第13章 エッジ(9)

 

  

 関ヶ原の至るところで火が燃えている。それぞれの隊がそれぞれの場所で野営し、焚火を起こしているのだ。

 

 礼韻たちもまた、焚火を囲んでいる。合戦を見学するためにこの地に降り立ってからは、見つかってはまずいので、火の気は控えていた。時間を超えたという異常な行為への興奮が多少は紛らわせてくれたが、それでも10月の関ヶ原はやはり寒かった。しかし今は、合戦が終わって戦勝気分が蔓延する中なので、おおっぴらに火をおこせる。

 

 3人とも、寝ない。ときおり目は瞑るが、意識はしっかりしていた。時を戻れるかどうかという状況で、とても眠れるものではない。

 

 暗闇のなか、話もせずにじっとしている。動きもほとんどない。ときおり優丸が木をくべるために立ち上がる程度だ。

 

 涼香は炎を見つめている。今、この待つしかないもどかしい状況のなか、最も気持ちが落ち着く行為だった。

 

 キャンプファイヤーで礼韻にからかわれたことを思いだす。あの晩も、教師たちが火を消すまで、見続けていた。

 

 火は、人間が内在している好奇心を満たしてくれる。その揺らめきが、妖し気に気持ちを惹きつけてくれるのだ。それが、この圧し潰されそうな不安を、ほんのいっときでも忘れさせてくれる。

 

 礼韻も優丸も、火を見つめていた。おそらく自分と同じように、それで時間を稼いでいるのだろう。待つ身のつらさは、頭が回転する人間ほど強いものだ。ましてや彼らは、自分を巻き込んだ責任を感じている。焦燥感は自分の比ではないだろうと、涼香は憐れんだ。

 

 ――― 憐れむ!!

 

 涼香は自分の気持ちに気付き、驚く。この才人を憐れむことがあるなんて、と。

 

 究極の状況のときは、いろいろと考えられないことが起こるものだ。涼香は一瞬、笑い出しそうになった。さっきは、礼韻の動揺を見た。足軽5人に槍を突きつけられてからは演技だったが、それまでは確実に動揺していた。また、礼韻の失策も見た。自分が倒れたからなので、礼韻を責めるのは酷だが、しかし普段の礼韻にはないことだった。つまりは礼韻が現代にいるように、すまして、傲慢にすごせないほど、今は切羽詰まった状況なのだ。笑わなかったのは、その笑いを2人に説明することになったら面倒だと思ったからだ。やはり、疲れきっていた。

 

 火の揺らめきに惹きつけられる。その一点に関しては、太古の昔も戦国時代も現代も同じだ。涼香は、火を見つめることで、現代と繋がっているという意識を持った。

 

 時間が、分からない。時計に慣れた現代人は体内時計が退化している。半刻経ったのか、一刻なのか、見当がつかなかった。月や星でも出ていればある程度は分かるが、上空は暗黒だった。だから耳だけを澄ました。ひたひたと近付く音、そして声。帷面の者が来ることをひたすら待ちながら、耳に神経を集中していた。

 

 腹もすかない。喉も乾かない。感覚がどこかに行ってしまったかのようだった。そんななか、南宮山の周囲がうっすらとしてきた。

 

 なんとなく、山の輪郭が分かる。暗闇で凝視すると目が慣れて見えやすくなる。そうだ、そうにちがいない。涼香は思い込んだが、虚しくてやめた。自分をごまかしてなんになるというのだ。朝が来た。だから山が見えてきたのだ。それだけのことだ。

 

 朝が来た。素直に認めるしかなかった。徐々に、はっきりと見えてくる。憎らしいほどに。帷面は現れなかったのだ。迎えに来なかったのだ。

 

 朝が来て、山が見えて、どうなる。どうにもならない。この戦国時代の世に、次の一日が来ただけなのだ。しかし涼香個人には違う意味がある。元の生活に帰れない。親と会えない。兄弟と会えない。この一日の始まりには、大きな意味があった。

 

 涼香は、なだらかな山原でいく人かの人間がうごめく南宮山を、睨むように見ていた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る