屍回収、……シテマス

 やがて道が開け、目の前の地面に大きな裂け目が見えてきた。


「これが狭間の谷……?」

「そうじゃ。何か太古の昔、”ここで行われた戦”で歴史が変わったみたいじゃな。ここを通る事によって隊列が伸びた大軍を、この崖の上から大将めがけて奇襲したとか」

 フランは学園の講師の様にアデルに説明した。


「どうじゃナイン?」

「やっぱりだ……。ラガスに追われてここから転落したな」

 アデルは、ナインの隣へ走り崖下をのぞき込む。

 崖の底は薄暗い為よくは見えないが、確かに鎧を着た人間が仰向けで倒れていた。


「どうやって回収するんですか? 前にナインさんが使った【吸着】の魔術を使うとか?」

「お、小僧! 魔術について少しは明るいみたいじゃな。なかなかいい考えじゃがな、残念ながら【吸着】は対象物に少しでも触らないと意味ないんじゃ。対象物を捕まえ引き寄せる【捕縛】の魔術もあるが、いかんせん距離が遠すぎるからの」

 今度は魔術講師みたいな口ぶりでアデルの質問に答える。

 やはり魔導師として魔術の質問には気をよくしたのか、その声も若干高ぶっていた。


「やはり”降りる”しかないのう。小僧、ナイン、儂につかまれ」

 フランから突き出された左手をアデルは握りしめるが、ナインは……。


「お主……なにをしておる?」

 ナインはフランの目の前に立ち、目を血走らせ、鼻息を荒くしながら、両手の指を”ワキワキ”させ、フランの胸からそびえる二つの小山へゆっくり手を伸ばしていった。


「だ、だってよ、おめぇの右手は杖を握っているし、左手は坊主が握っているから、お、俺様がつかめるところといったら、こ、ここしかねぇんじゃねえのか?」


 今まさに指先が小山の頂上へ触れるかいなや、地面の石が持ち上がりナインの頭へと落下した。

 結局ナインは、赤玉キノコのようなたんこぶをはやしながら、杖を持っているフランの右手首を握ることとなった。


「全く、お主の精神力を少しでも節約しようと気を遣った儂が馬鹿じゃったわい。いいか小僧! 決して手を離すな。離したら最後、お主もあのエアリーみたいに崖下に転落して屍をさらすことになるぞ!」

「は、はい!」


 アデルが返事をするやいなや、【降下】とフランが呟くと薄い光が三人を包み込んだ。

 三人の体がわずかに浮かび上がるとゆっくりと崖の上へと移動する。


 ”!”

 空から落ちる夢みたいに今アデルの足下には地面がなく、崖そのものがアデルを飲み込もうと大きな口を開けていた。

 思わずフランの手を握る手に力がこもり、汗がにじみ出る。そして三人を包み込んだ光の玉はゆっくりと崖下へ落ちていった。


 光に包まれているせいなのか、崖下を覗いた時に感じた噴き上がる風は感じず、すぐ隣から漂うフランの女性の香りは、まるで遮る物がないかのようにアデルの鼻の中へと吸い込まれていった。


 やがてはらわたが押し上がるような感覚を感じながら、アデルの靴底は久しぶりに地面に触れた。

 しかしその場所はエアリーの屍から十メートル以上離れていた。

(あれ、なんですぐ側に降りなかったんだろう?)


「ここで待っておれ」

 フランは二人に呟くとエアリーの屍の方へ歩いて行った。

 その後ろ姿を見ているアデルの頭をナインはつかみ、”ぐるり”と無理矢理百八十度ひねらせた。


「見るんじゃねぇ……」

 小声だが厳しい声に、アデルはフランに対し背を向けた。

 背中越しにフランの詠唱が聞こえ、それが終わるとなにやらゴソゴソと音が聞こえてきた。


「もうよいぞ」

 その言葉に二人は振り向き、フランの元へと近づく。

 アデルが見たのは短い蒼白の髪の顔とブーツを履いた足以外はシーツにくるまれたエアリーの姿だった。


「女……の子?」

 エアリーの胸元からシーツを押し上げている二つの”丘”は、アデルにそう呟やかせた。


 まるでただ眠っているかのようなエアリーの姿だが、後頭部の蒼白の髪はどす黒く染めあげられ、地面に飛び散った血と鎧の破片の量は、新米冒険者のアデルから見ても命の火が消えた証であることを認識させた。


 これ以上アデルの目に触れさせないかのように、”どけ!”とナインは呟くと、アデルの前でかがみ、軽々とエアリーの体を抱え上げた。


「先行くぞ」

 ナインは【浮遊】の魔法を唱え、抱えたエアリーごと崖の上へと上昇していった。


「わしらも行くか。これをもっとれ、あやつの私物じゃ。もっとも鎧や武器はもはや鉄くず同然じゃがの」

 フランはアデルにズタ袋を渡し、再び手を握るとナインと同じ【浮遊】の魔法を唱える。

 さっきと同じように光に包まれ、ゆっくりと体が浮き上がっていった。

 

 崖の上に着くと、ナインは既に先を歩いていた。

 その後ろを少し距離を取ってアデルとフランは後をついて行き、三人は無言で馬車を降りた街道へと向かっていった。


(これが……屍回収の仕事?)


 淡々と行われた屍回収は、かつてラハ村やエダ村で行われた葬儀のようだと、アデルの心を冷たくさせた。


 見知らぬ土地への高揚も、夢見る財宝もなく、ナインの背中越しに見える魂のないエアリーの頭と足は、屍という冒険者の末路、そしてかつての自分の姿だと改めて思い知らされた。


 ダガスの首を切っていた時間分早く道に出ると、フランは胸元から小さくした馬車を出し地面に置くと、【解呪】と唱え、馬車を元通りにさせた。


 いくら屍とは言え、シーツの下は裸に近い格好と思い、アデルは馬車の真ん中に寝かされたエアリーの姿を見ることはせず、ひたすら馬車の後ろを流れる景色を眺めていた。


 屍を前にしているのか、ナインは無言で水袋を飲んでおり、フランはエアリーの頭を自分の膝の上に置き、ナインの水袋で濡らしたタオルを使って、エアリーの蒼白の髪についた血痕を拭いていた。


 ”飲め!”とナインは言うかのようにアデルに水袋を突きつけた。

 一口飲むと喉に焼けるような感覚が広がり、”ゴホゴホ!”と思わず咳き込んだ。


「はっはっは! 安物の白リンゴ酒でも坊主にはまだ早いか? 初めて屍を見たようなつらしているからな、せめて気付けのつもりで飲ませてみたんだがな」


 固まっていた馬車内の空気がわずかに柔らかくなる。それを見計らっていたかのようにフランは口を開いた。

「……小僧感謝するぞ。彼女を好気な目で見ないでくれてな」


 ”えっ?”と思わずアデルはフランの方へと振り向くが、シーツにくるまれたエアリーの体が目に入り、慌てて顔を元に戻した。


「こやつも儂も冒険者や魔導師である前に女じゃ。女を捨てると豪語しておっても、心の奥底では女でいたいという気持ちは消せぬ。魔物と戦い体が切り刻まれる覚悟はできておっても、屍となり肉やはらわたを露わにした己の姿を、見ず知らずの男に好気の目で見られるのは魂が斬られる思いじゃ」


 フランはエアリーの髪をなでながら独り言のように呟いていた。

(だからナインさんはエアリーさんを……?)


 ナインがすぐさまエアリーの体を抱きかかえて一人で先に行ったのも、エアリーの屍を自分の目に触れさせない為だったとアデルは理解した。


「実はな、儂と契約する冒険者は女性がほとんどじゃ。教団の信徒なら神殿でも行えるが、必ずしも女性の神官殿が蘇生するとは限らん。いくら神官殿といえども、男に自身の屍を見られることをよしとせぬ女は少なからずいての。特に生娘はな……」


 フランの話が終わり、心地よい疲れと馬車の揺れがアデルを眠りの園へと誘うのに時間がかからなかった。


 目が覚めた時は南の門の衛兵がフランと話していた。

 異常がないことを確認するとフランは墓場へと馬車の歩を進めた。


 街はすっかり夜の喧噪に包まれており、飲食街や歓楽街は食と性の欲が渦巻いていた。

 馬車が店の前に着くな否や、ナインはすぐさまエアリーを抱きかかえ、フランと共に店へ入っていった。


「ご苦労じゃった。儂は直ちに【蘇生】の儀式を行う。報酬はまた後日な。心配するな忘れたりやせん。あと小僧!」

「は、はい?」


「お主のおかげで魔物に出会わずにすんだ。感謝するぞ。ゆっくりと休め」

 アデルはとりあえず馬車を店の裏へ運ぶと手綱を外し、噛みつかれないように亡者の馬達を馬小屋へと押し込んだ。


 そして、ただ疲れた体を引きずりながら広場に着くと、ねぐらのゴザと毛布がステーキ以上の魅力に思え、そのまま倒れるように眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る