筒六ルート16話 なるようになる

カーテンの外からは声どころか、人の気配が全くなかった。どうやら、知らない間に出て行ってしまっていたらしい。筒六は俺をカーテン裏に置き去りにし、自分だけシャワーを浴びに行った。そのことを責める暇もなく、制服に着替え、筒六の先行誘導のもとスパイ映画よろしくプールからの脱出に成功し、中庭へ。どうせならダンボール箱で身を隠しながら移動したかったけど、そんな間抜けなマネは出来る訳もない。誰とも出くわさなかったのは幸いだった。そんなこんなしてたから、けっこう時間が経っているものだと思っていたが、中庭にはまだ活気があった。

「ありゃ?」

「どうしました?」

「思ったよりも時間あったんだなって」

「そうですね。私も終了ギリギリかと思って、内心ヒヤヒヤでした」

「ちょっとベンチに座って休もうぜ?」

「はい」

「よっこらせっと」

俺と筒六はいつものベンチに腰を下ろす。

「それで誠さん?」

「ん?」

「なにか用でもありました?」

「用?」

「それとも、本気で覗き屋に転職したんですか?」

「待て待て! なんのことだ?」

「あそこにいたってことは、プールに用事だったんですよね? その目的を聞きたいんです」

「あ、そうだった……」

濃密すぎる時間を過ごしたせいか、筒六への用がすっぽり頭から抜け落ちていた。

「それとも~……本当に有り余った性欲の捌け口として、女子生徒の水着姿でも覗きに来たんですか~?」

こえー、顔こえー。

「誤解だ、筒六」

「追い詰められた男性は皆、その言葉を吐きますよ?」

「だ、誰が言ってたんだ?」

「昨日観たドラマで二股をかけた男が、浮気現場を目撃されたときに言ってました」

「フィクションじゃねえか。本当に誤解だって。筒六に用があって来たんだよ」

「よく私がプールにいるってわかりましたね?」

「屋上の主が教えてくれたからな」

「屋上の――なるほど……」

筒六の顔を見る限り、鈴下のことだと気づいたようだ。

「理解してくれたようでなによりだ」

「それで? その用っていうのはなんですか? 嘘でないなら、即答できますよね?」

「ああ、それはだな――」

「ぶぶー」

「な、なんだ? 不正解みたいな音出して」

「即答してください」

「今、言おうとしてただろ!?」

「合いの手を入れて、嘘の用事を考える余地を作りましたよね?」

「『ああ、それはだな』の間で、そんなこと考えられる奴は討論会で無双出来そうだな」

「仕方ありません。30文字以内でお願いします」

「え、えーと……」

「1、2、3、4……後、26文字です」

「うへえ……!?」

「5、6、7……後、23文字です」

う、迂闊なこと言えねえ! ならば、単刀直入に――

「明日、水族館へ行こう!」

「8から数えて……20文字。合格です」

「よっしゃ!」

「よかったですね」

「ああ、俺はやったぞ!」

「それで用事ってなんですか?」

手段が目的を凌駕するって、こういうことを言うんだろうか。

「だから! 明日のデート、水族館に行こうって言いたかったんだ」

「あ、それが用事だったんですか」

「30文字以内で言わせた意味は!?」

「でも、いいですね、水族館」

筒六はごまかすように話題を変える。

「もしかして、好きなのか?」

「はい」

「それはよかった。ちなみにイルカは好きか?」

「イルカ……いいですよね。いつか一緒に泳いでみたいです……」

「面白い夢だな」

「イルカ……いいなあ……」

「ん?」

「ほえ~……」

なんか妄想の世界へ転移してる?

