きぬルート6話 大きな背中
「はい、それでは今日はここまで」
終礼が終わり、クラスメイトたちはぞろぞろ教室から出て行く。後ろの席にいる紗智と、隣の席にいる三原も立ち上がり、下校の意志を示す。
「帰ろう、誠ちゃん?」
「悪い、今日はちょっと……」
「なにか用でもあるんですか?」
「ああ。先に帰っててくれ」
「じゃあ、ご飯作って待ってるね」
「何時に帰れるかわからんから、飯だけ置いててくれ」
「誠ちゃん、どこか行くの?」
「あ、いや、ほら、日本史の宿題をしなきゃだけど、わからないとこは聞きに来いって言われててさ。もしかしたら、また長い講義が始まるかもしれん」
「おいたわしや、誠ちゃん……」
「お前、絶対そんなこと思ってないだろ?」
「あ、バレた? 自分のせいだから、しょうがないよ。頑張ってね~」
「おのれ、紗智。なんて薄情なやつ」
「大変だと思いますが、頑張ってください」
「ああ、ありがとう、三原」
「じゃあね、誠ちゃん」
「また明日」
「じゃあな」
さて、後は会長が来るのを待つだけだ。
「…………」
遅いな。もう教室には誰もいないし、外も夕暮れになってきた。会長に限って、忘れてるなんてことはないだろうし。探しに行ってみるか。
「お待たせ、鷲宮君」
そう思い、立ち上がったとき、ちょうど会長は現れた。
「か、会長!? 随分、遅かったですね? 今、探しに行こうとしてたところだったんですよ」
「心配かけてすまない。生徒会の仕事が積まれてたからな」
「それはお疲れ様です」
「よし、では行こうか」
「は、はい」
俺は会長の後を追った。
「…………」
「…………」
教室から発って、外へ出たが、ここまで終始無言。俺はずっと会長の後をついて行ってる。俺の中にある1つの疑問を会長にぶつけてみた。
「あの、会長?」
「なんだね?」
「どこへ向かってるんですか?」
礼と詫びがしたいって言ってたけど、学園じゃダメなのか。
「私の家だよ」
「なーんだ、会長の家ですか。どこかと思ったら……ん?」
会長の家?
「大したものではないから、期待はせんでくれよ?」
「え、えええ!? 会長の家ですか!?」
「どうした、大声出して……あまり気が進まんか?」
「いーえいえいえ! 決してそのようなことは!」
会長が俺を家に……? なにかの冗談だろうか? いや、あの会長が――しかも、この態度から冗談を言ってるように思えない。つまり――
「なら、よいのだが」
本気! 会長はマジで俺を家に誘っているみたいだ。まさか昨日、想像してたことが現実に……。会長って、そんな気を起こさせないほど凛とした振る舞いだから、ちゃんと見たことなかったけど……。
「…………」
身長高いし、鍛えてるから体も引き締まってるし、胸も大きいから、抜群のプロポーションだよな。その会長があーんなムフフなことを……いかん! なにを考えてるんだ! 会長に失礼じゃねえか。それに俺の股間がパオーンしてるのがバレちまう。別のことを考えなければ……!
数十分後、俺は会長の家に上がらせてもらっていた。
「狭いところですまないが、適当にくつろいでくれ」
「ここが会長の部屋……」
思ったよりも、殺風景な部屋だ。会長が女の子らしい部屋にしてるとは思ってなかったけど、ここまで飾り気がないとは……。
「あまりジロジロと見るでない。恥ずかしいぞ」
「すみません」
恥ずかしがる要素はあるのかと聞きたいところではある。
「質問なんですけど……」
「なにかな?」
「結局、なぜ俺はここに招待されたのでしょうか?」
「礼と詫びのためと言ったろう?」
「それはわかってるんですけど――」
「夕飯をご馳走しようと思ってな」
「え?」
「紗智さんほど料理の心得があるわけではないが、それでもよければ、どうかな?」
「へ、あ、いや……って、なんで紗智が出てくるんですか?」
「毎日、食事を作ってもらっているのだろう? 紗智さんに聞いてるよ」
あのヤロー、恥ずかしいこと言うんじゃねえ。
「あ、そういえば、今日も用意しているのではないか? 先に言っておけばよかったな」
「大丈夫ですよ。今日は遅くなるって言ってあるから、多分作ってません」
嘘だけど、こうでも言わないと会長に気を遣わせるだろうしな。
「そうか、ならよいのだ。どうだろうか? 食べてくれるか?」
「それはもちろん。会長の手料理なら、断るほうがバカってもんですよ」
「ありがとう、鷲宮君。では、しばし待て。大したものじゃないが、すぐに用意する」
「ありがとうございます」
会長はキッチンへと向かっていった。といっても、この部屋からすぐ見える位置にいる。
「会長の家、御守神社のすぐ近くだったんですね?」
「ああ、もうずっとここに住んでいる」
どうりで古いわけだ。玄関を見たときに思ったけど、どう見ても物置を無理やり家屋にしたような感じだもんな。
「もっと広い部屋に住みたいとか、思わないんですか?」
「私にはここが十分すぎるくらいだ。長く住んでる故、愛着もある」
「そういうもんなんですかね」
