”いんちゃん”、シテマス

 アデルは滝の山脈亭の前で財布を握りしめながら、ある日の学園の食堂で起こった、教官と生徒のやりとりを思い出していた。


『冒険者は食べるのも仕事だ! だが学園を卒業してすぐステーキが食える訳じゃない! 最初は目の前にある固いパンと豆のスープですらご馳走だ! ちなみに俺のおすすめは、滝の山脈亭の《黒糖豆こくとうまめのスープ。堅パン入り》だ! 値段も安いしな』


『教官殿! それは青玉キノコのパスタに並ぶ激ヤバメニューって聞きました。青玉キノコのパスタが魂の破壊で、そのスープはめちゃくちゃ甘くて舌が破壊されるとか?』


『馬鹿者! 豆は畑の肉と言われ、甘さは体を動かす源になるんだぞ! 現に俺は金のない時、そのスープを食べまくって、こんなたくましい体になれたんだ!』


『……絶対最初の一口目で舌どころか、頭も破壊されたと思うぜ』

 生徒達はひそひそと教官の方を見ながらささやいていた。


     ※

 店内に入ったアデルは空いている席に座ると覚悟を決め、恐る恐る注文をした。

「す、すいません! 黒糖豆のスープ、堅パン入りを一つ!」


 アデルの声に一瞬、店の中が静まりかえる。だが、注文したのが新米冒険者とわかって、店の中はいつもの喧噪を取り戻すが……。


(おもしれえ、あいつ、あれがどんな食いモンか知っているのか?)

(おい! あいつが全部食べるかどうか賭けないか?)

(そんなの賭けになんねえよ。何口目でダウンするかだ)


 先輩冒険者達が小声でアデルを賭の出汁にするも、当の本人は店内に漂う肉の香りをかぎながら財布を気にしていた。


(やっぱり無理しても八平ステーキの方がよかったかな……。いや、こっちの方がステーキ一枚の値段で五杯食べられるんだ!)


(おいおい。大丈夫か? 早くもびびっているぜ!)

(おい! 誰か全部食べる方に賭ける奴はいねえのか? これじゃあ賭が成立しねえぜ)

小声で周りに話しかける男のテープルに”チャリン”と百ダガネ金貨が一枚転がる。


(俺は全部食べる方に百だ)

(な! てめぇナイ……)

 胴元の男が名前を叫ぼうとすると、その男はにやけながら人差し指を口に当てた。


(そういえばあの小僧って、おめぇの”腰巾着”だったな。美しい師弟愛に涙がちょちょ切れるぜ。いいぜ! のった!)


 ”腰巾着の師匠”が賭けると同時に周りの奴も一斉に賭ける。

 当然みんなはアデルがダウンする方だった。

 やがて、その輪は店内中に広がっていった。


(けっ! 強くなりてぇ男はな、もうなりふりかまっちゃいられねぇんだよ。そういう追い詰められた奴はな、周りから”糞”と呼ばれようがまったく気にせず、


”肥だめに飛び込め!”


と言われりゃ、喜んで飛び込むんだぜ……)


 まるで過去に出会った誰かと重ねるかのように、腰巾着の師匠は緊張した様子で座っているアデルの背中を眺めていた。


「おまっとぉ~」

 若い男の店員がアデルの前にスープを置く。

 地獄の釜ゆでのような真っ黒なスープには、親指大の漆黒の豆と黒く染まった堅パンがいくつも顔を覗かせる。


 その甘ったるい匂いは黒い瘴気のようにテーブルの上を漂い、アデルの周りの客の顔すら歪めるほどだった。


「い、いただきます!」

 アデルは覚悟を決め、スープの中にスプーンを沈みこませると、ゆっくり口に運んだ。

 そしてその様子を、店内すべての客が固唾をのんで見守っていた。


「あれ? 確かに甘いけど、別に食べられないって程じゃ……」

「「「「「「「なぁにぃ~~~~~~!」」」」」」」


 店内の客、腰巾着の師匠ですら立ち上がって大声で叫んだ。

 その中にアデルは聞いたことのある声の方へ振り向くと次の瞬間


「グリフォン! グリフォン! ハ~ピ~!」

「ハ~ピ~! ハ~ピ~! ピ~クシ~!」

と店内の客全員が片手で”グー”、”パー”、”ピー”を出しながら《いんちゃん(じゃんけん)》大会が開催された。


(あれ? 今一瞬、ナインさんの声が……?)

「たりめぇだあんちゃん。うちは食堂だ。食べられねぇもん出すわけねぇだろ?」

 店の親父はにやけた顔をしながら、アデルに向かって話しかけた。


「そう言われればそうですね。よく考えたら学園の教官もこれを食べていましたし」

 アデルはスープと豆と堅パンを次々と口に運び、あっという間に平らげた。


「ごちそうさまでした!」

「おう! あんがとよ! また来てくれよな!」

 お金を払って出て行くアデルに、店の親父はにこやかに声を掛ける。


 その様子に店内の客、腰巾着の師匠ですら目が見開き、口はあんぐりと開いたままになった。

 

     ※

『上半身が動くから水がこぼれるんじゃ! そんなことで走り回りながら魔物を斬れるのか! ドスドス走りまわるだけじゃ、剣先がぶれて当たるものも当たらんぞ!』


 冒険者の装備を着込んだまま、腕を左右に広げ、両手に水の入ったバケツを手に持ち、今日もアデルはボーアの怒鳴り声を心の背中に受け、街の周りを一心不乱に走っていた。


 最初のうちは息も絶え絶えに走っていた姿が、今では皮鎧やズボンのポッケに石を詰め込んでも軽やかに足が動いていた。


「よし! 次は縄登りと」

 木の枝から吊されたロープを何度も上り下りする。体がずり落ちそうになると、


『握りは小指で握るんじゃ! 手首は固定しろ! 少し手首を動かすだけで明後日の方に武器が飛んでいくぞ!』


 再びボーアの怒号が響く。

 それでも力尽き、体が落下した瞬間


『受け身もできねえでやんの』


 今度はナインの声が響く。


 着地の瞬間、尻餅をつかないよう足で衝撃を吸収しながら、体をひねりころがる。

 そして、すぐさま腰の剣を抜きながら体を起こした。

「受け身はこんなもんかな。転がりながら距離をとって体勢を立て直さないと!」

 

 アデルはザールから廃材を買い、自分の胸ぐらいの高さの案山子を作った。


『これはなんてぇ魔物だ?』

「コボルト!」


 ナインの問いかけにアデルは答える。

 次に剣技の教官の声が聞こえてくる。


「コボルトだからって油断するな! 数が多ければあっという間に四方から串刺しにされるぞ。挑発や素早い動きに惑わされず、相手の武器の動きに注意しろ!」


 冒険者学園の鍛錬場には実際の魔物のような動きのする訓練用のゴーレムがあり、そこにはコボルトやゴブリンサイズ、オークサイズ、そして実際に空を浮遊するインプや大型コウモリのゴーレムまで数多く用意されていた。


 アデルはそこでの訓練を思い出しながら、目の前の案山子を学園のゴーレム、いや実際のコボルトに見立てて剣を振るい、攻撃を避け、そしてとどめを刺した。


「ふう……でもやっぱり動いているものでないとな」


 そう呟くアデルを、賭に勝ったダガネ金貨を片手でキャッチボールしながら、木の陰から見ている男がいた。

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