はむはむ、シテマス

「いいのかい女将?」

 心配そうに聞くナインに、


「当たり前じゃない! アデル君は私が見込んだ子! やればできる子よ!」

 にこやかな笑顔を皆に振る舞いながら、イネスは豊満な胸を揺らす。


「そうか~あのガキ。どこかで? と思ったが、女将のパン屋のガキだ!」

「女将~おれにもかまってよ~。おっぱいちょうだ~い」

 母親みたいなイネスの口調に野次馬達がはやし立てた。


「アデル君、私は信じているから! じゃあヒグマ君、アデル君をよろしくね。お・て・や・わ・ら・か・に!」

 イネスが軽くウインクすると、見た目に比べて純情なのか、ヒグマの毛深い頬が少し朱に染まる。

 そしてちょうど一枚目が焼き上がり、皿に載った串刺しのステーキが出てきた。


「んじゃ! はじ……」

 ナインのかけ声が終わらないうちにヒグマは串をつかみ、噛み切らず一口で口に含むとわずかに噛んだだけで喉に流し込んだ。

 ”おお~!”とあたりから歓声が上がる。


「親父! 次だ」

「あいよ!」

 親父とニケルによって焼き上がったステーキが、どんどんヒグマの前に積み上げられる。

 串をつかんではかぶりつき、あっという間にヒグマは五枚平らげた。


 片やアデルは、リスがドングリをかじるように両手で串を持ち、”はむはむ”とほおばりながらやっと一枚目が終わった。


「こりゃすでに勝負あったんじゃねぇか?」

 野次馬達が口々に呟き、あとはいかにしてナインにトンズラさせないか、一割のもうけでなにをするかと思いをはせていたが、


「でも勝負はここからよね……」

 イネスの言葉通り、八枚目からは明らかにヒグマのペースは落ちてゆき、付き人の団員が水を持ってくる。


 アデルは相変わらず”はむはむ”と一定のペースで食べており、ほぼ同時に九枚目が食べ終わった。


「まじかよ~? こりゃひょっとしたら、ひょっとするか?」

「おい! 引き分けの場合はどうなるんだ? ナインの一人勝ちか?」

「勘弁してくれ~! 俺ヒグマに全財産賭けたから、小僧が勝ったら明日から噴水の水だけで暮らさなきゃいけないんだぜ!」

と野次馬内では阿鼻叫喚と賭け金の行方を気にする声が広がっていった。


 そして十枚目の皿が置かれると、アデルは若干ペースは落ちるも相変わらず両手で串を持ち、”はむはむ”と食べ始めるが、ヒグマは一口二口とちびちび食べていた。


「ひ、ヒグマさぁん」

「な、情けねぇ声を出すんじゃねぇ! おい水だ!」

 強がりを言うヒグマだが、その声にはネズミ1匹追い払う力も込められていなかった。


 せめて先に完食しなければ立つ瀬がないと思い、残りの肉を一気に口に押し込み、無理矢理水で流し込んだ。

 アデルはそれから十秒後ぐらいに食べ終えた。


”おお~”と野次馬達が唸る。

「どうなるんだこれ! 引き分けか?」

「おい! ナインが逃げないように押さえておけよ!」


 きょとんとした顔でアデルは周りを見ている。

 ヒグマは顔を上げ、アデルに引きつった笑顔を向けた。

「や、やるじゃねぇか小僧……うっ! ……さすが、ナインさんが見込んだ奴だぜうっ! ……今日のところは引き分けにしておいてやるが……次はうっ!」


「引きわけ? ……あれ?」

 もはや細い蜘蛛の糸一本で肉体と魂を支えている状態のヒグマだったが、アデルの次の言葉は、無情にもその糸を切断した。


「すいませ~ん親父さん、次のお皿が十枚目ですよね?」

 皮肉でも挑発するのでもない、アデルのナチュラルなその発言は、店内の空気を一瞬にして凍らせた。


 やがてその氷の様な空気を木っ端微塵こっぱみじんに打ち砕く音が店内に響き渡った。


”ずどおおぉぉぉぉん!”


