8話 新たな邂逅

「よし、ここだ」

「ただの校舎裏のようですが……」

「まさか、誠ちゃん……」

疑いの目を向けるのはやめろ、紗智。

「変な想像はノーだ。そうじゃない」

「どういうことでしょうか?」

「ほら、あそこだよあそこ」

俺の指差すほうを見る2人。その方向には縦長ドーム状の建物がある。

「ああ、あそこね」

「なんなのですか?」

「あれはこの学園で1番新しい建造物、その名も屋内プールだ」

「そのようなものもあるのですね。随分新しいようですが、いつ建てられたのですか?」

「確かあたしたちが入学する1年前だから、3年前だね」

「なぜ今になって?」

「元々屋外プールがあったらしいんだけど、もう何十年も使ってて古かったし、最近学園の女子水泳部が力をつけてきたらしくてね」

「そこで期待の女子水泳部に力を入れると同時にプール老朽化問題解決のために新設されたのがこの屋内プールってわけだ」

「様々な事情が重なったわけですね」

「お金かけすぎてる感があると思うけどね」

紗智は苦笑いしながら補足する。

「そうなのですか?」

「屋内ってだけでもすごいが、温水にも切り替えられる上、中にある準備兼更衣室には個別シャワーもあるという”噂”だ」

確証があるのかは俺にもわからん。

「噂?」

「この学園では水泳の授業はやってないの。だから、女子水泳部の部員さんしか知らないんだよ」

「男子水泳部はないのですか?」

「残念ながらないんだな」

昔はあったって聞いたことあるけど。

「それはお気の毒です。それで、ここへ来た理由はなんですか?」

「さっき言った通り、ここは女子水泳部しかなく水泳の授業はない。よって、基本的に男子の立ち入りは禁止されているんだ」

「あたしの出番ってわけだね?」

俺が全てを語る前に紗智が察する。さすがだと思っておこう。

「正解だ。ここからは紗智に案内してもらってくれ」

「あの……」

「なんだ?」

「今、水泳部の方々は部活動されてないんですか?」

「女子だったら、見学は自由なんだよ」

なぜ男子は見学していけないのか、誠に遺憾である。

「そうなのですか」

「転校生に紹介したいって言えば、尚の事断られないと思うぞ」

「じゃあ、誠ちゃん。あたしは麻衣ちゃんを連れて行ってくるね」

「よろしくお願いします」

「ちゃんと案内してこいよ」

「はーい」

「行ってきます」

プールのほうへ向かって行く2人を見ながら校舎にもたれかかる。

「紗智、大丈夫か?」

あいつ抜けてるとこあるから心配で仕方ねえよ。


「…………」

遅いな。何分経ったんだろ。というか、暇だ。


「…………」

遅い。体感的には30分以上経っている感じだ。

「あいつ、なにかやらかしたんじゃないか?」

ガキの頃も見学で行ったなにかの工場で部品を壊したことあったからな。紗智は覚えてるのか、あの時のこと。俺、ちょー頑張ったんだぜ。

「……そんな思い出話はどうでもいいか」

今はプールに向かった2人のことだ。

「リスクはあるが仕方ない。これも安否を確認するためだ」

この校舎裏には1本の木が生えている。人が登れる程度には大きな木だ。この木に登ればプールが覗けることは男子の間では有名だ。一度試したことのある先輩がいて、その人から代々下級生男子に語り継がれている。ただ、心配なのはその人以外、実行した勇者はいないということだが……。

「お、俺は勇者になりたいんじゃない。ただ、手の届く人間を守りたいだけなんだ……」

そう自分に言い聞かせ木登りによる覗きを実行する。

「うーん、うーん。あ、あともうちょい……」

くっ、さすがに簡単に覗ける代物ではないか。しかも覗くためにはほぼ無防備な体勢を取るしかない。まさにハイリスクハイリターン。放課後は人が少ないとはいえ、教職員がここを通らないとも限らない。なんとかして早く済ませよう。

「あ、あ、あ、あと少し、なのに……」

「……いけそうですか?」

「あ、ああ。もう少しで俺は桃源郷へ至るはずだ」

「あと数センチ右ではないですか?」

「お、そうか。よし……お、おお! 見事だ!」

バッチリ中が丸見えだ。屋内に紗智と三原の姿も見える。どうやら顧問となにか話しているらしい。

「やりましたね」

「ああ。これも……」

ん?

