おさらい、シテマス

 仕事が終わったアデルは、すぐさま国立墓地に向かって駆け出した。


「急がないと……。ハァハァ! ……墓地が閉まっちゃう!」


 パン屋から墓地までの距離を駆けるだけでも、今のアデルの呼吸は乱れ、走るペースは落ちていった。

 それでも何とか足を前に出し、フランの店の前にたどり着いた。


『開いておるぞ。入ってこい』

 呼吸を整える間もなくドアから主の声が聞こえてきた。

 アデルは力の入らない手でノブを握り、何とかドアを開けた。


「何じゃ息を切らして? 借金を返す当てでもできたのか?」

アデルは呼吸を整え、何とか声を絞り出した。


「僕の……冒険者学園の教科書を返して下さい! ハァハァ……いや買い取ります! お願いします!」

 カウンターに両手を着き、頭を下げながらフランにお願いをする。


「わかった。ちょっと待っとれ」 

 そんなアデルの後頭部をじっと見つめたフランは、奥へと引っ込んだ。


 店の奥でゴトゴトと音がした後、両手に教科書を抱えたフランが現れ、カウンターの上に”ドサッ”と置いた。


「これでよいか?」

「あ、はい。……あの、いくらですか?」


 壁につり下げられたかつての自分の剣を横目で見ながら、アデルはおそるおそる尋ねた。


「一ダガネじゃ」

「一冊……ですか?」


「全部でじゃ! ただでさえ儂の部屋は魔導書や古文書で一杯なのじゃぞ。暖炉にくべようにも今は春の陽気じゃからな。一ダガネでも金に換えた方がまだましじゃ」

「あ、ありがとうございます!」

 

      ※

 ねぐらに戻ったアデルは一心不乱に《剣技》ではなく《鍛錬》の教科書を読みふけった。


(やっぱりすべての基本は走ること……か。どうせなら装備をつけて)

 アデルはボーアの剣を腰から下げ、中古で買った皮鎧やブーツ、手袋を身につけた。


「よし! まずは街の周りを五周だ!」

 勢い勇んで駆け出すも、一周しただけで大の字に寝る羽目となった。


「ハァハァ、なんで? 確かに体力は落ちているけど……。そうか! 学園の時は薄い鍛錬服だけだったから。ぺらぺらの皮鎧にボーアさんの剣を身につけるだけでも、こんなに重いなんて」


「……でも、一度決めたから!」

 アデルは何とか立ち上がると無理矢理足を前に出す。


『いいか! 冒険者は立ち止まることは許されない! 止まることは死か引退を意味するんだ! 歩いてもかまわん! ゆっくりでもいいんだ! 

 前を向け! そして、一歩でも前へ進め!』

 鍛錬の教官の言葉がアデルの頭の中に何回も響いてくる。


(これが……、シナンさんが言っていた……、言葉の意味なのかな?)

 いつの間にか体や脳裏に刻み込まれた教官や講師の言葉は、アデルの体や心の奥底からせめてあと一歩と、進む力が沸き上がってきた。

 

 そして、ある時教官が言った言葉を思い出す。


『冒険者はたとえ一人でも、決して孤独ではない!』


「ん? なんじゃこりゃ?」

  食事から帰ってきたナインは、アデルのねぐらの上に何冊も本が置かれているのに気がついた。

 腰を下ろしパラパラとめくってみる。


「何だ、”いやらしい薄い本”じゃなくて学園の教科書じゃねぇか。つまらん……」

 ぽいっと放り投げ横になるナインの耳に、街の門からアデルの荒い息が近づいてくる。


「もう一歩……あと一歩……よし五周!」

 広場の手前で大の字に寝転がるアデルをちらっと見ながら

「……へいへいご苦労さんでした」

と呟くと、ナインはゆっくりと目を閉じた。

 

     ※

「アデル君、薪が少なくなってきたからザールさんのお店で買ってきて」

 カッペラからお使いを頼まれたアデルは、これも鍛錬だと《白鳥の止まり木亭》という名前の木工屋まで走っていった。


「イネスさんのとこの子だね。いらっしゃい」

 木星教団の聖印をぶら下げた、ザールと言う名の四十過ぎの男から薪を買い、帰ろうとしたアデルに貼り紙が目に入った。


「すいません。この『薪割り募集』ってなんですか?」

「ああ、実は腰を痛めてね。治るまで薪を割ってくれる人を探しているんだ。今の子ってこういう地味な仕事をなかなかやってくれなくてね。誰か知り合いでいないかな?」


(そういえば薪割りって、剣技の鍛錬にいいって学園の教官が言ってたな)

「あの……イネスさんの仕事のあとなら僕でよければ……」

「え! いいのかい?」

 

 パン屋の仕事が終わりザールの店に直行したアデルは、すぐさま店の裏側へ案内された。


「本当に大丈夫? ちなみに薪割りの経験は?」

「ボーアさんの工房で少しやりました」


「え! あの”地ごく……”ムグッ……ボ、ボーアさんの工房で働いたことあるの?」

 何か言いかけたザールだが慌てて口を押さえ、眼を見開き驚いた顔でアデルに尋ねた。

「働いたと言っても”三日だけ”です。剣一本作る間でしたけど……」


「み、三日ぁ! しかも”だ、だけぇ”! あの”ろくでなし”ですら、七日目に柱にぐるぐる巻きにされた


”巨人族ですら捕縛できると言われる、ドワーフ謹製の鎖”


を咬みちぎって脱走した”あの工房”を……。

 そ、そうか、なら安心できるね。よろしく頼んだよ」

「はい!」


(ナインさんもボーアさんも、街の人からどう見られているんだろう?)

「まぁいいや。よし、いくぞ!」


 地面に固定された切り株の上に原木を置き、気合いを入れながら斧を振るが、勢い余って地面を耕す羽目になった。


『どこを見ておる! 畑を耕しておるんじゃないんじゃぞ!』


 ふいにボーアの怒鳴り声がアデルの心の中に響いた。


『腕だけで斧を振るな! 足の裏から順番に力を入れるのじゃ!』


『薪も魔物も一緒だ! 斬り終わるまで決して目をそらすな!』


 まるで背中から聞こえてくるようなボーアの怒鳴り声を心で聞きながら、アデルはせっせと斧を振るう。


 やがて木工屋の裏手から”コーン……コーン”とリズムよく木が切られる音が、歓楽街に向かう男の耳にも響いてきた。

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