飛び込み、シテマス
二人は町外れの森へと向かう。
何度も往復した道。何度も向かった場所。
そして、
ところどころ錆びが浮かんだ案山子。
ゲロを吐いた木の根元。
糞尿をまき散らした地面。
そして、サティが隠れて見守っていた。一番太い木。
しかし、今のシナンには感慨にふける暇はない。
ナインは振り向くと、これまで何度もシナンに向けた言葉を口に出した。
「さぁ~て”お遊び”の時間だ」
ナインは両手をポッケに入れたまま、シナンに向かって妖しく微笑んだ。
「俺様の脚にタックルしてみな。片脚でもいいし、両脚まとめてでもいい。もっとも、俺様も振りほどくけどな」
「はい!」
シナンは腰を落とし、胸から肩、そして指先にまで力を込める。
同時に、腹筋から足の指先にも力と神経を行き届かせる。
「どした? 安心しろい。攻撃しねぇし、ここから一歩も動かねぇからよ」
ナインの考えはわからない。
しかし、弟子として、師の命題には全力でぶつかる。
”フッ!”
極小のつむじ風がシナンの足下から沸き起こると、一陣の突風のように、その体はナインの足下へと飛ぶ。
(右か……左か……)
ナインの脚へ到達するぎりぎりまで、シナンは何回もフェイントをかけながら、つかまる脚を考えていた。
最終的にシナンの右手指先は、ナインの右足のズボンを絡め取る。
(よし! えっ?)
次の瞬間、ナインは自分の脚をスコップに見立てて、足先をシナンの体の下へ潜り込ませると高々とすくい上げた。
(このままつかまっていたら……地面に叩きつけられる!)
防衛本能が、シナンの体を瞬時に満たす。
すぐさまズボンから指を離すと、空中で華麗に回転し、ナインの背後に降り立った。
そして戦士の本能のまま、ナインの背中、心の臓に向かって掌底を打ち込もうと力を込めるが……
(また……だめだったか)
師の命題をこなせない自分に、体から力が抜けていった。
「言い訳じゃねえが……あん時はな、俺も酔っ払っていてよ」
背中越しにシナンに向かって呟くナイン。
その意図はわからないが、師の話を一言も聞き漏らさず聞くシナン。
「いい気持ちでねぐらにかえったらよ、坊主が寝ていやがったんだ」
(坊主? ……アデル君のこと?)
「野良犬を追っ払うようによ、腹に一発、蹴りを入れてやったんだ。そしたら、今のお前みたいに俺の脚に抱きついて来やがってよ……」
(!)
「ぶん殴ろうが振りほどこうが、あの坊主、俺の脚から離れねぇでやんの」
(……ここでも、アデル君に負けたのか)
「あとから聞いたんだが、あいつ、フランに騙されて一文無しで装備もなし。オマケに借金をこさえたんだとよ」
冒険者である以上、騙されたり、借金をさせられたことに同情はしない。
それは、己の責任だからと、ナインから教わった。
しかし、ナインはこうも言った。
『己の道を突き進んで、のたれ
「あん時のあいつの目。いつかのお前にそっくりだったんだよな……」
※
――ふと思い出す、過去の思い出。
肥だめの回りには、シナンとサティ、そしてナインが立ち、シナンに向かって吐き捨てていた。
『どした? 出来ねぇなら今すぐ帰って、そこのお嬢ちゃんのおっぱいでも飲んでな!』
『シナン! もうやめようよ! あたしは”今のまま”でいいからさ!』
サティが必死にシナンの腕に抱きつき、何とか止めようとする。
しかし、そのサティの言葉が、シナンを突き動かした。
いつまでもサティの荷物持ち。
一人前の冒険者として見られていない自分。
『ごめんサティ。僕は……”今のまま”じゃ、いやなんだ!』
『え?』
わずかに力の抜けたサティの腕を振りほどくと、シナンの体は宙を舞い、肥だめの中へと落ちていった。
『シナン!』
”ドボ~ン!”
辺りに糞尿の滴と茶色い煙が漂う。
やがて、泡を吹く肥だめの表面から、シナンの顔が浮かび上がる。
「プハァ! ハァッ! ハァッ! ……これで……弟子にしてくれますね?」
糞尿まみれになりながら、その顔は笑っていた。
しかし、ナインはその目の奥に潜む何かを感じていた。
もはや自分は”失うモノが何もない”。
もし、ここまでして断わられたら、例え四肢が切断されようとも、己の歯でナインの
『ケッ!』
頭をかきながら、二人に背中を見せるナイン。
『ナインさん!』
その背中に、シナンの叫びが突き刺さる。
『……その気があるんなら、明日の昼の鐘が鳴る前に、俺のねぐらに来な」
『は……はい!』
『ただし!』
『!』
『俺のねぐらに来る前に、武器や鎧を装備して、街の回りを二十周してこい。レベル三ならそれぐらい出来るだろ。出来なければ……二度と俺に近づくな!』
『はい! 師匠!』――。
※
「初めてじゃねぇか? おめぇが俺様の後ろをとったのは?」
(!)
ナインの言葉に、現実に戻されるシナン。
「いい
初めてだろうか。師から褒められたのは。
「やっぱりそれは、坊主が現れたからか? だとしたら、あいつも役に立っているんだな……」
(!)
競争相手、
(ひょっとして……)
新しい弟子は、兄弟子から見れば敵でもある。
(それを見越して、アデル君を?)
その想いが、ナインの後ろをとった、今の自分を造った。
”ピンッ!”
いつの間にか先を行くナインの背中から、シナンに向かって何かが弧を描いて飛んでくる。
手を伸ばしつかみ取ったものは、一枚の十ダガネ金貨だった。
「これじゃあ黒リンゴ酒”一本”どころか、”小瓶”程度かな」
苦笑したシナンは、小さくなったナインの背中に深々と礼を捧げた。
”チリンチリン”
イネスの店のドアが開かれる。
「あ、シナンさんいらっしゃいませ! この前はありがとうございました!」
「こんにちはアデル君。また、ラスクをお願い出来るかな。サティの好物だからね」
シナンは手のひらにある十ダガネ金貨を、カウンターの上に置いた。
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