗智。俺はもう――
「ほら、立てるか?」
さらに顔を近づけようとした紗智から、俺は離れる。
「あ、うん……」
そして、倒れ掛かっている紗智をそっと起こす。
「ごめんね……」
「怪我なかったか?」
「うん……それじゃ、帰るね!」
「あ、おい……」
足早に帰宅する紗智。部屋から言うしかないな。
「紗智」
「……なに?」
自室の窓を開け、向かいの部屋へ呼びかけると、すぐに紗智が顔を出した。
「あのさ、少し話が――」
「それにしても、さっきは危なかったよ!」
「は?」
「ありゃ完全に頭打ってたね!」
「…………」
「誠ちゃんが助けてくれたから、大丈夫だったけどさ!」
「…………」
「やっぱり、あたしには誠ちゃんがいないと――」
「紗智!」
「!?」
「俺の話を聞け……」
「…………」
「5分だけでもいい……」
「うん……」
一度だけ深呼吸をしてから、俺は口を開く。
「俺、実はかいちょ――きぬと付き合うことにしたんだ」
「…………」
「だから、もう紗智に頼るわけにはいかない。俺と紗智の間にそういう感情がなかったとしても、きぬに心配させたくないんだ。別に俺は紗智のことが嫌いなったわけじゃないんだ。これからも普通に幼馴染としての付き合いはしてほしい。でも、これまでみたいに飯作ってもらったり、起こしてくれたりはしないでほしいんだ」
「誠ちゃんはそれでいいの?」
「どういう意味だ?」
「あたしがいなくても、1人で起きたり、ご飯作ったり、出来るの?」
「大丈夫とは自信持って言えない。でも、そう出来る努力はするつもりだ。どっちにしても、紗智を頼ることはもう出来ないし、する気もない」
「じゃあ、なんで今日はあたしといてくれたの?」
「今まで色々してもらってたから、そのお礼がしたいと思ったんだ」
「……そっか」
「紗智、俺は――」
「あーあ、やっぱりそうだったかあ!」
「紗智……?」
「いやー、あの誠ちゃんがねー! しかも、相手はきぬさんだなんて、どうやって射止めたんだよー! このこのー!」
「…………」
「でも……うん! きぬさんなら心配ないね! しっかりしてるし、誠ちゃんをちゃんと叱ってくれそうだし、問題ないね」
「お前は母親か」
「あはは、だって、ずーっと誠ちゃんのお世話してきたんだから、半分そういうものだよ」
「はは、そうだな」
「いい、誠ちゃん? きぬさんに迷惑かけたり、心配させるようなことしちゃダメだよ?」
「わかってるって」
「頼ってばっかりじゃなくって、逆にやってあげるぐらいじゃなきゃダメだよ?」
「はいはい」
「それから――」
「今度はなんだ?」
「絶対にきぬさんを裏切ったりしちゃダメだよ?」
「…………」
「きぬさんのこと、一生大事にするって約束して?」
「ああ、わかった」
「それじゃ、ダメ!」
「なんでだよ?」
「ちゃんと誠ちゃんの口から、そう言って」
「同じことだろ」
「言って……」
「……俺は絶対にきぬを裏切らない。俺が一生、きぬのこと大事にする。俺は紗智にそう約束する」
「……そっか。そう、だよね……」
「紗智……?」
「あたし、もう寝るね……」
「おい、なんだよ急に――」
「ごめん、誠ちゃん……。あたし、頑張ってたけど……もう、無理みたい……」
「…………」
「おやすみ!」
紗智の部屋の窓が急速に閉まり、明かりが消える。
「紗智……」
俺も部屋の電気を消し、布団にうずくまった。
「ごめん……ごめんな、紗智……」
向かい側から微かに聞こえる湿った声を胸の内に刻んだ。
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