第13章 エッジ(7)
西軍は野営をすることになった。
三成の本心としては、無理をしてでも大阪城まで一気に戻りたいところだろう。秀頼、そして淀殿に結果報告さえしてしまえば、晴れて天下に、西軍勝利を決定付けられるからだ。
しかし、大谷吉継が野営を推したようだった。合戦こそ一日で終わったが、それまでの数日、雨中の過酷な行軍が続いていた。ましてや、東軍の有力者をあっさりと逃がしている。家康の首を獲ったので、まず他の武将が襲ってくることなどないはずだが、なにしろ合戦の前年には有力七将が暗殺を企てたほどの三成の嫌われようだ。しかもその七将には、今さっき逃げた黒田長政や細川忠興などが入っている。玉砕的に襲ってこないとも限らない。今、無理を押して移動するのは危険だった。
「いい判断だ。大谷の案だろう」
大谷に好感を持つ礼韻が言った。大谷吉継の発言力は大きいが、合戦後により影響力を増したようだった。
三成が宇喜田の隊に向かった。それを見て、礼韻と優丸がホッとため息をついて顔を見合わせた。三成自身が動けば、少なくとも勝利をつかんだこの一瞬だけは揉め事も起こらないだろうからだ。いずれ西軍は自滅する。この組織は長く結束できるはずがない。それは見通しているが、しかし今このときだけは、沈静していてほしかった。
宇喜田に挨拶し、小西に行き、それから三成は島津に向かった。なるほどな、と礼韻は思った。これがあの男の悪い癖で、また自分が惹かれるところでもある。礼韻は馬を飛ばす三成のうしろ姿を、じっと見つめていた。本来であれば、名目上西軍の総大将である毛利と、それを補佐する吉川に向かわなければならない。それがカタチだ。しかし日和見の気配があった吉川にはねぎらいの言葉をかける気がしなかったのだろう。吉川の脅しに屈して動かなかった武将たちも、三成の眼から見れば同罪なのだ。あの連中はまず、自らの足で詫びに来い。南宮山を無視した三成のあいさつ回りのルートに、その思いがありありと表れていた。
果たして島津が三成の詫びを受け入れるのだろうか。優丸は心配していた。しかし、どうも話はうまく進んだようで、三成は少人数の家臣とともに、晴れ晴れとした顔で戻ってきた。その気配が移った優丸が、礼韻に苦々しい笑い顏を向けた。
やがて陣が散り、それぞれが思い思いの場所で野営を始めた。家康の本陣にあった大量の食糧を分け、火を起こして食事の支度を始めた。
礼韻たちは火を囲み、自分たちの持っていた食料を隠れるように食べながら、頭の中で会話をした。
「結局この合戦のキーマンは、小早川秀秋を誤って撃ち殺してしまった布施源兵衛ということなのか。そのせいで
頭のなかに流れる声は平坦ではなく、しっかりとイントネーションがあった。この礼韻の発言は、瓢げたものだった。
「いや!」
それを優丸の声が切り裂いた。
「小早川秀秋を撃ったのは布施源兵衛ではない」
礼韻が、炎の向こうで優丸を睨んだ。
「じゃあ、誰が……」
「名前は分からない。でもある程度見当がつく。その男をじっと見ていたからな。男はおそらく、大谷吉継の隊の者だ」
「大谷、だって?」
「あぁ。鉄砲を撃った場所と去っていった方角を考えると、間違いないだろう。いずれ大谷陣でそいつを見つければ分かることだしな。しかしな、考えてみれば当然と言えないか、礼韻。小早川秀秋は誰が見ても裏切りを画策していることが分かっていた。だから三成は、合戦に勝利した際には関白の地位を与えると約束したのだ。三成の性格では、本当はあんなバカ殿に関白など渡したくなかっただろう。でも裏切りの恐れが高かったから、背に腹は代えられなかったんだ」
「そうだろうな」
「その裏切る可能性の高い小早川秀秋を、戦巧者で現実家の大谷吉継が抑えようとしないはずがないだろう。おれたちの知る東軍勝利の関ヶ原ではあっさりと裏切りを敢行させられた。その固定観念があるから、今は信じられないだろう。でも考えてみれば、大谷吉継が裏切りを阻止する策を取るなど当然のことじゃないか。むしろこっちのパラレルワールドの方が、合理的に映らないか?」
「それは……」
虚を突かれ、礼韻が言いよどんだ。たしかに優丸の言うとおりなのだが、関ヶ原に違う展開があることなど想像すらしていなかっただけに、瞬時には認められなかった。
「大谷が小早川秀秋を暗殺する動機は、どう考えても当然のことだ。しかし大谷のすごさは、そこではない。大谷は、小早川秀秋が裏切りを
礼韻の優丸を見つめる目が、ぎらぎらと光っていた。優丸の読みに劣った悔しさが、その相貌を伝って涼香に流れてきていた。
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