「おーい、筒六さーん?」

「はっ!?」

「大丈夫か?」

「私の弱みを握って、なにする気ですか?」

「なにもしねーよ」

「ひどいことする気ですか? ナニをする気ですか?」

「ひどいことも、ナニをする気もない!」

「一安心です」

「そんなにイルカが好きなのか?」

「ええ。だって、泳ぐ姿が優雅というか、美しいじゃないですか」

「確かに他の泳ぐ生物にはない独特な雰囲気はあるな」

「そこがいいんですよ。同じスイマーとしては憧れです」

「イルカをスイマーと言っていいのか?」

「いつの日かイルカと一緒に泳ぐ日を私は夢見ています」

「ま、まあ、イルカが好きでよかったよ」

「どうかしたんですか?」

「実は昨日、水族館の招待券をもらったんだけど――」

言葉に合わせ、ポケットに忍ばせておいた招待券を見せる。

「『イルカショー特別体験付き』……」

「イルカと一緒に泳ぐことは出来ないけど、イルカショーの体験が出来るらしい。どういう体験なのかはよくわからないけどな」

「…………」

すげえ見入ってる。

「筒六?」

「は、はい……!」

「どうかな? こういうのでよかったら、明日は水族館に――」

「行きます」

「乗り気だな」

「当たり前です。イルカですよ、イルカ。鮎の塩辛じゃないんですよ?」

「そりゃうるかだろ。わかってるって」

「楽しみだな~、イルカショー……」

「く、ふふ……」

「なにを笑ってるんですか?」

「やっぱ、今日教えといてよかったと思ってさ」

「?」

「本当は明日でもよかったんだけど、早く教えたかったし、これを楽しみにしてくれれば練習にも身が入るかなって思ってさ」

「誠さん……」

「余計なお世話だったか?」

「いえ……ですが、1つ勘違いしてますよ?」

「勘違い?」

「私は別に水族館という楽しみがなくても、平気でしたよ」

「そ、そっか。そうだよな。筒六にとって水泳はなによりも大事なものなんだし、ご褒美みたいなものがなくたって真面目に――」

「もう……肝心なときに鈍感君になるんだから……」

「え……?」

「私は誠さんとのデートってだけで……もうそれだけで、楽しみで夜も眠れないくらいなんですよ?」

「筒六……」

「それがもうご褒美なんです。そんな素敵な見返りがあるのに、練習を疎かにするわけないじゃないですか」

「は、はは……」

「笑ってないで謝ってください。こんなに誠さんのことが大好きな私を見くびったんですから」

「すまない、筒六。お前の気持ちを汲んでやれなくて」

「じゃあ、今なら汲んでくれますか?」

「当たり前だ。……好きだぞ、筒六」

「私も好きです、誠さん」

「な、なんだか照れるな?」

「そうですね、えへへ。でも、嬉しいです」

なんて幸せな時間と空間だろうか。こういうのをずっと大事にしていきたいな。俺たちに気を遣っているかのように周りもすごく静かで――

「……ん?」

「どうしました?」

おかしいな。昼休みだというのに、妙に静かなのはなぜだ? てか、そもそも人の気配が――

「って、俺と筒六以外、誰もいねー!」

「誠さん! 時間! 時間!」

「もう昼休みの時間過ぎてるし!? 急いで教室戻るぞ?!」

「は、はい!」

思いっきり2人の世界に入っていた。どうやら、俺は周りが見えなくなるぐらいには筒六にゾッコンらしい。そういうの恥ずかしいとか思ってたけど、恋は盲目とはよく言ったもんだ。


校舎内に入り、俺たちはそれぞれの教室への分岐点にたどり着いた。

「では、誠さん! 私はこっちなので――」

「おう! またな!」

「――誠さん!」

ダッシュで教室に向かおうとした俺の背中から筒六は呼びかける。

「ん?」

「明日、楽しみにしてますね?」

「ああ――おっとそうだ! 明日の待ち合わせは?」

「13時に商店街でいいですか?」

「了解! じゃ、明日な?」

「はい」

俺と筒六は同時に教室へと向かっていった。えーと、次の授業は……日本史か。こりゃどんな罰を受けることになるか……。


「うむ、やはりか!」

放課後、築島先生から課題の罰として、今日中に提出のプリント課題を受け取った俺はそれを見つめながら、納得を口にする。

「なにいばってんのさ?」

「どこかでお昼寝でもしてたんですか?」

「そ、そんな感じだ……」

「ま、昼休み過ぎまで教室に戻らなかった罰が、日本史のプリント1枚で済んでラッキーだったじゃん」

「本当だよ。特別補習を回避出来たことがなによりだ」

もしこれで明日、1日補習とか言われてたら、筒六に顔向け出来なかったぞ。

「では、鷲宮さん。私たちはお先に」

「おう、また週明けな」

「晩ご飯作って待ってるからね?」

「さんきゅー」

「あ、誠ちゃん?」

「なんだ?」

「昨日のアレ。ちゃんと誘った?」

「水族館のチケットか? 言わずもがな」

「よかった」

「どうかしましたか?」

「んーん、なんでもないよ」

「はあ……」

「じゃ、誠ちゃん。明日のご飯はいらないんだよね?」

「ああ、大丈夫だ」

「おっけー。明日は楽しんできてね?」

「わかったって」

「あの一体、何のお話を……」

「帰ろ、麻衣ちゃん! 道すがら、おせーてあげる」

「わかりました」

勝手に教えてんじゃねえよ。ま、三原が相手なら別に構わないか。

「では、さようなら、鷲宮さん」

「じゃあな、三原」

紗智と三原を見送り、俺は現実と向き合うことにする。

「日本史で助かったな」

数学とかだと頭使わないといけないからな。その分、日本史みたいな社会科目は大抵、教科書に答えが載ってある。この量なら1時間もかからんだろう。

「……筒六は今頃、練習中かな」

明日は試合だし、真面目に頑張ってるだろうな。

「よし! 筒六に見習って、俺も頑張るぞ!」


「失礼しましたー」

俺は職員室を後にする。くああ……贖罪のプリント課題も終わったことだし、かえ――

「……その前に寄り道していくか」


俺は”とある場所”へ移動した。よしよし、人はいないようだ。帰る前に筒六の姿を見て、居残りの疲れを癒そう。

「さーて、筒六ちゃんはいるかなー……?」

プールのほうを覗いてみる。

「…………」

お、いた。何度かここから筒六を見たけど、今日は普段よりも真剣さが増しているように見えるな。

「…………」

当たり前か。スポーツ選手にとって、今までの練習を無駄にしないためにも、試合はなにより大事なんだろう。特に筒六は俺と接しているときは気づきにくいけど、何事にも真面目で頑張り屋だから尚更だ。

「…………」

頑張れよ、筒六。

「よっと!」

筒六も見れたし、帰るか。


「初デートか……」

明日は筒六と水族館デートか。そんなことを考えながら、布団に横たわる。思えば、筒六と付き合って一度もデートしたことなかったな。いかん。意識したら緊張してきた。深呼吸だ、深呼吸。

「すーはー……すーはー……」

こんなことで簡単に心臓の鼓動を抑えることが出来たのなら、苦労はしないか。しかし、俺がこんなだと筒六にがっかりさせちゃうかもしれない。初デートなんだから、男の俺がエスコートしてあげないと……って、そんなこと考えてたらまた鼓動が――

「考えても仕方ない。なるようになる……なるようになる……」

自らに呪文を唱えるかのごとく、ブツブツ呟く。どれだけ頭を巡らせようと、当日それをこなせなければ意味がない。なるようになる……あながち間違えてないかも。

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