第11章 裏切り(13)

 

「なぜ!」

 

「どうして!」

 

「どう見ても西軍が圧しているであろう!」

 

 次々とわめく小早川秀秋のその言葉が、口の形で分かる。ただでさえ距離が近いところに持ってきて、言葉も単純だった。ひとつ問題はオーバーアクションで、望遠鏡の視覚からときおり外れてしまうほどだった。涼香は土塁に肘を付き、しっかりと軸を固定して小早川秀秋の姿を外さないようにした。

 

 対して頼勝の方は、重く座り込んで動かない。その返答も、なにを言っているのか分からない。腹話術かのように、ほとんど口の形を変えないからだ。頼勝は終始、冷静沈着な態度を崩していなかった。この頼勝がとなりにいることで、余計に小早川秀秋の愚かさが強調されてしまうことになる。

 

 涼香はとなりに、礼韻の舌打ちを聞く。礼韻のような男にとっては、小早川秀秋は耐えがたい人物なのだろう。愚か者を蔑むのは才に恵まれた者の欠陥だと、涼香は、これまでに何度も思ったことをあらためて思う。才に恵まれながら凡人を許せる、許容範囲の広い者は少ない。礼韻も、涼香の見たところ、残念ながらその域にまでは達していない。その意味で、言い方は少々おかしいが、礼韻は並の才人と言えた。

 

「どうする礼韻、訳すか?」

 

 涼香の左から声がして、思わずビクッと体を震わせる。優丸の存在が頭から飛んでいたのだ。

 

「あぁ、頼む」

  

「そっちに行こうか?」

 

「いや、多少の声なら出しても平気だろ。それに涼香だって聴きたいだろうから」

 

 二人の会話の内容が分からず、涼香は左右交互に首を振る。

 

「なんのこと言ってるの?」

 

「優丸は読唇術ができる」

 

 礼韻が短く言う。そして、

  

「読唇じゅ……」

 

 涼香が重ねて聞こうとするのを、優丸が手で制した。

 

「殿、表面だけ見てはなりません。こうやって俯瞰していれば、たしかに西軍が圧しているように見えます」

  

「そうであろうそうであろう!!」

  

「しかしそれでは、なぜあの三河軍が応援に出ないのでしょうか? この状況を家康殿が歯がゆく思うなら、殿の周囲を囲む三河軍を動かすことでしょう。三河軍が出れば、数の面でも戦闘力の面でも十分に補えます。優勢に持っていくことも可能でしょう」

 

 望遠鏡から目を離さないまま、優丸が松尾山の2人の会話を模していく。どうやら、優丸は平岡のわずかな口元の動きで発する言葉が分かるようだった。涼香は、薄気味悪いものを見るかのように、しかめ面で優丸をじっと見つめた。

 

「南宮山に陣取る軍が動かないのも不自然です。もっとも軍といっても、吉川広家ただ一人のことですが」

 

 そこで小早川秀秋が遠眼鏡を目に当て、南宮山方面をじっと見る。少々、前につんのめるような格好で。

 

 合ってる。たしかに合ってる。涼香は内心で驚く。小早川秀秋の言葉と行動が、優丸の話す平岡の言葉としっかり咬み合っていた。

 

 本当に読唇術ができるのか。涼香はあらためて優丸の才に感嘆した。そしてまた、その特技を礼韻が知っていて、それが最も活きる状況で的確に使っている。2人の見事な連係に、涼香は嫉妬心がわいた。

 

 

 


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