第4章 火蓋 (7)

 両軍入り乱れた戦場への発砲なので、それぞれの銃弾は障害物に遮られた。しかし、さすが全登の選んだ腕利きたちで、中の一発が福島正則を捉えた。


 銃撃を避けるため姿勢を低くしていた正則の、槍を構えて突き出した右腕にそれは当たった。鉛玉は二の腕の肉を削ぐように貫通し、駆けつけ、ちょうど背後に立った近習の腿にめり込んだ。


 正則と近習、そして数百メートル南の山腹で遠眼鏡越しに一部始終を見た涼香の呻きが、同時に出た。


 こうした場合に取るべき行動は、主君の側に付く者であれば頭に叩き込まれていた。覆え、と。とにかく二の矢、三の矢が来ても正則に弾が届かないよう、身を盾にして守らなければならない。我が生命など捨て、単なる盾になりきるのだ。正則の側近たちは頭で考えることもなく、隙間のない二重の壁を作った。


 人の壁は単純だが効果が厚い。撃ち手側も逃げる算段を念頭に入れると、そうそう長くは留まっていられない。ましてやこの時代の鉄砲は連射が不可で、壁を撃ち殺して掃ったのちに大将を撃つなどすれば多大な時間がかかってしまう。自陣で安泰ならともかく、拮抗する戦場でそれほどの時間はかけていられない。壁ができた時点で正則本人への攻撃は無理と判断し、全登は隊を退かせた。


 囲いの中で正則は顔をしかめながら、左手で右腕をおさえている。血が、下げた右腕を伝って指先から地面にぽたりぽたりと垂れている。近習の一人がすぐさま止血作業を始めた。他の者は、まだ四方を壁となって囲んでいた。鉄砲隊が退いても、それは罠で、安心したところを単騎の狙撃手が狙っている、などということもあるからだ。


 撃たれたには撃たれたが、涼香の目から見てもたいしたことはなさそうだった。福島正則に思い入れはまったくなかったが、何故か安堵のため息が出た。


「かわいそうに」


 礼韻が涼香に顔を向け、言った。


「貫通したのか掠めたのか知らないが、銃弾が体に残っていない正則はたいしたことない。当たったのも腕だから。うしろの近習の方が体内に残っている分、重症になるだろう。手当ても後回しだろうしな」


 同情の言葉だったが、普段と何ら変わらない声のトーンだった。


 取り巻く近習は応急処置を終えると、すぐさま正則を馬に乗せて撤退を開始した。


 伝令が行き交う。福島軍全体が退きだした。それを見た宇喜田軍が、追うかどうか逡巡しているように見える。


「それにしても……」


 今度、礼韻の声は昂っていた。


「福島正則が緒戦で撃たれたとは知らなかった。どんな史記にも書かれていないことだ。正則どころか東軍の名だたる将は、井伊直政以外に撃たれたという記述がない。なんて貴重な場面を見たんだ、おれたちは」


 その昂りは涼香も分かった。明石全登が福島正則を撃った場面を目撃すれば、当然の昂りだ。この一つだけをとっても、時を超えて来た価値は充分ある。


 その高揚する礼韻と対照的に、どういう訳か優丸が沈痛な表情を浮かべ、聞こえないほどに小さくだが舌打ちをしていた。その様が涼香は気になった。


 撤退する福島隊を、宇喜田隊が追い出した。すぐさま福島隊から可児才蔵が逆走し、殿しんがりに付いた。退く隊の最後尾で、敵の追撃を防ぐ役目を買ってでたのだ。


「あれもまた、見事な行動だな」


 礼韻がそれを見て唸る。涼香も同じ気持ちだった。この宇喜田との一戦だけ見れば不甲斐なさが際立つ福島隊だが、やはり戦国を渡ってきた軍団だけあり、有能な武人が揃っている。


 福島隊が退いたということは、開戦から1時間が経ったということか。涼香は雲が重く垂れこめる空を見やりながら思った。

 

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