「仮にここ以外がよいと思っても、援助してもらっている身分だ。そんなことは言えんよ」
会長らしいや。
「逆に聞くが、君は今の住まいに不満があるか?」
「うーん、とくにないですね」
「それはなぜだ?」
「なぜって……住み慣れてるから?」
「そういうことだ。しやすさ、というのは、すなわち愛着だと私は思っている」
「愛着ですか」
「しやすいから愛着が湧く、愛着があるからしやすい。どちらが起因でも、愛着があるのに違いはない」
「なるほど」
「私の勝手な持論だ。聞き流してくれて構わん。さあ、出来たぞ」
テーブルの上に2人分の料理が置かれる。
「これ、学園祭のときに言ってた山菜料理ってやつですか?」
「ああ、フキが残っていたのでな。ふきのとうと厚揚げで煮物を作った。季節違いではあるが、おかずにはちょうど良い。遠慮せずに食べてくれ」
「お言葉に甘えて、いただきまーす!」
ふきのとうを箸に取り、口に運ぶ。
「どうだ?」
「うん、美味しいですよ!」
「そうか、口に合って安心した」
「会長、料理も抜群ですね」
「人並み程度だよ。得意というわけではない。むしろ、不得意だった」
「全然そういうふうには見えませんけど」
俺の言葉を聞いて、会長は少し考えた後、口を開いた。
「少し……私の話を聞いてくれるか?」
「はい、俺も聞きたいです」
「ありがとう。……実は私には姉がいるんだ」
「ええ!?」
まさかこんな完璧な会長にお姉さんまでいるのか!?
「名を『ぬの』と言って、とにかく完璧な人だった」
「会長が完璧って称するぐらいだから、相当なんでしょうね」
「鷲宮君もみんなも誤解しているようだが、私は天才でも完璧な人間でもない」
「そんな、まさか――」
「話を戻そう。昔の私は何事も不得意でいつもなにかに怯えていて、そんな自分も嫌で……。それに加えて姉の存在は、さらに自分を惨めと感じさせていた」
「…………」
「どんなに頑張っても努力しても、姉に近づくどころか、引き離される一方だと感じていた。だから、私は逃げていた。全てのことから逃げていた。誰しも私に言った。『お前はやれば出来る子だ』、『出来ないのは努力が足りないからだ』。そんな言葉ばかり投げつけられ、私はずっと思っていた。なんて無責任なことを押し付けてくるのだろう。私がどれほど辛いのかもわからないのに、自分の物差しだけで測ってくる大人たちを恨みもした。でも、そんなときだ。たった1人だけ、私を認めてくれる者がいた」
「?」
「…………」
会長、俺のことじっと見て、どうしたんだ?
「その者は言ってくれた。『今のまま――君は君のままでいい。なにも恥じることのない君だけの光を持っている』。『その光を失いさえしなければ、君はなんだって出来るはずだ』。その言葉は私に向かうべき方向を指し示してくれた。それから、私は今まで出来なかったのが嘘のように、全てのことに努力出来た。自分に自信が持てたのだ」
「…………」
「私は完璧などではない。自分なりに努力をしているだけなのだ」
「じゃあ、お姉さんとその人は今――」
「とうの昔に手の届かぬところへいってしまった……」
「すみません……」
「話したのは私だ。謝ることはないよ」
「でも……」
「君は本当に優しいね」
「あ……」
会長の手が俺の頬に添えられる。
「ありがとう、鷲宮君」
「いえ……」
「……せっかくの食事が辛気臭くなってしまって申し訳ない。お腹は膨れたかい?」
「はい、おかげさまで」
「それはよかった。では、私は片付けるよ」
「なら、俺そろそろ帰りますね」
「え……」
「あまり長居するのも悪いですし、外も暗いですから」
「そうか……」
「じゃあ、また明日――」
俺が玄関へ向かおうとしたとき、袖に反発の力が加えられた。
「待ってくれ……」
「会長……?」
「時間は……まだ平気か?」
「時間なら、いつでも大丈夫ですけど……」
「まだ礼と詫びが終わっておらん」
「え、でも手料理――」
「あれは一部だ」
「一部って……」
「背中……」
「え……?」
「背中を流しても、構わないだろうか?」
「え……えええ!?」
せ、せ、背中を流すって……それってつまり――
「無理にとは言わないが……」
会長と……会長と一緒に風呂に入るってことだよな!? そうだよな!?
「か、会長、いくら俺が男だからって、からかわないで――」
「…………」
知ってるはずだろ。会長はこんな冗談は決して言わない。本気だ。本気で俺と――
「……いいんですか?」
会長に問いながら、生唾を飲み込む。
「……無論だ」
ここまできて、断る理由がどこにあるんだ。
「お、お願いします」
「うむ……私は片付けがある故、先に風呂場へ行っててくれ。タオルは置いてあるものを適当に使って構わない」
「わかりました」
「では、待っててくれ」
マジかよ……。本当に会長と風呂に……入るのか。俺は硬直した体をなんとか動かし、風呂場へ向かった。
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