若干の余裕、シテマス

「ちょいと聞くが、なんで今更坊主を手に掛けようとしたんだ。下手すりゃおめぇも取り込まれるんだぞ。そりゃおめぇの魔物は俺様や糞騎士が全部駆逐したけど……。その気になりゃいつものようにゴロツキや夜盗をあやつってひと思いに殺ればいいんじゃねぇか?」


「彼は暗黒女王と契約を交わしていますからね。人やマ物、僕の眷属で殺っても黄泉帰よみがえってしまいます。だからマ神である僕の手で彼の魂ごと消滅させようとしたんですよ。それにアデル君には”まだ若干の余裕があります”が、僕自身を取り込む空きはもうありません」

 イタチは昔を思い出すかのように遠い目をして答えた。


「なにより故郷のラハ村へ帰ると言ったアデル君をナインさんが引き留めて、《失うモノがない者ロスト・レス》が集うこのヤゴの街の広場で寝泊まりさせ、さらに、《地獄の刀神ヴァージャ》や、《蒼き月の聖女ソーマ》とも関わり合いになるとは……。さすがアデル君と感嘆すると同時に、うかつに手を出せない歯がゆさも感じましたね」


 話し終わったイタチの前を、《失うモノがない者》の一人、《酔っ払いハオマ》が現れる。

 ボロをまとい、唄を口ずさみ、つたない足取りで”マ神の結界内”をなんなく横切っていった。


「なんじゃろくでなし! 生きとったんか!」

「ああ、あんたがクンダリン様にかけてくれた神酒ハオマのおかげでな」

 ナインが礼にとハオマに向かって酒の小瓶を放り投、いや、


”ナインの手から離れる前に、小瓶はすでに酔っ払いの手の中にあった”。


「酒は天下の廻り物。ウッゴ君、ウッゴちゃんしかり、このワシしかり、一番飲みたいと思う者の口に入るのが世のことわりじゃて! ひゃっひゃっひゃ!」

 男は酒瓶を口に含むと二人に笑顔を見せながら呟き、やがて霧のように消えていった。


「全く……糞騎士さんも”想って”いましたが、このヤゴの街にはトンでもない方々が住んでいらっしゃいますね」

 ナインと酔っ払いのやりとりに、イタチはゆっくりとこうべを垂れて苦笑した。


「さっきナインさんがおっしゃったように、僕はもう完全に手詰まりでしてね。計画もことごとくナインさんと糞騎士さんに看破されて、その上ナインさんの魔法すら見抜けないんじゃ……」


「おめぇ、それでもまだ坊主につきまとうのか?」

「しばらくは手を引きますよ。むしろアデル君の将来に興味がわきますね。僕をことごとくコケにした彼の、人生の行き着く先を見届ける権利ぐらいは僕にはありますから……」


「だったらあえて今殺らなくても、そうだなぁ、あいつがガキの時に……」

「それが不可能だったんですよ。ご存じですか? お伽噺の、《白き鳥と黒き鳥》。あれには実は隠された噺があることを……」


 初めて聞く噺に、ナインの顔は思わずイタチへと振り向く。

「まぁたいした噺ではないですけどね。実は白き鳥は黒き鳥を想っていたんです。それが人の言う情愛かどうかわかりませんが、それ以前に彼らの”性別”すら不明ですけどね」


 もしある性別同士なら貴婦人アルドナが、その正反対の性別同士なら白百合の団の団長オトメが歓喜の声を発し身を乗り出すであろうと、ナインは若干、顔を歪めた。


「実はアデル君がラハ村にいた時からずっと、白き鳥は黒き鳥、いやアデル君を見守っていたんですよ。さすがに姿は消していましたが。白き鳥は太古の昔から黒き鳥と、《一体》になろうと日々考えていました。マ神の僕が言うのも何ですが、愛ゆえに……ですかね?」


「それを知りながらなんで魔物を差し向けたんだ? それに、よく帝国軍や村人に気づかれなかったな?」

「今まで所在すらつかめなかった黒き鳥が、アデル君という目印になりましたからね。そして黒き鳥がどのようにして、どのくらいマ物を取り込むかの実験も兼ねていました」

 イタチは地面を黒板に見立てて図を書き、ナインに説明した。


「その結果わかったのが黒き鳥、アデル君を中心に、地平線までを半径とした球状の、いわば《黒き鳥の結界》ですかね。そこから一歩でも自分に近づくマ物を取り込むことがわかりました。

「ほ~ん」


「もっともこれはラハ村周辺の、あくまで何もない野原でのこと。山の影や、様々な”結界”の中にアデル君がいた場合、黒き鳥の結界はどう変化するかはわかりませんでした」

 楽しかった思い出を話すかのように、イタチの顔に笑顔が戻ってきた。


「いやぁでも気持ちよかったですよ。遠くにそびえ立つ白き鳥の目の前で、アデル君に向かってマ物を差し向けましたから。もっとも、あちらも黒き鳥が取り込むのを知っていたのか、下手に自分が手を出しては黒き鳥を取り込んだアデル君共々、ラハ村周辺が跡形もなく消え去るかもってことで、僕やマ物には全く手を出してきませんでしたけどね」


 だんだんと悪魔の微笑みに変化しながら、おもしろそうに話すイタチの顔を

「悪趣味な奴!」

とナインは一蹴した。


「マ神に対する褒め言葉として受け取っておきましょう。アイシール地方のみならず異国にまで赴いて僕はマ物をかき集めて、アデル君に差し向けました。そしてあと、《十二体》で黒き鳥の体はマ物で一杯になる所まで来たんですよ。もっとも”たい”ですから、僕が取り込まれないよう念には念を入れ、決して、《マ神の姿》にはなりませんでしたけどね」


「ふんふん! それで!」

 お伽噺を聞く子供のように、ナインは自分の耳をイタチの口へと近づける。


「再びマ物を集めて、喜び勇んでラハ村に来たところ、アデル君どころか白き鳥もいない……。何のことはない、彼は念願のヤゴ冒険者学園に入学していたんですよ」

「……それでおめぇの計画はおしめぇかい?」


「その時の僕の軍勢はせいぜい数百程度でしたからね。ラハ村なら十分ですが、ヤゴの街は冒険者の街。数百程度ならイヌワシさんの金色犬鷲の団や灰色熊の団で余裕で片付けられてしまいます。それより前に蒼き月の教団の軍勢が出てくるかもしれませんけど」


「……ん? そういえば去年の今頃、ヤゴの街のそばで魔物の軍勢が現れたな。フリーの俺もなぜか前線に”蹴飛ばされた”が……。まさか、あれはおめぇの仕業か?」


「さぁ、どうでしょう? ちなみにその時、我が紅鼬くれないいたちの団は勇猛果敢に北門を守っていましたよ。”なぜか”一匹のマ物も現れませんでしたが……」

 イタチは、何か含むような微笑みをナインに向けた。


「まぁいいや。それからおめぇはどうしていたんだ?」

「冒険者学園の仕事をしながらアデル君を観察していました。ある時は賄い、ある時は清掃員、ある時は庭師、ある時は来賓をもてなす吟遊詩人、またある時は特別講師として野営の課外授業に同伴して、アデル君が野良マ物を取り込まないよう結界を張ったりとか」


「なんで結界を張るんだ? むしろ取り込ませた方が……」

「いくらアデル君の体の中にいるとはいえ、黒き鳥の体がマ物で満杯になった瞬間、僕のあずかり知らぬ時に、その身を焼く為に天界へ飛び去ってしまう可能性が捨て切れませんでしたからね」

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