第十章 マジン、シテマス

眼と耳、シテマス

 ヤゴの街の東にある釜口池。

 その豊富な水源から引かれた用水路は、ヤゴの街のみならず東のエダ村、ラハ村にまで伸び、豊かな穀倉と牧畜地帯の源となっていた。


 その釜口池の底の地下には、おそらく誰も存在すら信じない”空洞”があった。

 空洞の壁一面はまるで太陽の光のように輝いており、適度な暖かさに保たれていた。


 その中央には並の帝国貴族の屋敷すら凌駕する豪邸と、一分の隙のないほど手入れされた庭園があり、噴水からは水晶のような水が尽きることなく吹き出していた。


「”ここ”は、初めてですかな?」

 豪華な装飾に彩られた赤い貴族服に身を包んだ初老の男が、隣にいる青い貴族服を着た小太りの男に尋ねた。


「はい、西の”同胞”の屋敷は訪ねたことがありますが、東にもこれほどのモノが……」

 豪邸の門の前に”跳んだ”二人の帝都の役人の前に、一人の漆黒の執事が現れた。


「ようこそおいで下さいました。” ”様。そちらは” ”様でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります、当屋敷を預かる、《メテヤ》でございます」

 ”今の”世界の住人には聞き取れない名前を、執事は恭しく二人に確認した。


「貴公も言いにくかろう。いつも通り”この世界”の名前、《オクルス》でよい。こちらは、《アウリス》卿、卿はここは初めてらしいのでな、くれぐれも粗相そそうのないように」

 むしろ粗相をするのが信じられないほど完璧に立ち振る舞う執事は、改めて名乗った。


「かしこまりました。では私のことも、《イタチ》と呼んでくれてかまいません。むしろ私にとってはこちらの方が呼び慣れておりますので」

「ではイタチ君、しばらくやっかいさせてもらうよ」

 アウリス卿は、にこやかな笑顔をイタチへと向けた。


「まったく、此度の地図の騒動でこんな辺境で後始末をさせられるとはな。”この世界一帯”に張り巡らした儂の、《三十六万の眼》にもガタがきたかな?」

 座っていることすら感じさせないソファーに腰を掛けるオクルスは苦笑しながら、向かいに座ったアウリスに愚痴をこぼす。


 冒険者学園の迎賓室が雑魚寝部屋と思われるほど、この屋敷の応接室は最低万ダガネ単位の調度品が隙間なく、それでいて調和のとれた配置にされており、どこを向いても目を楽しませるようになっていた。


「辺境ゆえ眼や,《耳》が届かないことをいいことに、私腹を肥やす輩はどこにでもいます。ゆえに我等”ギフテッドで組織された”、《帝国監査官》が粛正する必要があるのです。むろんこれは、《大逆の天遣てんし》を探す為の”表向き”の姿ですが……。唯一の救いは、ヤゴの街にある馬小屋以下の腐った官舎ではなく、ここでご厄介できることですかな」


「仕事と言っても経過報告を聞くだけだ。儂の別荘にいると伝えてあるから、もし呼ばれたら【跳躍とべば】いい。しばらくは眼と、《七十二枚の翼》を休ませてもらうとするか……」


 二人が座るソファーの横で、数十万ダガネはするティーセットを、冒険者姿のイタチからは想像もできない、完璧な手つきで舞うように茶を入れる。


 そして二人の前に音、いや眠っている風の精霊すら起こさない動きで華麗にカップを置き、テーブルの上に咲く二つの華へと昇華させた。

 鼻孔と喉をしめらせたオクルスがイタチへ話しかける。


「その指輪は役に立っておるかね?」

 オクルスは、イタチの指にはめられた透視の指輪にむかって尋ねた。


「この度は大変結構な物を頂戴いたしまして感謝いたします。おかげさまで、日々街中に咲く”蕾や華”を愛でております」


「それはよかった。身の程知らずの不埒者を見分ける為、規則で常備しろと言われておるが、儂には邪魔なだけの代物だからな。……ところで此度こたびは君にも手をわずらわせたな」


「過分なご配慮に感謝の言葉もございません。むしろそれが私のお役目、至高の喜びでございます」

 胸に手を当て恭しく礼をするイタチに、アウリスは声を掛ける。


「しかし粛正の為に君の部下達も失ったと聞く。かなりの痛手じゃなかったのかね?」

「部下? はて? 恐れながら我が、《くれないいたちの団》の団員は団長このイタチ、”ただ一人”でございます。冒険者庁やヤゴの街役場にある旅団名簿にもそう記されているはずですが……」

 イタチは何か含ませた微笑みを二人に魅せる。


「もっとも、見ず知らずの人間が、勝手に”鼬の団員と信じて””私の指示に従う”のは、私のあずかり知らぬところでございます」

「ふふ、そういう事ですよ、アウリス卿」

 ティーカップから口を離し、わかっている口ぶりでオクルスはアウリスに目をやる。


「で、では彼が、《操り木偶クリエイト・ゴーレム》の、ギフテッドの持ち主!」

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。おっしゃるとおりでございます。オクルス様もお人が悪い、てっきりアウリス様はご存じかと……」


「ははは、アウリス卿の驚く顔が見たくてな。失礼しましたな。なに心配することはありません。彼の力は我等のみならず、ギフテッドには効果はありませんからな。むしろそれが我等の”同胞”を見つける役目も担っております」


「そういう事でしたか。いや常々どうやって同胞を捜しているかと疑問に思っていましたが、そうですか彼が……。しかしイタチ君の方もそうたびたび人が入れ替わっては、いろいろとまずいんじゃないのかね?」


「ご心配いただきまして感謝の極みでございます。ですが例え旅団に入っても食い詰めた者が退団し、夜盗や山賊になるのはよくあることです。むしろ私の役目は善良な市民に危害が及ぶ前に、《粛正者》として社会の役にたって、華々しい最期を迎えさせることです。その方が彼らの”魂”も救われることでしょう」


 イタチは妖しい笑みを浮かべる

「それに……、死んだ者の冒険者リングには”旅団名”は記されておりませんから」

 イタチが浮かべる悪魔の微笑みにも二人は全く動じなかった。


「イタチ君、気のせいかもしれないが、この屋敷には我等の他に人はいるのかね? しかも使用人にしてはかなりの大勢。どうもさっきから大勢の”女の声”が聞こえるのだが?」

 アウリスの問いかけに、イタチは初めて笑みを崩し、驚きの顔を見せる。


「さすが《天の耳メッセンジャー》をお持ちのアウリス様。御身を御守りする為、この部屋に強力な結界を張らさせていただきましたが、全くの無力でございました。このイタチ、ただただ感服の極み……」


「どれ……ん? この女達は?」

 オクルスは自分の、《太陽の眼サン・スポット》をつかい、声の出所を確かめた。


「食い詰めた冒険者というのはなにも男だけとは限りません。恐れながらこんな辺境でお役目を担うお二方の心中を察し、せめてもの慰みにとご用意させていただきました。さらに先日粛正した商人や役人の妻や娘、彼らの屋敷の使用人まで取りそろえております」

 悪魔が魂を取引するような顔つきで、イタチはさわやかな笑みを二人に授けた。


「なお既に、《木偶の製造》は完了しております。彼女たちを一族の繁栄の為の”苗床”にするもよし、お邪魔なら”解体”していただければ、私が地上まで運び頭上の魚共を太らすにえとして、湖上一面にばらまいておきますが?」


「……どちらにせよ、退屈はせずにすみそうだな」

 オクルスのその言葉に、イタチは主に褒められた犬として感謝の礼を献上した。

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