「…………」

俺は一体、誰と話しているんだ?

「気は、済みましたか?」

「どえええ! ――ってえ!」

あまりの驚きに木から転落してしまう。目を開くとそこには1人の女子がいた。

「…………」

倒れた俺の視線の先にはその女子のスカートの中から垣間見える紺の逆三角。あ、あらー、これはまた色っぽい下着だことで……って、それよりまずいぞ! よりにもよって、女子に見られていたとは。

「よ、よお」

「……こんにちは」

「こ、こんにちは」

蛇に睨まれた蛙のような気分で俺は倒れたまま会話を続ける。ははは……口の微笑みとは裏腹に目はすわってらっしゃいますよ?

「私は1年生の仲野筒六なかのつつむです。あなたは?」

「お、俺は2年生の鷲宮誠だ」

「そうですか。それで先輩、こんなところで一体ナニをしていたんですか?」

「な、なにって、いやだな。ナニもしてないよ」

「ふーん……」

「な、納得してくれたかな?」

「私にはプールのほうを見ていたように見えたんですけど?」

「たまたま同じ方向を向いていただけだよ」

「では、桃源郷というのは?」

「ものの例えだ。そこを目指して、今は修業中の身だというな」

「私の助言を素直に聞きましたよね?」

「そ、それが?」

「私も知ってるんです。ここからプールが覗けること」

「へ、へえ~、それは対策を打つ必要があるな」

「といっても、先輩のいた場所よりもよく見えるところなんですが」

「え、マジかよ。あんなに苦労して少しだけだったのに、あれよりも――あ」

「…………」

真顔になる仲野と名乗った1年生。

「や、やだな~。ジョークセンスを磨くのも将来のためになるんだよ?」

「せん、ぱい?」

「な、なんだ?」

「ス・ケ・ベ」

怖い! その微笑み、怖いよ!

「なにやら大きな誤解が生んでいるようだが、決して俺はスケベなんかじゃないぞ。俺は身も心も純潔だ」

「だって、先輩さっきから私のスカートの中、見すぎですよ?」

「うわあああ!」

そこまでバレていたとは……!

「立ち上がるんですね?」

「あ、ああ当たり前だ!」

「満足、できました?」

「き、君は少々恥じらいというものをだな」

そりゃもうたっぷり堪能させてもらったけどさ。

「恥じらいもなにも、水着ですし」

「なぬ!?」

じゃあ、俺が見ていたのは……水着――なきにしもあらず。

「がっかり、しちゃいました?」

「そ、そんなことは――」

「顔に出てましたよ?」

「んがっ!」

んなバカな!?

「それで、どうしてプールなんか覗いてたんですか?」

「いや、だから――」

「まだ誤魔化しの言葉なんてあるんですか?」

「うぐ……」

これ以上は無理だ。正直に言うか。

「すまん、覗いたのは俺が悪かった。ただ事情があったことだけは理解してくれ」

「……聞いてあげます」

どんなことを言われても動じないという雰囲気を漂わせているが、言い訳になったとしても言わなきゃそれこそ終わりだからな。

「ありがとう。実は俺のクラスに転校生が来てさ、そいつにプールを紹介しようと思ったんだ。俺は入れないから知り合いに頼んだんだよ。でも、帰りが遅いから気になって、つい……」

