第11章 裏切り(12)

 

 小早川秀秋がまくしたてている。それを、平岡頼勝が落ち着き払った態度で返答する。そんな二人のやりとりが望遠鏡を通して見られた。

 

 小早川はときに激昂し、顔が触れんばかりに平岡に自身を寄せる。対して平岡は、小早川にけっして言葉を重ねず、言い終えるまでじっと待つ。そして返答は、じっと目を見つめ、ゆっくりとした口調でだった。そういった態度が、この、ほとんどパニックになっている若者の気を静める効果があると分かってのことだった。実際小早川は平岡の返答のあと、腕組みをしたり首を捻ったり、一応冷静さを取り戻している。礼韻は望遠鏡を通して、さすがだと感心した。完全に小早川を手の内に入れている。もっとも考えてみれば、と礼韻は思う。独裁者豊臣秀吉に仕えていた平岡頼勝にとって、こんな小僧のあしらいなどわけのないことにちがいない。

 

 礼韻も涼香も、平岡頼勝が今の今、どのように考えているかが手に取るように分かる。なにしろ2人とも、頼勝がこれから7年後、48歳で亡くなるまでの生涯を知っているのだ。関ヶ原後に頼勝がどういった行動を取ったかを見れば、今、この大戦中にどう考えているかがしぜんに分かろうというものだ。

 

 平岡頼勝は東軍乗りだ。たしかに眼下に広がる戦いは西軍有利だが、そんないち時期の戦況になど揺り動かされる愚か者ではない。とにかく小早川家は東軍に組み入れなければならない。それ以外にお家が生き残る途はない。平岡はそう読んでいるはずだった。

 

 平岡頼勝は小早川家とは縁のない男だった。なかなか子ができずに親戚を重用していた秀吉が、子を持ったために秀秋を追っ払った。その秀秋に帯同して、小早川家に来た。だからお家が大事というわけではない。秀秋の力量には他の者と同様に懐疑の気持ちがあるが、しかし秀秋を当主として立てていこうという方針は一貫している。小早川秀秋は関ヶ原の2年後に狂い死にするが、次々人が離れていく中、ただ一人傍に付いていたのだ。その事実を踏まえれば、平岡が徳川家を絶対視しているわけでないことが分かる。

 

 それではなぜ、平岡は裏切りという強引で危険な行為を行ってまで東軍に寄っていったのか。それはおそらく、秀秋の頭脳を考えてのことに違いない。もし西軍が勝てば内部抗争が必至だからだ。三成には他の武将を束ねる力がない。財力の面でも、武功の面でも、現在の役職の面でも。そして最も重要な、人心掌握術の面でも。それなら毛利が、となっても、宇喜田や小西あたりがケチをつけるおそれがある。この一戦、毛利は一人の兵も参加させていない。戦った連中が、くたびれ損じゃないかといちゃもんを付けるだろう。さらにはまた、元より仲の悪い安国寺恵瓊と吉川広家が大々的に対立するかもしれない。どちらも有力者で無視できない存在だ。安国寺にはバックに三成が付き、広家には当然だが毛利が付く。大戦になってもおかしくない対立だ。こうやって、パッと考えただけでもごたごたの火種は数多くある。そんな不安定な政権内を、小早川秀秋が泳いでいけるわけがなかった。必ず巻き込まれ、いいように利用されることが目に見えている。

 

 だからこそ、東軍に入り込むしかないのだ。東軍が勝って天下を取れば、家康の強大な力で世に安定が生まれる。当然秀秋など徳川政権下では虫けら扱いだろうが、少なくとも立ち位置は分かりやすいものになる。愚直に政権内のルールを守れば、身の安全は保障されるだろう。状況ごとに機転を利かす才覚のない者には、硬直した世の中の方が生きやすい。平岡頼勝の読みは、そのようなものだったろう。

 

 小早川は全身に震えを走らせていたが、平岡の声掛けの成果から、取り乱すような振舞いは見えなかった。

 

 

 


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