第11章 裏切り(11)


 小早川秀秋は家老の平岡頼勝を横に置き、体を不規則に動かしながら戦況を見守っていた。


 合戦開始時点での秀秋は、西軍にとどまっても東軍に寝返っても、どちらでも得をするという有利な立場にいた。その点では南宮山の吉川広家と同じだった。


 しかし広家と違うのは、傍観しているだけではすまないということだった。どちらの側に付くにしても、軍を動かさなければならなかった。つまりは明確に態度を表さなければならない。それを秀秋は決断できず、合戦中、延ばしに延ばすのだった。


 開戦時、戦況は不明だった。松尾山からの戦場の眺めが、濃い靄で覆われていたからだ。礼韻たちと違い、1600年時点の遠眼鏡は性能が悪く、ほんの少しの視界不良で役に立たなくなる。


 落ち着かない秀秋はちょこちょこと仮屋に戻っては、出てくる。頼勝は目で追うものの、仮屋までは付いていかない。


「一杯ひっかけてきてるんだよ」


 礼韻が口の端を歪めながら、涼香に言う。


「不安の極みで、酒でも呑まなきゃやってけないんだろうな」


 言い、また望遠鏡に目を戻す。礼韻の口調は吐き捨てるようで、秀秋をどう思っているかが如実に分かる。


 元々礼韻は小早川秀秋にいい感情を持っていない。最も嫌うタイプなのだ。


 小早川秀秋が養子に取られたのは3歳のとき。最高権力者の元に、記憶すらない年齢で置かれることになる。当然、自己の意思など無縁で、秀吉に、勝手気ままに翻弄される人生をすごすことになる。


 公務に駆り出されるのが6歳。7歳で領地を、10歳で役職を与えられる。しかしその直後に秀吉に子ができ、12歳で小早川家に養子に出されてしまう。


 13歳で領地没収。小早川の領地を受けて加増となったものの、15歳、慶長の役へ顔を出したあとに再び領地半減。さらには転封。衰えて少々ぼけた感のある秀吉によって、振り回され続けた。


 年齢からいって、おそらくここまでの秀秋に自己の意識からの行動はなかっただろう。すべては周囲で決められたことで、対処することも防ぐことも、判断することもできなかったはずだ。


 16歳のときに秀吉死去。半年後に家康の計らいで領地を戻され、さらには加増となる。


 この恩が、秀秋の東軍寝返りへとつながる。もしかしたら関ヶ原での裏切りは、初めて小早川秀秋が自身で決めた行動だったかもしれない。


 徐々に靄が取れ、戦いが眼下に表れてくるにつれ、秀秋が平岡頼勝に話す回数も増える。


「戦況を聞いているのだろうな」


 今度は視線をはずさず、礼韻が言う。


 涼香は礼韻の言葉の、最後の「な」に蔑みの意識を感じた。長い付き合いで礼韻の感情は言葉の微妙な使い方で読み取れるのだ。


 実際に見ているのに戦況を聞くのは、自身で判断が下せない愚か者の行為だ。部下に、これから自分が行うであろう行為の、裏付けをしてほしいのだ。あるいは指針を示してほしいのだ。礼韻はそう思っている。涼香は手に取るように分かった。


 靄が風に流され、眼下は見渡せる。誰が見ても西軍有利。宇喜田が押し、福島隊は崩壊している。


 まだ完全に靄が取れたわけではないので、遠方までは見えない。しかし福島隊だけが押されていることなどないはずで、福島隊の劣勢は東軍全体の劣勢を表していた。


 この状況を見れば、西軍乗りは定跡だ。しかし傍に侍る頼勝は、互角で、敢えて言うならやや東軍優勢と言う。最も頼りにしている部下の言葉に、秀秋は混乱した。

 

 

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