 ヒグマの巨体がいくつかのテーブルと椅子と皿を破壊しながら雪崩のように崩れ落ち、店の床に巨体な屍をさらしていた。

 そして飲み込めきれなかったのか、一口大の肉の破片が泡と共にヒグマの口から飛び出してきた。

 それを見た付き人が泣き叫ぶ。

「ひ、ひぐまさぁぁ~~ん」


「勝負あり~! アデル君の勝ち~! いやったぁ~!」

 イネスの勝ちどきの声が高らかに沸き上がると、地響きのような野次馬達の阿鼻叫喚が飲食店街中に響きわたった。


「うあああ~! 俺の有り金が~! あ、あいつの腹はドラゴン並だ~!」

「い、いかさまだ~あの小僧の腹ん中に、ナインが娑婆しゃば袋を仕込みやがった!」


 そんな冒険者達をジト目で睨みながらイネスは吐き捨てるように呟く。

「女々しいわねぇ。アデル君を侮った自分を、目利きの甘さを恨みなさい!」


『邪魔するよ!』


 氷のように冷たい少女の声が野次馬の歓声を切り裂いた。

 その声は野次馬の塊にくさびを打ったように食い込み、床で屍と化しているヒグマまでの道をあっという間につくった。


「あらぁクマデちゃんじゃないの。お元気してるぅ?」

 そんな少女を超ご機嫌な声で”ちゃん”付けするイネスに向かって、クマデは軽く頭を下げると、アデルが座っている席へと歩を進めた。


「君、名前は?」

 椅子に座ったアデルを見下ろし名を聞く少女は、かつて広場で演説していたハイイログマの側にいた少女だった。


 灰色の髪を地面まで伸ばしたその顔と女の子の体は、エアリーと同年代に見えるが、その眼光は首のリングから光る”レベル九”の数字にふさわしい鋭さだった。


「アデル……です」

「そう、あたしは、《灰色熊の団、特攻隊隊長》クマデ。うちの《豚》が世話になったね。礼を言うよ」


 淡い微笑みを向けながら、アデルに話しかけるクマデに対して、

「(こんな子が特攻隊長!?)あ、はい、どういたしまして……」

 アデルはまたもナチュラルに受け答えした。


 そんな光景に野次馬共、そしてヒグマの付き人の顔に緊張が走る。

「あ、あねさんの……《熊の微笑ほほえみ》」


 それはいくさの後、魔物の血をシャワーのように浴びたクマデがせる、恐ろしくもあやしい微笑みだということを、ここにいるアデル以外は知っていた。


 しかしクマデは、

「いい食べっぷりだったよ」

と、小首をかしげて無垢な少女の微笑みを再びアデルに送った。

 一瞬、アデルの頬が朱に染まる。


 だがアデル以外の者達はまだ緊張の糸を緩めてはいなかった。

 きびすを返し気絶したヒグマを見下ろすクマデの目は、地面にまき散らされた豚の糞やゲ○を見る目つきだった。


『レベル一ごときに無様に醜態しゅうたいさらしやがって! ……この豚の糞がぁ!』


 あどけない少女の唇から想像できないような、醜く汚ならしい声が、特攻隊副隊長の屍に向かって、その体を切り刻むように発せられた。


 そしてクマデの両手がわずかに震えると、


”シャキーーーン”


 両手の甲から四本ずつ一メートル強の光が伸びる。

 それはやがて鋼鉄の鉤(かぎ)爪に変化した。


 クマデは灰色の闘気を噴き上がらせている右手の爪を口元にやり、つやっぽく光る舌で一本ずつ舐め始める。

 もはや付き人は泣き叫ぶことすらできず、野次馬共もつばを飲み込みながら一瞬退いた。


「おいおい、豚の”解体”は解体場でやってくんな」

 場の空気を読まない、逆にそれが緊張をほぐすような親父の声にクマデは、

「……それもそうね」

と、薄紅の唇から呟くと、”シャキーーン”と鉤爪を引っ込めた。


「親父さん、邪魔したね」

 クマデは財布からテーブルや椅子、皿を壊した代金として百ダガネ金貨十枚ほど握りしめるとカウンターの上に置いた。


「へいへい! まいどあり~」

 店を壊されても超黒字な弁償代に親父の声は弾んでいた。


 そんな声を背中に聞きながらクマデの細い指先はヒグマの襟首をつかむと、蟻が自分の何倍もの獲物を引きずるように引っ張っていった。

 そしてナインの前で立ち止まると、悔しそうに睨み付けた。


「ナインさん、今日のところはうちらの負け。おとなしく引き下がるわ」

「あぁん? 何か勘違いしてねぇかクマデ”さぁん”。俺様はただのしがない賭の胴元でござい。ヒグマ”さぁん”に勝ったのは、あそこに座っていらっしゃるアデル様ですぜぇ」


 木の器のお金をじゃらじゃら鳴らしたナインは、いやらしくにやけながら手を広げると、指先でアデルを指し示した。


 レベル九のナインにレベル八のヒグマが挑み、そして負けたならまだ面目は立つが、この大食い勝負の勝者はヒグマより遙かに格下、レベル一のアデルであった。

 

 クマデは”クッ!”と口元をゆがめるとなにも言わず立ち去ろうとするが、

「そうそう”お兄ちゃん”によろしくな」


 再びにやけ顔でナインが声をかけると、クマデは”キッ”と振り返り、ナインと野次馬を店もろとも吹き飛ばす台風のような殺気を放った後、ヒグマを地面に引きずりながら灰色熊のアジトへと向かっていった。

「あ、姉さぁ~ん。まってくだせい~」


「あれがクマデさん……。かっこいいなぁ」

 アデルは十本目のステーキの串を握りしめたまま、クマデの後ろ姿を眼で追っていた。

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