「…………」

「だが、結果的には覗きと変わらん。すまなかった!」

俺は目の前の下級生に深々と頭を下げた。

「……もし理由があったとしても、プールの覗きは厳禁だってわかってますか?」

「ああ」

「その上でやったんですか?」

「……ああ」

「…………」

な、なんだ黙ったままで……。俺の処分でも考えてるのか。

「遅くなって、ごめーん!」

「お待たせいたしました」

「紗智! 三原!」

グッドタイミングなのか、バッドタイミングなのか。ようやく2人が戻ってきてくれた。

「…………」

「あれ? この子は?」

「ああ、この子は――」

紗智の疑問に答えようとしたとき、仲野は自分から自己紹介を始める。

「初めまして、1年生の仲野筒六です」

「初めまして、あたしは2年生の上坂紗智だよ」

「……わ、私は同じく2年生の三原麻衣です」

「お二人共、プールへ行かれてたんですか?」

「うん。麻衣ちゃん、昨日転校してきたばっかりで色々案内してたんだ」

「……この屋内プールは男子禁制と聞きましたので、鷲宮さんにはここでお待ちしていただきました」

「でも、顧問の先生の話が長くて……遅くなってごめんね、誠ちゃん?」

「い、いや別に大丈夫だ」

「…………」

仲野は考え事しているかのように黙り込んでいる。

「筒六ちゃんはここでなにしてたの?」

「!?」

そ、その質問はまずい。本当のことを言われでもしたら――

「それはだな――」

「私、水泳部に所属しているんです。校舎からプールへ向かう途中で鷲宮先輩に会って――」

「え……」

「お二人が遅いからどうしたんだろうって、心配なさってました。そこで私が様子を見に行こうとしたら、お二人が戻ってこられたので」

仲野……。

「あ、そうだったんだ。ごめんね、誠ちゃん」

「いや、べつに……」

「それに筒六ちゃんも。誠ちゃんの相手、疲れたでしょ?」

余計なお世話だ。

「はい、とても」

そこで乗らないでくれよ。

「でも……」

でも……なんだ?

「楽しかったです」

「ならよかった。もしなにかされたら、あたしに言ってね」

「はい、ありがとうございます、上坂先輩」

仲野、一体どういうつもりなんだ。

「それでは先輩方。部活があるので失礼します」

「うん、またね」

「ご迷惑おかけしました」

紗智は手を振り、三原は頭を下げ、仲野を送り出す。

「あ、鷲宮先輩」

プールへ向かおうとした仲野が引き返し、俺のほうへ向かってきた。

「なんだ――うわっ!」

制服の襟を掴まれ、グイッと仲野のほうへ引き寄せられる。

「今回は見逃してあげます」

仲野の吐息を感じながら耳元でそう囁かれた。

「それでは」

再びプールの方向へ走っていく仲野。

「なに言われたの?」

「……皆さんによろしくって」

本当のことなど言えるわけない。

「礼儀正しい子でしたね」

「うん、誰かさんに見習ってほしいぐらい」

「おい、誰のことだよ」

「さあね」

こっちはお前のせいで危機的状況だったんだぞ。にしても、仲野はどういうつもりなんだ。見逃すって……誰にも言わないってことでいいんだよな。もしかして、弄ばれてただけなのか。なんにせよラッキーだ。今後は気を付けないとな。

「時間も時間だし、そろそろ帰ろうか?」

「そうだな。というか、大方は案内出来たと思うぞ」

「お二人とも、これまでご案内ありがとうございました」

「あたしも改めてこの学園のことを知れたから、楽しかったよ」

「なにかわからないことがあったら、その都度聞いてくれ」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、帰ろう、2人とも」

「おう」

「あ、あの……」

紗智の合図に俺は呼応し、歩き出そうとしたが、三原の一言で歩を止める。

「どうしたの?」

紗智は三原の呼びかけに応える。

「申し訳ありませんが、私は1人で……」

「なにか用事?」

「そ、そのようなものです」

「そっか。一緒に帰りたかったけどしょうがないね」

「すみません」

「いいっていいって。また明日ね」

「はい、今日もありがとうございました。また明日」

三原は一礼し、足早に帰っていった。

「忙しいのかな?」

「さあな。こっちに越してきたばかりだし、なにかと予定があるんだろ」

「麻衣ちゃんとおしゃべりしながら帰りたかったのにな」

「んなこと言ってもしかたねえだろ。俺たちも帰ろうぜ」

「そうだね」

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