第13章 エッジ(10)

 

 西軍が勝利したこの世の中に、朝が来た。

 

 昨日までの雨が地上に舞う塵埃を完全に落としきっている。そのため、空気は澄み、日差しを行き渡らせる。

 

 晩秋の深山に降り注ぐ、美しい日差し。だが、涼香には絶望の朝日だった。

 

 朝が来てしまった。帷面の迎えもなく。おそらく、もう現代に戻れることもないだろう。そう考えると日差しがこのうえなく憎く、涼香は日の登る南宮山の方角から目を逸らした。そこで初めて、礼韻と優丸が自分を見ていることに気がついた。

 

「涼香の人生を変えてしまったことに、責任を感じている」

 

 礼韻が、深く頭を下げた。

 

「いや、変えたのではない。殺したようなものだ。少なくとも現代では、涼香は消えてなくなって、大きな出来事になっているだろう。つまりは涼香のみならず、涼香の家族まで巻き込んでしまったことになる。次元断層にまで気が回らなかった自分の甘さだ」

 

 これでまだしも優丸が次元断層に気付いてなければ、礼韻は自分を責めなかった。しかし、自分と同じ行動をとっていた人間が見抜き、そして洞察力を発揮したとなると、自分を責めずにはいられなかった。

 

 涼香は礼韻の詫びに対し、何も言葉を発しなかった。ただぼんやりと見つめているだけだった。

 

 礼韻は、悩んだ。今ここで、何をどう話していいものかを。帷面の者が迎えに来る確率は、ゼロではない。どのパラレルワールドに迷い込んだのか判断がつかず、時間がかかっているのかもしれない。そう言って、帰る望みが消えていないことを訴えることで、気持ちを鼓舞させるか。それとも、とりあえずは触れない方がいいのか。

 

 涼香は、火が落ちてくすぶっている焚火を、うつろな目で見続けている。その小さな体からは生気がまったく感じられず、なにかポンともう一押しすれば、発狂してしまうのではないかという不安定さを醸し出していた。礼韻と優丸は、どう接していいか分からなかった。

 

 東軍の勝利した関ヶ原では、戦いの翌日、石田三成の佐和山城へと向かっている。これは家康一流の戦術で、敵の総大将の居城をつぶし、兄弟縁者を根絶やしにするという本来の意味合いの他に、曖昧な寝返り組に確実に東軍側になれるかという踏み絵の意味合いも兼ねていた。そのため佐和山攻撃の主戦力は小早川、朽木、脇坂など、戦いの最中に寝返った者たちだった。

 

 この、西軍の勝った関ヶ原では寝返り組はいない。しかし戦いの最中、日和見をしていた軍はあった。もし家康であれば、そういった連中にはなにかしら汚れた仕事を言いつけ、徳川政権に移行したことを骨の髄まで分からせることだろう。しかし三成はそうしない。

 

 あれでは、関ヶ原の間、必死に戦っていた宇喜田や小西あたりから文句が出るだろうに。盆地を見つめながら優丸は思った。もっとも、傍観していた吉川や島津を罰しようにも、三成にはその権限がなかった。

 

 三成が傍観者たちを罰するには、自身ではなく、権限を持つ者にその顛末を伝え、意見を言って納得してもらい、沙汰を出してもらわなくてはならない。これまでは、それが豊臣秀吉だった。

 

 そのような方法で治世をしてきたので、三成は本当に多くの武将から恨まれていた。世の中は、虎そのものよりも、虎の威を借る狐に反感が集まる。罰する者よりも、罰する者に伝える人間の方が卑劣に映るものだ。それに、罰する者に楯突けない反動から、ついその付き人に恨みが行く。三成はこの戦国末期、天下に知れ渡る嫌われ者だった。

 

 三成はしかし、自らの造り上げた勢力の挙兵によって、大戦の勝利を得た。本来であれば、世の中を手中に入れてもおかしくない、大戦だった。そのはずなのに、三成には戦前に引き続いて統率力がなく、豊臣秀頼か毛利家の権力に頼らなければ沙汰を出せない。三成はこれからも、恨まれるポジションにいなければならないことになる。

 

 そして、よりむずかしくしているのは、秀頼や毛利家のみならず、各武将それぞれが三成を頼らざるを得ないということだ。スジさえ通せば的確且つ迅速に動いてくれ、また東北や北陸など顔も広い。そして利殖の才があり、それをほとんど無私で働いてくれる。各家それぞれに、三成は頼るところの多い男で、いないと困る男なのだ。

 

 ――― だが、それでも……。

 

 優丸は思う。いずれバラバラになることは避けられない。再度合戦があることは必至だ。

 

 ――― どう動く、これから……。

 

 優丸は決めかねていた。

 

 

 

 

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