第8章 帷面権現(22)

 

「軍隊蟻が、か?」


「そうだ」


「おそらく、幻を見させられたんだろう。帷面権現に」


 無造作に箸を動かしながら優丸が言う。


「やっぱり優丸もそう思うか」


「あぁ。いかに山奥とはいえ、日本で軍隊蟻なんて聞いたことがないからな。それに、あれほどのおびただしい数の蟻が一匹残らず消えているのも、不自然だろう」


 優丸が言いながら、もらったおかずを涼香の前に戻す。


「涼香さん、おれたちは多分、帷面の術で幻覚を見せられたんだ。あの一面真っ黒な絨毯のような蟻はいなかったんだ。おれの言っていることを信じられるなら、気持ちを落ち着かせて、できるだけしっかり食っておいた方がいい。これからも何があるか分からないから体力をつけておかないと」


「蟻がいなかった?」


「あぁ」


「信じられない……」


「それはおれたちもだ。あれほどのものを目にしたし、肌に這ってくる感触も残っている。でも考えてみてくれ。蟻を、それもあれほどまでの大軍を操るよりも、人を催眠術にかける方がよっぽど簡単だろう」


「それはそうだけど……」


 その説明に涼香は頷くが、しかし蟻の感触がまだ残っていて、どうしても納得するまでいかない。


 しかしその晩も翌朝も、蟻は小屋の中に一匹も見当たらない。それで涼香もようやく、帷面の催眠術ということを受け入れるようになった。


「次は何を仕掛けてくるかな?」


 礼韻が軽い口調で言う。涼香は礼韻がこの小屋での一連のことを楽しんでいると感じた。


「相変わらず……」


 ため息をついて、掛布を干しに外に出ようとした。


 そこで、揺れを感じた。


 ――― 地震?


 棚の物が落ちる。これは大きいと判断した涼香はすぐさま小屋から飛び出した。


 外には礼韻と優丸がいた。涼香は礼韻に抱き着いた。


「慌てるな。大きいが巨大地震というわけではない」


 礼韻の声は落ち着いていた。


 その言葉のとおり、立っていられないほどではなかった。長く続いたが、徐々に弱まり、そしておさまった。


「震度5、くらいだな」


 優丸が言う。優丸の声も落ち着いていた。その2人の間に立ち、涼香は気持ちの安らぎを感じた。


「帷面かな?」


 礼韻が薄ら笑いを浮かべながら言う。優丸の答えが分かっているのだ。


「帷面にしては中途半端な震度だろう。もしやってくるなら、地割れが起きるほどの巨大なものを仕掛けてくるはずだ」


 優丸の言葉に、礼韻が頷く。涼香も同感だった。これでは単なる冷やかしだ。


 それでも、偶然にしてはタイミングがよすぎる。涼香はうすら寒いものを感じた。


 そこに、からからと硬質の音が響いた。


 小石が山から落ちてきていた。


 それらがだんだんと、粒を大きくしていた。


「山が……」


「土砂崩れだ。来たな」


 涼香と礼韻が同時に言った。それと同じくして地面が大きく揺れた。


 小屋の窓ガラスが割れる音が響いた。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る