第九章 おむつ、シテマス
死の旗、シテマス
『僕がラハ村からいなくなったら、また、魔物が襲撃してくるかも……』
新月の頃になると思い出すアデルの言葉は、ナインを”意固地”にさせ、その足をフランの店へと向けさせた。
墓地の結界を一人分だけ破り中に入るとすぐさま振り返り、まるで穴の空いた壁に板を打ち付けるように上から結界をかけ直した。
そしてフランの店に近づくと風呂場や寝室ではなく、窓から明かりが漏れる店の扉のノブをひねった。
「”今月も”来たか、懲りない男じゃのう。どうせ空振りに決まっておる」
カウンターの向こう側では、フランが眠そうな顔をナインへと向けていた。
「もうこうなったら意地だからな! ゴブリン一匹でもぶっ倒すまで毎月通ってやる!」
「まぁ儂は金さえ払ってくれれば”露出狂エルフの寝室”でもどこでも跳ばしてやるが……」
「あとおめぇ、ちゃんと着地場所を確認しておけ! 先月は肥だめの上に跳ばされたぞ!」
「ラハ村まで遠いからの。自分ならともかく他人を跳ばす時は多少の誤差が出るのは当たり前じゃ。無駄話している暇があったら”
ナインは一度深呼吸すると、ある聖法を唱えた。
『蒼銀の光は我が身を守る月の石の鎧となりて……』
ぼろで薄汚れたシャツを着たナインの体を銀色の光が包み込んだ。
蒼き月の聖騎士が着る”蒼白の鎧”ではなく、《蒼銀の鎧》がナインの体中に
「お主のその蒼き月の大聖堂直属、《二十八の蒼銀の騎士》の”物真似”は儂でも舌を巻くな。一体誰に教わったんじゃ? いや”誰のを”真似たんじゃ?」
「知るか! ”物心ついた時から頭に入ってた”んだよ。もっとも意味も使い方もわからず、やっと物真似レベルになったのはここ数年だ」
「確かに、お主自身にそんな力が宿っておっては、ギフテッドの力も信じたくもなろう。儂の魔法もそうやって物真似しよってからに。さすがは、《九官鳥》じゃな」
「だから悪いと思ってよ、おめぇの仕事を文句ダラダラで手伝ってやったんじゃねぇか。後、その名前で呼ぶのはやめろ」
「精神力の補充はいいか? 多少なりとも行えるぞ。ちこう寄れ」
「ああ、たのむわ」
カウンターに近づくナインに、フランは両手を伸ばす。
首筋に細い腕がまかれ、中折れ帽子が落ちると同時に薄い紫の唇を重ねた。
唇が開き、精神力を注ぎ込む”管”となる舌の先がナインの口内に進入し、二つの先端が絡まるようにつながる。
同時にフランの精神力が舌を伝ってナインの体内を満たしていった。
やがて補充が終わり互いの唇が離されると、唾液という管も徐々に細くなり、二人のつながりが完全に絶たれた。
「おまえ……」
初めて行った精神力注入の儀式は、大量の精神力とわずかな動揺をナインに与えた。
「ふふっ、太古から伝わる、《死の呪い》じゃ。死地に赴く男にこれをやると、《死の旗》が男に突き刺さるのじゃ」
頬と目頭を朱に染めたフランは、ナインの胸板におでこをくっつける。
「腐れ女が言うにはな、ここ最近ラハ村周辺の”風”が”
『対策会議は行なわなかった』……じゃ。
もはやなにが起こるのかは奴らにもわからん。明日の朝にはラハ村一帯に逆さ傘のようなでっかい穴が空いておるやもしれん。だから……この……呪いを……」
「もういい! なにも言うな。おめぇ、あの腐れ女の妄想やそんな糞呪いを掛けたところで、このナイン様がひるむと思っているのか? それに
『運命とやらに糞をまき散らすのが冒険者』
ってもんだ。あの馬鹿馬共ですら敬遠した俺様の精と糞があれば、大抵のことは何とかなるってもんよ」
蒼銀の小手がフランの髪をなでる。
フランは顔を上げ、目の前の男の顔を見つめる。
「……ナイン」
「せいぜい慰みの儀式で体を温めておきな。帰ったら授かりの儀式をするからよ」
いいこと言った顔をしているナインに対し、フランの顔がいつも通りの真顔になる。
「お主それ、死の旗の呪いをより完璧にする、《最後の呪文》だぞ」
「ちょ……馬鹿野郎! それを最初に言え!」
わずかな笑いの空気が二人を包む。
そして、フランはナインの顔をまっすぐ見据える。
「儂は屍回収人じゃ。儂の前から旅立った者は、次に会う時には屍になっておる。一度でいい! この、《二つの呪文》を使いたかったのじゃ。やってくれるか?」
「ん……? ああ、いいぜ」
フランはナインにその呪文を教えた。
そして【ドエリャア跳躍】の詠唱がはじまった。
「ではゆくぞ! 『ラハ村へでも行くがいい!』」
体が光に包まながら、ナインは笑顔で、《一つめの呪文》を唱えた。
『行ってきます。フラン』
『行ってらっしゃい……。ナイン』
呪文が互いに交わされると、フランの頬から伝わる水晶の粒が床に落ち、わずかな光を放ちながら砕け散った。
同時にナインを包み込んだ光は最後の輝きを見せ、消えていった。
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