第13章 エッジ(24)

 

 

 ――― 誰かがいる!

 

 優丸が自室の襖を開けようとしたとき、中に、礼韻と涼香以外の人間の気配がした。

 

 それも、単なる人の気配ではない。なにか、とてつもなく強い気配だった。

 

 しかし、そこに敵意は感じられなかった。

 

 さらに不思議なことに、じっと動きを止め、礼韻と対座している。

 

 優丸は数瞬迷ったのち、襖を静かに開けた。礼韻が顔を動かさずに優丸を見る。その手前に大きな背中があり、その男は振り返りもしなかった。すでに人が入ってくる気配を感じていたようで、息ひとつ乱れない。

 

 優丸は一瞬で、それが島左近だということが分かった。そしてなるほどと納得する。島左近であれば、強い「気」を発していてもおかしくはない。今の感覚が研ぎ澄まされた自分であれば、充分に感じるはずだ。

 

 左近はスッと右手を横に出し、手のひらを上に、礼韻の方に動かす。

 

 ――― 礼韻のとなりに座れ、ということか。

 

 がさつそうに見える外見とは裏腹に、右手の動きはしなやかだった。優丸は足音を立てず、滑り込むように礼韻の右隣りに正座した。そこでキッと顔を上げて左近を見ると、やや俯き加減に目を閉じていた。

 

 しばしの間、沈黙が支配する。

 

「殿が……」

 

 ベース音のような底から響く低音が、左近の口から発せられた。

 

「おぬしらの背に炎を見たと言った」

 

 礼韻はゆっくりと、小さく頷いた。

 

「わしはその炎が見えんが、こうして明かりを遮り、心の目で見ると分かる。おぬしら2人は、殿が城内に引き入れただけの人物のようだ」

 

 そして左近は目を開けた。

 

「なにかがちがう。おぬしらは並の男ではない。単なるわしの思い違いかもしれんが、おぬしらはのちに大きな役割を担いそうだ。それがなにかは、まだ分からんがな」

 

 そこで初めて、表情を緩めた。

 

「深い付き合いになるやもしれん。また会おう」

 

 ゆっくりと立ち上がった左近は、振り向き、それきり礼韻たちを見ることなく出て行った。

 

 優丸は、どっと疲れた。別段相手が圧迫をかけているわけではない。しかしどういうわけか、へたり込みそうなくらいにだるさが襲った。

 

「優丸もか!」

 

 その様子を見て、礼韻が言う。

 

「希代の武人だな。あの気迫には、やられてしまう」

 

 礼韻は汗を拭った。

 

「しかし、島左近が当てずっぽうなど言うわけがない。ああ言っていたということは、我々はここに残るということか?」

 

「どうやらそうなんだろう。しかも、重要な役目を背負うらしい」

 

 その後、優丸は城内の雰囲気を礼韻に伝えた。家臣たちの統制はしっかり取れていて、少なくとも石田軍そのものに問題はなさそうだった。しかしこの規律を他の大名にまで広げるのは至難のわざだ。到底受け入れられないだろう。この規律は、今後に軋轢を生む、ひとつのタネのようなものだった。

 

「三成の西軍が勝ったということは、今後も豊臣政権が続くということだ。ということは、これまで豊臣政権が取ってきた政治体制を維持していくということにもなる。つまりは、五大老五奉行制だな。東軍の武将が抜けて、あらためて決めるということになるだろう」

 

「で、誰がなる?」

 

 腕組みをして、礼韻が聞く。

 

「そうだな、宇喜田秀家、上杉景勝、毛利輝元はそのまま継続するとして、あとは家康と前田利家の代わりだな」

 

「あぁ。前田利長、長宗我部盛親あたりかな?」

 

「前田はいいとして、長宗我部はどうだろう。中央の事情に疎すぎるし、代が変わったばかりでまだ若い。それに、同じ遠隔地の島津あたりから文句が出そうだな」

 

「では、小西行長は?」

 

「まだ長宗我部よりは、ありそうだな。あとは大谷吉継か」

 

「たしかに大谷がなった方が、政権が安定するだろう。ただ健康上の問題があるな」

 

「五奉行の方は、浅野長政の代わりが必要だな」

 

「こちらに小西、ということがあるかもしれんな」

 

「なるほど。あとは安国寺恵瓊か?」

 

「安国寺が入ると、またひとつ火種ができるな」

 

「吉川広家か?」

 

「そうだ。あの2人は犬猿の仲だからな」

 

 どこをどう持ってきても、さまざまな軋轢が生まれそうだった。島左近が言ったとおりなら、あるいは今後、政権の中枢に入っていくかもしれない。そのとき、三成から具申されたときに、即座に返答したかった。的確な返答で、話の主導権を取りたかった。しかしどう考えても、これで問題を生まないという人員配置は思いつかなかった。

 

 


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