第13章 エッジ(23)
佐和山城は飾り気のない、いかにも城主の性格を表したような城だった。もっとも礼韻はさほど自分の目で見ていない。ほとんど優丸の報告から知った。
三成たちが大阪に向かった翌日、島左近が部屋に来た。大山伯耆と同じくらい大男だが、力士体形の伯耆とちがい、全体が引き締まっている。
彼もまた、蒲生郷舎や舞兵庫に通じる、余裕ある表情を浮かべていた。しかし明らかに、先の2人よりも発信している「気」が大きかった。別段威嚇しているわけではない。ただ無表情にじっと見つめているだけだ。しかし強大な威圧感を受ける。おそらく一旦前に立ちはだかられたら、もう絶対に逃げられないだろうと全身の力が抜けてしまうにちがいない。そんなふうに、相手の抵抗を奪う迫力があった。
まだ体が完全に回復していないのか、ゆっくりした動作だった。静かに腰を落とした左近は、正座し、腕組みをして礼韻たちを見やった。
伝説の男と対座した礼韻は、全身、とりわけ背中が、痺れるように震えた。胸が圧迫されたかのように息苦しく、呼吸が荒くなる。涙が、自分の意思とは関係なく流れ出して頬を伝う。また全身が汗ばんでいた。
不思議だった。あれほど熱病のように憑りつかれ、人生の大半、頭から離れたことのなかった石田三成。その男と対面したときには、ここまで感情を揺さぶられなかった。それが島左近と対面した途端、体温が上昇して震えが止まらない。意外なことに、三成本人と会うよりも、一拍置いて島左近と会った方が、三成と対面した実感がわいたのだ。
自分は今、三成の佐和山城にいる。先ほどは三成と会って言葉を交わした。自分にとって夢とすら軽々しく言えないことを、体験してしまった。左近は微動だにせず、礼韻を見つめていた。礼韻もまた、濡れた相貌で見返す。長い長い時間、2人は対坐していた。
一方優丸は城内を隈なく探っていた。近世の建築物は当然ながら木が基本の素材で、コンクリートのように隙間なく建築することができない。必ず空間が生まれてしまう。だから忍びたちが跋扈できるのだ。
優丸は天井裏を伝って移動する。その合間、各部屋を覗き見る。
そこで見たのは、規律正しい家臣たちの姿だった。石田家全体の引き締まった雰囲気に、優丸は他意なく感心した。
優丸たちの知る東軍の勝った関ヶ原では、と言っても優丸たちの生活する現代での、本に書かれた関ヶ原のことだが、石田三成がたったの19万石の身の上であることを悔やむ場面が多く
しかし、と優丸は思う。もし三成が100万石の武将となっていたら、それはそれでたいへんだったのではないだろうかと。
たしかに石高の増加は政権内の発言力も強めたことだろう。宇喜田や小早川、毛利などに、あれほど気を使う必要がなくなったにちがいない。しかし三成の性格では、ただただ大軍団になったと喜ぶことは考えられず、家臣たちの規律の乱れに苦しめられたはずだ。石田軍のこの見事な規律は、19万石という小規模だからできたことだ。
100万石の大量の兵、それもあらためて入った領地のそれであれば、とても三成の意を行き渡らせるのは不可能だ。19万石の兵であれば、まず、目が届く。家臣たちも殿に見られている意識があるからこそ、気を引き締める。
優丸が思うに、石田家というのは少数精鋭部隊だった。関ヶ原で石田軍は複数の軍に襲いかかられたが、それを凌ぎきることができたのは、逆説になるが数的不利だからこそだったのだ。
天井裏からなのではっきりとは見えないが、だれもが引き締まった表情をしていた。それでも、硬いだけでなく笑いもある。しかしけっしてだらしのない、野放図な笑いではない。戦勝気分に浸ってもいいはずなのに、これはなかなかにすごいことだと優丸は唸った。そしてこの規律を生み出している石田三成という男を、やはり高く評価しなければと思わざるを得なかった。
日が傾き、周囲が見えずらくなったところで、優丸は部屋へと戻っていった。
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