第12章 寸刻の決着(4)

 

  

 秀吉亡き後の最高権力者が家康であるなら、それに仕える三河軍が最強軍団であることは当然のことだ。最強軍団を抱えている者だから最高権力者なのだし、最高権力者だから最強軍団を統率できるのだ。

 

 だから、この家康を取り巻く最後の皮一枚は容易なことでは剥がせない。京極や藤堂などとはわけがちがった。

 

 ましてや小早川軍よりも1万以上多い。小早川軍は大軍勢だが、三河軍はそれ以上だ。そして開戦時から戦闘に加わっていない。疲弊していないという条件は小早川軍と同等だった。

 

 おそらく通常の軍だったら三河軍との対峙は怯むところだろう。しかし今の小早川軍にはそれがなかった。彼ら16000は怒りの火の玉と化していた。それは、この一戦でじっと待たされていたという短期的なものだけではなかった。彼らはここ数年、もやもやした気持ちを抱え込まされていたのだ。

 

 古来、史書から創作から、関ヶ原における小早川軍を書いたものは数多くある。この関ヶ原という一大イベントの佳境に、重大な行動を取った軍なのだから。さまざまな角度から、さまざまな切り口で記されて当然といえた。しかしスポットライトは当主の秀秋と家老の平岡頼勝、稲葉正成、山口宗永、掘り下げても東軍から監視役に派遣された奥平貞治、大久保猪之助くらいだった。

 

 秀秋が揺れ動く立場に置かれるのなら、下も当然その余波を受ける。小早川家は家臣から足軽に至るまで、この戦国末期、不安定な立場に置かれてしまっていた。

 

 名君小早川隆景が豊臣政権内を上手く泳ぎ、小早川家のみならず本家の毛利家も安定させていた。秀吉の家臣ではあっても、その地位は上位で、発言力も強かった。仕える者にとってはいい時代といえた。小早川家の歯車は、しかし、秀秋を養子に迎えたところから狂いだした。

 

 家臣からすれば、小早川隆景に子がいてくれたら、というところだろう。しかし隆景に子はなく、豊臣秀吉に秀秋を押し付けられる形となった。プライドだけは強い、コンプレックスのかたまりのような若年のバカ殿。仕えている者すべてが、今後の小早川家に不安を感じたことだろう。

 

 それでも隆景がいるうちはまだよかった。しかし秀秋が養子になって2年後に当主となり、そこで隆景が隠居。さらにはその2年後に死去。家内は割れ、かなりの者が本家の毛利へ移っていった。秀秋を支える平岡頼勝も稲葉正成も元々小早川家とは関係のない人間だ。秀吉の家臣で、命令により秀秋に付いてきたにすぎない。つまりは小早川家は、まとまりのない大所帯という、この時代で最も危険なお家となったのだ。

 

 隆景が死んで3年後に関ヶ原の合戦。それがこの日だ。バカ殿を上に置き、仕える者たちははっきりした方向性の見えないままに合戦を迎えた。

 

 家臣からすればまったくばかばかしい一戦だ。関ヶ原の合戦は戦いに至るまでに各武将の駆け引きがあるが、秀秋のそれは駆け引きとは到底言えないものだった。その都度、面会した人間や聞き入った情報から態度をころころと変える。そのため、どちらからも信頼を得ていない。豪傑ゆえの気まぐれなら、下の者も納得できる。しかし秀秋のは単なる付和雷同。だから、誰一人先が読めなかった。いったいぜんたい、合戦が始まれば西軍に付くのか東軍に付くのかすら分からない。結局西軍に付くことになったが、この関ヶ原で、早くから松尾山に陣取った伊藤正盛をどかしてここに居座ったのだって、秀秋の気まぐれのひとつだった。

 

 そして合戦時の沈黙。これでは家臣たちは手柄も立てられず、合戦が終わったときに勝ち組にいたとしても、お家そのものが蔑まされ、冷や飯を食わされることは必至だ。武人として、彼らは恥ずかしかった。

 

 こういう状況に陥らせているのも、あのバカ殿のせいだ。彼らはじっと待ちながら、いや、待たされながら、怒りを募らせていっただろう。

 

 それが爆発したのだ。もはや彼らにとって三河軍が強大かどうかなど関係なかった。たとえ討たれることになったとしても、華々しく散れるのならその方がよかった。座して不名誉を着せられるより、よっぽどいい。彼らには武人としての意地があった。

 

 三河軍はこの時代、戦闘における最高のプロ集団といえた。だから、プロならではの嗅覚があった。彼らは小早川軍と相対して即座に見抜いた。彼らは死を恐れていないと。接近戦において遮二無二さがいかに重要かを、プロ集団は知っている。これは苦戦となる。追い込まれる。そう判断した彼らは、すぐさま本陣に助勢が必要だと伝言を送った。プロ集団はこだわりを捨てることも早い。分析し、適わぬとなれば素直にそれを認めるのだ。

 

 小早川軍が、三河軍に突っ込んでいった。

 

 まさに家康の目の届くところで、激戦が始まった。

 


  

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る