第3章 三成を愛した男(4)
「始まったの?」
涼香が礼韻に訊く。
「分からない。たしかに銃声が……」
険しい表情で、呟くように言う。口ごもってしまったのは、銃声の後に続くであろう音を聞き逃さないようにという意味合いでだ。
しばらくじっと押し黙っていたが、音が続かなかったので、礼韻はゆっくりと涼香の方に向き直った。
「残る資料からの定説では、午前8時ごろ、合戦が開始となっている。東軍の一番隊を強引につかみ取った福島正則が、宇喜田陣に攻めていったとある。あるいは、外様に開戦はさせないと、家康譜代の井伊直政が福島隊を出し抜いたという説もある。いずれにしろ、この靄が立ち込める中では、確実なところは分からないだろう。おそらく当事者たちですら。とにかく、宇喜田秀家の軍に東軍が発砲するところから合戦が始まるということだ」
音に注意を払いながら、礼韻が低く言う。
「なにしろ今、おれたちには時計がないからな。闇が去ってからどれくらい経ったのか分からない。なんとなく、まだ8時にまではなっていないように感じる。しかし8時になったかもしれないし、あるいは史実は、合戦開始が8時より早かったのかもしれない。いきなり動きがあるかもしれないから、すず、よく注意しておけよ」
靄は視界を遮り、眼下を俯瞰することができない。しかし合戦が起こればおよそ20万の男たちの声が盆地を揺らすことだろう。それは地鳴りとなるに違いない。涼香は想像し、背中に寒気を走らせた。
3人は、優れた望遠鏡を持参していた。光の粒子を集め、夜間でも見られる高性能のものだ。しかし靄はどうしようもなかった。とにかく今は、耳こそが頼りだった。だが一発の銃声のあと、盆地は静まり返っていた。
石田三成が、秀吉亡きあと強大な権力を手中にした家康に、なぜ戦いを挑んだのか本当のところは分からない。資料や分析によって、おおよその理由は挙げられるが、結局は人ひとりの頭の中のことなので、合理的な説が合っているということには限らない。だからこそどんな解釈もでき、後世に多くの創作が生まれているのだ。
涼香はタイムトラベルの直前、礼韻に、もしも関ヶ原で西軍が勝っていたらどういう世になっていたか聞いてみた。三成びいきの礼韻だが、聞かれた瞬間に鼻で笑い、
「第二の応仁の乱が起こるだろうな。それも全国規模で。世の中は混乱でめちゃくちゃになる」響く
と即答した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます