第12章 寸刻の決着(5)

 

 

「南宮山も騒がしくなってきたな」

 

 優丸の言葉に、涼香が望遠鏡を右に振った。

 

 それぞれの陣に、人が行き交っている。ただ、それが誰なのか分からない。南宮山方面に、うっすらと靄がかかりだしたからだ。

 

「安国寺恵瓊も毛利秀元も、早く参戦したいところだろう」

 

 彼らが参戦に踏みきれば、戦況は西軍の優勢から一気に勝勢にまで傾く。兵数が増えるからではない。家康本陣を挟撃態勢に追い詰められるからだ。そうなれば、開戦から一兵も動かしていない失態から一転、殊勲賞がころがりこんでくることなる。合戦後の発言力がおおいに違ってくることだろう。


 しかしまだ動かない。いや、動けない。吉川広家がとおせんぼをしているからだ。

 

 死に体となって襲いかかる小早川軍を、三河軍は崩れることなく防いでいる。三河軍は戦巧者だが、技巧のみに走ることはない。むしろ愚直なほど主に忠実である面の方が強い。三河軍もまた家康のため、死に体になっていた。

 

 急ぎ井伊と細川が戻る。もう、対面する西軍武将にかまってなどいられない。本陣が危機なのだ。しかしそれらが戻ったことで、今度は小西と宇喜田の一部が小早川軍に向かえることになる。しぜん、主戦場が家康本陣前になる。家康としては避けたい展開だったはずだ。

 

「家康は下がれないのだろう」

 

 優丸の言葉に涼香が頷く。南宮山が怖くて、とても下がれたものではない。南宮山の吉川広家は、本来家康とはなんら繋がりのない武将だ。家康有利と読んだからこそ、内応をほのめかしているのだ。家康が不利であるなら、どう出るか分かったものではない。吉川広家は、まず第一に毛利家を思って行動するはずだからだ。家康の後ろには、一応南宮山への抑えとして、4つの軍が控えている。しかし、そのうち役に立つのは、池田輝政の軍くらいだ。

 

 福島隊が壊滅した。いっときも間をあけず宇喜田隊が一斉に家康本陣へと向かって来る。

 

「これは……」

 

 優丸のしぼりだす声に、涼香は驚く。今まで感情的な声など上げたことがなかったからだ。しかし思わず声が出てしまうのもよく分かった。宇喜田隊は小早川の上を行く17000。合流すれば三河軍の30000を優に越す。勢いで勝り、数でも勝れば東軍に勝ち目はない。

 

 そして、ついにそれが起こった!

 

 南宮山に陣取った諸将が駆け下りてきたのだ。吉川広家が、ここでようやく東軍を見限ったということだ。おそらくは福島正則が宇喜田に潰された時点で、勝負あったと判断したのだろう。毛利、吉川の大部隊に長束、安国寺、長曾我部が続く。

 

 北国街道では黒田が撤収している。三成を討ったとしても家康に死なれてしまったのでは意味がない。開戦に至るまで、黒田が最も調略にかけずり回ったのだ。ぜひとも家康に勝利してもらい、働きに見合った報奨をもらわなくてはならないのだ。


あれほどまで人で溢れていた三成陣の前が、誰もいなくなった。これで三成の隊も家康本陣に向かえる。全員が馬上の人となり、急行した。その中には蒲生郷舎も舞兵庫もいるはずだった。

 

 もはや戦場は家康本陣の周辺だけだ。関ヶ原全体を見まわしても人はいない。唯一の例外が島津だけだった。彼らは北国街道方面でじっと座り込んでいる。異常な光景だった。

 

 さすがの三河軍が圧されだした。小早川軍を相当数倒してはいるが、小西、宇喜多が加わり、むしろ数が増えている。そのうえ家康本陣の背後にも兵を割かなければならない。

 

 背後もまた東軍劣勢。南宮山の一団を抑えきれない。

 

 涼香は過呼吸になりそうだった。息を吸っても吸っても物足りない。喉もからからに乾いていたが、飲み物に手を伸ばすのすら面倒だった。とにかく、瞬きも忘れるくらい、じっと見つめていた。

 

 三河軍が圧されていく分、戦いの輪が狭くなっていく。それと同時に密集の度合いが濃くなっていく。

 

 小早川軍が駆け下りてから、まだたいして時が経っていない。こんなにも短時間で形勢が傾くのか。涼香は夢を見ているようだった。

 

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