第7章 祖父の贈り物 (3)

「礼韻、お前が私のあとを継ぐのだ」


「はい。それはもちろん、最終的にはそのつもりです。でもまだおじいちゃ……」


「いや、もう長くない。自分のことだ。それくらいは分かる」


「でも……」


 願坐韻の話は常に余計な飾りがなく、短かった。礼韻はそれが自分に合っていると思っていたが、しかしこのときばかりはつらかった。話の内容が重すぎて、必要最小限の言葉では支えきれないのだ。


「未練はない。なにしろ、あとを継がせられる者がいるのだから」


 このやり取りが、言葉なく交わされた。周囲にはべる願坐韻の側近たちにはまったく分からない。ただ2人が見つめているとしか思わなかった。


 言葉なく意思の疎通がはかれるのは、好都合でもあった。願坐韻の周囲には慕う者だけではない。願坐韻の権力を横取りしようと、いい顔を繕う者も多かった。その者たちは今でこそ「先生のお孫さん」と礼韻を立てているが、願坐韻が亡くなればすぐさま攻撃を仕掛けてくるはずだった。願坐韻がいなくなれば、礼韻が最も邪魔な存在になるからだ。今のやり取りを言葉で交わしていたら、その者たちは飛び上がって驚いたことだろう。そしてすぐさま、黒い計画を画策しだしたことだろう。


 願坐韻は残り少なくなった時間を、いずれ礼韻の敵となる者たちをつぶすことに充てた。自身はそれまでと振舞いを変えず、しかし周囲から人が離れているわずかな時間を有効に使い、周囲の取り巻き連中を調べ、打算的なにおいの強い者をあぶり出し、裏工作でその者に失策させることを演出し、消していった。


 電話1本で様々な人物を動かす願坐韻に、礼韻はあらためて祖父の強大な権力を知った。誰に指示を送っているのか分からない。しかし受けた相手は、ある者は調べ物に奔走し、ある者は裏工作を行い、ある者は失策した側近を糾弾して追い出し、それぞれの役割をこなしているはずだった。


 まず、願坐韻に次ぐ地位の、山崎という60年配の男が消えた。使い込みと、文献の無断引用という、単純な失策。この男には裏工作すら必要なかったと、願坐韻は嘲りの言葉を礼韻の頭の中に送ってきた。


 山崎という男は礼韻に最も世話を焼く男だった。いずれは先生のあとを継ぐお人だから、と何度言われたか分からない。しかし言葉の中にほんの微かだが白々しさが感じられ、礼韻はできるだけ距離を置くようにしていた。この男が去ったとき、やはりという思いがあった。


 次に消えたのは内野という、まじめ一方の男で、これは礼韻にとって意外だった。一言で言うなら、人畜無害という人間だったからだ。祖父の地位に興味があるなど、とても思えなかった。またこの男の失策が女性問題であったことが、より礼韻を意外な気持ちにさせた。


 倉田という男は裏工作に最後まで気付かず、研究者の地位を追われて去っていく際、願坐韻に涙を浮かべて礼を言い、また深く詫びていった。


「これほど多いとは……」


 半年後、取り巻きが半数に減ったことに礼韻は率直な感想を送った」


「当たり前だ。人間、誰が好き好んで人に使われるものか。最初は純粋に歴史学の研究を志していた者だって、こき使われている間に黒い心を持つようになっていくのだ。これは研究者だけでなく、働いて金を得ている者すべてが同じだ」


 自身で勝手気ままに指図し、追い飛ばしている願坐韻は取り巻きたちの気持ちが分かっていた。今に見ていろよ、絶対にこの苦労の元を取ってやる。そんな復讐心にも近い思いが腹の中で日々膨れ上がっていくのを、敏感に感じ取っていた。


「なぁ礼韻よ、もし過去に遡って実際に見れるとしたら、どの合戦を見てみたいか?」


 礼韻の頭に願坐韻の問いが流れてきた。彼らはこういった、歴史がらみの遊びの会話を頻繁にしていた。礼韻はいつものことだとまじめに捉えず、


「小牧・長久手の戦いです」


 と、さらりと答えた。

 

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